男装姫様の憂鬱〜モノノ怪庵へようこそ!〜

諏訪ぺこ

男装姫様の憂鬱〜モノノ怪庵へようこそ!〜

 母は、ほんの少し先の未来が見える人だった。

 いわば特殊な力の持ち主だ。

 家系を遡ると、陰陽寮の有名な家に当たるらしい。らしい、と言うのは私自身が確かめたわけではないからだ。


 もっとも確かめる術は今の所ない。


 理由は簡単。

 私が生活している場所が、都からほどほど離れた山の中の尼寺だからだ。



 家族はいる。いや、産みの母は亡くなったが父はちゃんといる。

 それなりに裕福な家でもあると思うが、母が亡くなった後が悪かった。


 父は母が亡くなってから一年ほどで後妻を迎え、私に新しい母だと紹介したのだ。それはいい。父もまだ若いのだし。

 一夫多妻も認められているのだし後妻ぐらいは仕方ない。

 だが相手はそうではなかった。


 最初のうちは良かったが、妹が生まれてから態度が一変したのだ。

 生まれて初めてみる赤ちゃん。私は眠っている赤ちゃんを起こさないようにそっと顔を覗き込んだ。

 するとものすごく強い力で突き飛ばされた。


「ああ、恐ろしい!私の子を殺すつもりね!!」


 顔を覗き込んだぐらいで殺せるわけがない。

 継母は鬼のような形相で私を叱りつけ、妹を自らの腕の中に抱え込む。


 私は突き飛ばされた衝撃で頭を床に強かにぶつけ、その拍子に一つの未来が見えた。


 あ、ダメだこれ。

 ここにいたら死ぬかも。


 それからの私の行動は早かった。元々、母に自分にとって不都合な未来が見えたら全力で逃げなさい。と言われていたことも大きかったと思う。

 私は母が生きていた頃から仕えていた女房に頼み込んで、叔母が庵主をしている尼寺へ避難したのだった。



 それから六年————



 父が私を迎えに来ることはなかった。

 最初のうちこそ、季節の変わり目に文や反物を届けてくれていたが今やそれもない。完全に忘れ去られている。


「ま、それでも良いんだけどねー」


 なんせ私が家にいたら、継母と義妹にさんざん虐められ、紆余曲折の後に後宮に入れられることになるのだ。

 帝の妻になるのは女性にとっては一番の幸せだと言う人もいるが、愛憎渦巻く後宮では下手に寵愛を受ければいびられる元になる。


 そう。私は帝の寵愛を受け、いびられ、死ぬらしい。

 実家でも虐められ、結婚してもいびられる。そんな人生はごめんだ。


「葵、そんな所でだらけてると落ちるぞ?」


 木の上にいた私に、木の下からモノノ怪が話しかけてくる。

 モノノ怪と言っても見目麗しいモノノ怪だ。名を天狐てんこと言う。

 正確には種族としての名だそうだ。彼女本人の名前を私はまだ知らない。


「天狐、ここ気持ちいいんだ」

「姫なのに寺小姓のなりが身にしみすぎて悲しいことだな」

「動きやすさ重視だよ」


 兎も角降りろ、と言われたので私は木の上から飛び降りる。

 地面に着く直前にふわりと風が動いた。天狐が手を貸してくれたのだ。


「姫はこんな所から飛び降りたりはせん」

「姫になる気もないからいいよ。このまま尼にでもなるからさ」

「尼とて木から飛び降りたりはせんだろうよ」


 はあ、とため息を吐かれ私は苦笑いする。

 叔母はそんなこと言わないからだ。ただ、自分の行動には責任を持てと言われている。


「もう十になる姫ならば落ち着いてもいいものなのだがな」

「それは無理じゃない?」


 落ち着ける要素はこの尼寺にはない。なんせ尼寺の割に、二日か三日の割合で人が訪れる。

 別にありがたい説法を聞きにきているわけではない。

 探し物をしてもらいにきているのだ。

 その中には尼寺にいる女の童にちょっかいを出そうとする不埒者もいる。

 尼寺の尼より、自分の方が身分が上だから大事にはならないと思っているのだ。


 それを避ける為に、私は自ら寺小姓と称して水干を着て出歩いていた。

 まあ、中には寺小姓でも良いという好き者もいるけれどね!

 それでも女の姿であるよりはマシなのだ。


「お前の先見せんけんの力で、庵主も助かってはいるが……本当にその姿だけ見ると童だのう」

「動きやすいって良いことだよ」

「そも、この庵で悪さを働こうとしたならば、命はない。気にする必要はないと思うがな」

「そうなの?」

「そうだ。ここがモノノ怪庵などと言われる由縁はそれよ」


 天狐がにぃと笑う。

 それは知らなかったな、と思いつつも今更姫の姿に戻るつもりもない。

 だってアレ動きづらいし。

 何枚も衣を重ねて、季節によって色を変え、香を変え、和歌を詠んで、琴を奏で、古典の詩を諳んじる。


 学ぶのは好きだが、そこ止まりなのだ。実際にその植物が自生してる所も見に行けないし、川のせせらぎも、山の桜も、新緑も、紅葉も雪の冷たさもぜーんぶ人づてで終わってしまう。


 退屈極まりない。


 自分の目で見てこそ、感動があるのだ。それに百聞は一見にしかずとも言う。

 だからこの姿はちょうど良いのだ。


「それよりも天狐、何か用があったんじゃないの?」

「ああ、アレが来ている」

「アレ?」

「アレは、アレだ」


 ああ、天狐があまり好きではないが来ているのか。

 本当に宮様なのかはわからない。子供の私には調べる術がないからだ。


 私が持っている先見の力は母よりも強く、見ようと思えばある程度先のことも過去のことも見ることができる。だがそれが本当に正しいかどうかの判断をすることはできない。

 判断するには自分で行って確かめなければいけないからだ。


 理由は簡単。私がから。


 例えば、帝を見たいと思って見る。先見の力で見ることはできるだろう。しかし、その方が本当に帝かどうかはわからない。

 何故なら直接会ったことがないからだ。


 便利なようで、ちょっと不便な力だが失せ物を探すにはもってこいである。

 その人の過去を少しだけのぞけばいい。

 たまーに、本当に当たるのかと冷やかしで来る人もいるが、そう言う場合は事細かに人に知られたら困ることを書いてあげるのだ。


 お布施も弾んでくれて、になってくれる。


「それで、宮様はいつもの部屋?」

「……いや、待ちきれずに来たようだ」


 心底嫌そうな声で天狐が言う。

 天狐の視線の先を見ると狩衣を着た二十歳ぐらいの男の人が立っていた。

 彼がだ。


 宮様、と言う以外は名前を知らない。

 それで良いとも思う。それ以上知る必要はない。


「やあ、葵。元気そうだね?相変わらず可愛いなあ」

可愛いのだ。当然だろう」

「そうだねえ。残念だ」


 天狐が更に嫌そうな顔をする。美人のそう言った顔はそれだけで迫力があるのだが、宮様が意に介した様子はない。


「宮様、今日の用事はなんですか?」

「実は一つ、見てもらいたいものがあってね」


 そう言って私の前に文を差し出した。

 中を確認すると、とても綺麗な女性の手蹟で書かれた恋文。


「……宮様に恋文?宮様、とうとう宗旨替えするの?」

「今のところ予定はないな」


 宮様はそう言って肩をすくめた。

 この宮様はなにを隠そう男色家なのだ。

 つまり寺小姓でも良い、と言う好き者……それは宮様のことだったりする。


「じゃあ、断るのにどこの誰か知りたいってこと?」

「その為にわざわざここまでこないよ。まあ、一つ話を聞いて欲しい」


 そう言って宮様は語り出した。

 ある女性の不思議な話を————






 ***


 とある屋敷で起こった話だ。


 その屋敷の女房が夜中に目を覚まし、ふと人の気配を感じた。恐る恐る御簾を持ち上げて見れば、庭で誰かが歩いている。

 こんな夜中にモノノ怪では!?と焦った女房は布団の中に潜り込み、朝まで念仏を唱えて過ごしたと言う。


 朝になり、女房は庭には誰もいないことを確認する。

 しかし、板の間が土で汚れていたのだ。もしや屋敷の中まで誰かが入ってきたのか?それともやはりモノノ怪だったか?

 屋敷の主人に相談して、その土の跡を辿ってみれば一つの部屋に行き着いた。


 その部屋は婚姻が決まったばかりの姫君の部屋。


 青ざめた屋敷の主人は慌てて部屋の中に入り、姫の無事を確認する。

 姫は確かに無事にそこにいて、父親の剣幕にキョトンとした表情を見せた。


「どうかされたのですか、お父様」

「ああ、姫や姫。昨夜は何かなかっただろうか?」

「いいえ、私は今までぐっすりと眠っておりました」


 そう言って布団の中から出てきた姫の単衣や足は何故か土で汚れている。

 姫は不思議そうに自分の足を見た。

 普通の姫は素足で外なんて出歩かない。


 屋敷の主人である父親は思った。これはモノノ怪の仕業に違いないと。

 急いで霊験あらたかな寺の阿闍梨に頼んでモノノ怪を払って欲しいと依頼したが、阿闍梨には原因がわからないと断られてしまう。


 父親は娘の為に、別の寺や陰陽寮の陰陽師にも依頼したが誰も原因を突き止めることができなかった。


 しかも娘の徘徊はその一度だけではすまなかったのだ。

 父親が娘の為に払える者を探している間も、夜な夜な庭を徘徊する。

 何度も止めようとしたが、何度も振り払われてしまうのだ。その力の強いこと。姫にできることではない。


 このままではせっかくまとまった婚姻も破談になり、姫はモノノ怪つきとして一生一人で過ごすことになってしまう。


「そんな感じで私に話が回ってきたんだよ」

「そんな感じで貴様に話を持ってくるなんぞ、よほど切羽詰まっていたと見える。哀れよのう」

「そうだよね。宮様に話を持ってきた時点で、結婚はもう無理じゃない?」


 それだけ話が広まったからこそ、宮様は気になってその親子に手を貸そうと思ったのだ。面白いことが好きな宮様には退屈しのぎにちょうど良いのだろう。


「いやいや、持ってきたのは結婚相手の方。その人がね、どうにかならないか?って相談してきたから持ってきたの」

「ふーん……珍しい人もいるね」

「そうだな。モノノ怪がついてる姫なんぞ、嫁にもらうとは」

「そうは言うけど、本当にモノノ怪がついているのかな?」


 宮様が天狐に尋ねる。天狐は、どこぞの阿闍梨や陰陽師どもが複数見てわからないと言うのであればと答えた。


「いない?その根拠は?」

「根拠も何も、そこまでして生かしておく理由がない」

「ああ、そうだね。見目麗しい姫様なら、わざわざ庭を徘徊させる必要ないもんね。価値を下げてるようなものだし」

「価値が下がるのは人の感覚だろ?」

「素足だと足を怪我するでしょ?」


 わざわざ見目麗しい姫様を選んで、拐うつもりならとっくに拐っている。歩き回らせる意味がない。

 拐って、美しいうちに喰べるのだ。

 それがない。未だ徘徊してるだけなら、別に理由があるのだろう。


 私は手に持っている文に集中する。

 すると、断片的に男女のやりとりが見えた。


 琴の音に惹かれ、文をしたためる男の姿。

 それを受け入れ、男と逢瀬を重ねる姫の姿。

 二人の間に男女のアレソレがあったわけではない。完全に清い交際だ。

 御簾越しだし、年嵩の女房を側に置いて二人で会話をしている。

 その後、男が帰ると姫が年嵩の女房に泣きついている。

 もう彼の方に会うことはできないと……泣いているのだ。


 そこで疑問が一つ。


「ねえ、宮様。この恋文はどうやって手に入れたの?」

「うん?結婚相手から借りてきたんだよ」


 疑問が増えた。


「……宮様、結婚相手はその姫様のお父さんが決めた相手?」

「最初は断られたらしい。歳が父親とさほど変わらないから、流石にと。でもどうしてもと頼み込んで了承をもらったと聞いている」


 疑問が更に増えた。


「えーっとね、姫様には通っている男の人がいる。姫様はその人のことが好きで、でも結婚が決まってしまったからもう会えないことを嘆いている。そこまでは良い?」


 今度は宮様が首を傾げた。


「その通っていた相手が、この恋文の持ち主だ。私にどうにかならないかと依頼してきた相手だね」


 私は宮様の前に手をやり、ちょっと待ってと言う。


「……姫様は、結婚相手が通っていた男の人だって知ってるの?」

「ああ、どうだろうな?そこまでは聞いていない」

「じゃあ、姫様の所に男の人が通っていたことを父親は知っている?」

「父親を説得した理由がまさにそれだからね。今まで幾度も逢瀬を重ねて自分たちは思い合っていると」

「最後にもう一個、結婚相手は姫様のお父さんが断れないぐらい身分が高い?」

「ものすごくね」


 その情報を頭の中でまとめる。

 一つ、姫様の所に通っていた男の人と結婚相手は同じ人

 一つ、父親も通っていたことは知っている

 一つ、父親よりも結婚相手の身分は上

 一つ、姫様本人が結婚相手と、通ってきていた相手が同じと知っているかはわからない。


 いや、姫様は知らない可能性の方が高いな。

 知っていたら年嵩の女房に泣きついたりはしない。これから好きな人と一緒になれると喜ぶはずだ。


「ねえ、天狐。好きな人がいるのに、別の人に嫁がなきゃいけないって思ったらどうなるかな?」

「さてなあ。妾は人ではないゆえ……しかし、この話が広まれば破談にはなるであろう?」

「だよねえ……」


 モノノ怪の仕業ではない。ならば人が起こしている可能性が高くなる。

 結婚したくない、姫様本人が。

 部屋を抜け出すのは年嵩の女房にでも頼めば良い。年嵩と言うことは幼い頃から姫様を見てきた可能性がある。幼い頃から見てきた姫様に頼まれて断れる女房はそういないだろう。

 それに普段は大人しい姫様だって全力で争うこともある。


「宮様、多分だけど……結婚相手も姫様の父親も言葉が足りてない」

「うん?」

「これは狂言だと思う」

「狂言……?」

「私が見た姫様は泣いていた。もう彼の方に会えないって、年嵩の女房に泣きついていた。と言うことは、姫様は父親が決めた相手と政略結婚すると思っている。しかも身分が高いから下手に断れもしない」

「ああ、なるほどね……」


 姫として産まれたなら、家の駒となることも致し方ない世の中だ。

 それでも好きな相手と添い遂げたいと思う気持ちをワガママではないと思いたい。


「その結婚相手に姫様の家に直接行ってもらって、姫様本人に説明してあげるといいよ。それで徘徊は止まる。と言うか……早く止めないとまずいね」

「その理由は?」

「夜中に徘徊する姫様なんて拐ってくださいって言ってるようなものだから」


 モノノ怪に狙われちゃうよ?と付け加えると宮様は直ぐに戻る、と言って都へ帰って行った。


「姫様、大丈夫かねえ」


 宮様が乗った牛車を見送りながらそう呟く。


「大丈夫であろう。アレを動かせるぐらいの者から頼まれたのだ。術者どもを動員して守りを固めるさね」

「ふーん?」


 天狐の言葉にそうだといいな、と思いながら私は寺の中に戻った。






 それから数日後、宮様がお礼にとお菓子や反物、食料をたくさん持って尼寺にやってきた。やはり姫様本人の狂言だったそうだ。

 愛した人と一緒になれないのなら、いっそ破談にして髪を下ろして尼にでもなってしまえばいいと思ったと。

 そこまで相手を好きになれるのは凄いことだけど、私にはよくわからない世界だ。


「葵、葵、ほらほら口を開けるといい。この干菓子は絶品だよ」

「ええい!葵は姫だと言っているだろう!!」

「可愛いのだから良いじゃないか」

「そう言う問題ではない!」


 触るな!と天狐は宮様の手をシッシと払う。私は二人のやりとりを眺めながら、干菓子を口に放り込むのだった。

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