きっと俺は代用品の世界を泳ぐことしかできない

葦沢かもめ

きっと俺は代用品の世界を泳ぐことしかできない

 長方形のプラケースの中でメダカの鱗が虹色の光を乱反射する様子を、俺は観察していた。

 メダカは、同じアパートに住む友人である村上から譲り受けたものだ。原価はゼロ。

 いつも口を開けば水槽がどうとか、水草のレイアウトがどうとか語っている村上がメダカをくれるというから、てっきり飼育セット一式をくれるのかと思っていたが、奴が持ってきたのは、洗濯用洗剤の入れ物くらいの大きさの透明なビニール袋に満たされた水に入ったメダカ三匹と、マツモという水草二本だけだった。

 さすがにビニール袋のままでは置いておけない。ネットで「水槽 代用」と検索してみると、ペットボトルでできるというブログ記事があった。ちょうどいいところに乳酸菌飲料の五百ミリリットルのペットボトルが転がっていたので、それを使うことにした。よく洗ってから、横にして上側面をカッターで切って開けた。

 あとは水を入れるだけだが、ここで問題があった。ネットによると、元々入っていた水というのは病気が感染する可能性があるので使ってはいけないらしい。なら水道水でいいかと思っていたのだが、「水道水はカルキを抜け」という人と、「そのまま使っても問題ない」という人が両方いて、俺にはよく分かんなかった。

 だから俺は、蛇口の下にペットボトル水槽を置いて、目を閉じてから蛇口の栓をひねった。ゆっくり十秒数えてから栓を閉じ、目を開けると、何故かペットボトル水槽には水がいっぱい入っていたので、俺はそれを使うことにした。

 メダカ達は気持ち良さそうに泳いでいたので、問題は無いと思う。窓辺に置いたペットボトル水槽は、透過した日光がゆらゆらと輝いて見えて、生きた宝石みたいだった。眺めているだけで、あっという間に一日が過ぎてしまった。

 翌朝、ペットボトル水槽に目を遣ると、一匹がプカプカと水面に浮かんでいた。

 俺は二匹になったメダカの水槽を横から眺めた。多分、まだ元気だから死なないと思う。でもペットボトルは表面が凸凹デコボコしていて、メダカ達の姿が歪んでよく見えない。

 もしかしたら病気になっているかもしれない。俺は気になってメダカの病気をネットで調べて、メダカの鱗の色が変わってないかとか、尾鰭おびれの先端が壊疽えそしてないかとかを、水槽に張り付いてチェックした。

 何日か経ってもやっぱり気になってメダカを観察してしまうので、俺は水槽を買うことを決意した。

 そして俺は、百円ショップでコレクションケースを買ってきた。コレクションケースというのはフィギュアを綺麗に飾るためのもので、台座の上に透明なプラスチックの箱が乗っている。これを逆さまにすれば水槽に代用できると、ネットに書いてあったのだ。

 早速、プラスチックのケース部分を逆さまに置いて、ペットボトルの中身を注ぎ入れた。プラケースの住人になったメダカ達は、水槽の中をピュンピュン泳いで喜んでいた。病気になっている様子も無い。俺はほっと胸を撫で下ろした。

 これで見栄えは良くなったのだが、今度はよく見え過ぎるせいで、メダカと水草しか居ない水槽が殺風景に感じるようになってしまった。

 そこで俺は、公園へ行って手頃な小石を幾つか拾ってきた。表面の土を洗ってから、プラケースの水槽の中に入れた。ついでにラムネのびんから取り出して飾ってあったビー玉を一個放り込んだ。

 俺は意気揚々と横から覗き込む。

 そうすると俺は、澄んだ湧き水が流れる川の中にいた。清流の中で、俺をいざなうように二匹のメダカが踊る。見上げると、水中から眺める太陽の光は柔らかくて、サイダーみたいに俺の頭の中で弾けた。冷たい水は俺の全身に染み渡り、俺という存在がゆっくりと水の中へ消えていくような気がした。

 やがてメダカ達は、岩の間で茂るマツモの陰に行って姿を消した。俺はそれを追いかけようとしたが、水の流れが速く、頑張って進もうとしても空気の泡にぶつかって押し戻されてしまう。

 こんなことをしていたら、せっかく手に入れたメダカ達がどこかへ行ってしまう。取り戻さなければ。

 俺はもがいてもがいて、そうしているうちに朝になっていた。

 プラケースの底に一匹沈んでいて、水槽の中を泳いでいるメダカは一匹だけになった。




 メダカを貰ってから一週間が経った頃、村上が心配そうな顔で俺のアパートを訪ねてきた。

「おい鈴木、講義のルームにログインしてないらしいじゃん。ネット止められたのか?」

「なんかお前に貰ったメダカを眺めてたら、そればっかり気になっちゃってさ」

「メダカ?」

「くれただろ、三匹。ビニール袋に入れて」

「そういや鈴木にもあげたんだっけ。どう?元気にしてるか?」

「ちゃんと世話してるよ。見るか?」

 俺は、村上を部屋に入れてやった。綺麗になった水槽を、村上に早く自慢してやりたくてたまらなかった。

 窓辺の水槽に吸い寄せられていく村上を見ながら、俺は椅子に腰掛けて指を組んだ。

「おっ、割と気合入ってんじゃん。ビー玉入ってるのはセンスあるよ」

「そうか?なんとなく入れただけだけどな」

 俺は頬杖をついて、それから背もたれに寄りかかってまた指を組んだ。

 村上は色々な方向から俺の水槽を眺めていたが、やがて何かに気付いたようだった。

「ところで鈴木よ、餌は何をやってるんだ?」

「エサ?……エサって何?」

「は?馬鹿にしてんのかお前」

「知らないもんは知らないって。俺は動物の専門家ではない」

「あのなぁ、餌ってのは食いもんだよ、食いもん。メダカに食べるものやってんのかって話」

「何もやってないが……メダカってのは何を食べるんだ?」

「『何もやってない』!? マジか。じゃあ最近水槽リセットしたのか?」

「リセット?」

「要は、水苔とかが生えた水槽を掃除したのかってことだ」

「最初はペットボトルに入れて、何日か経ってからこのプラケースに入れたが、お前に貰ってまだ数日だろ?」

「何言ってんだ。お前にやったのは一年前だぞ」

「そんなワケねーだろ」

 俺は村上の冗談を鼻で笑ったつもりだったが、当の本人は真剣な表情で水槽に顔を近づけていた。

「苔とかプランクトン食ってたんなら生きてても不思議ではないんだがなぁ。マツモを食った形跡も無いし。それに成長が速いマツモだったらもっと増えてるはずだが……。なぁ鈴木、マツモを最近入れ替えたりしたのか?」

 困惑した村上に、俺は首を横に振ることしかできなかった。

 おかしいなぁ、おかしいなぁ、と言いながら村上は帰っていき、そしてこの部屋には俺と一匹のメダカが残された。

 プラケースの中のメダカを、俺はじっと見つめる。脳裏に、ひんやりとした水の中に頭まで包まれて、静かに自然へと溶けていく感覚が蘇る。

 今度は水が流れるようにしてやろう。ポンプだ。ポンプで水を水槽の中に作った陸上へと組み上げる。陸上には石組みを作って、そこから湧き水がみ出すように作る。岩の表面にはハイゴケやスギゴケがこんもりと生えている。垂れ落ちた滴はやがて小川を作る。小川の土手は荒木田土を使う。それ以外は赤玉土にしよう。そこにはリュウノヒゲやトキワシノブが青々と茂っている。小川は池につながっている。池の底は砂利になっていて、ところどころに岩が陣取っている。マツモやエビモが群生しており、流木のうろからはミナミヌマエビが顔を覗かせている。

 それならきっと、このメダカも気に入るだろう。


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きっと俺は代用品の世界を泳ぐことしかできない 葦沢かもめ @seagulloid

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