田園風景

@kurokurokurom

第1話

 煙草を吸って、煙を吐き出すと、少し後にわずかな快感がして、体がリラックスする。部屋の中に広がっていった煙はゆっくりと消えていく。部屋の中にはテレビとベッドと丸いテーブルが置いてある。壁は白くて、まだそれなりに新しい建物という感じがする。

 丸テーブルの上には煙草の箱とライターとウイスキーの入ったグラスが置いてある。僕は煙草を吸ってはウイスキーを飲み、そして手元にあるドストエフスキーの小説を読んだ。

 壁際に置かれたデジタル時計はちょうど十二時を示していた。明日は土曜日で休みなので、ふと何をしようか考えた。喫茶店に行って本でも読もうかなと思い、部屋の隅に積まれた文庫本に目が行った時、一つの本に注意が向いた。

 その本は幼馴染の京子が書いた小説だった。青少年向けの小説で、僕はそういう類の本はほとんど読まなかったが、なにしろ幼馴染の京子が書いた本だったから、僕はそれを何度も読んだ。

 内容は、病気の女子高校生と友達のいない男子高校生がたまたま話すようになり、二人の仲は深まり、最終的に恋人同士になるが、最後に女子高校生が死んでしまうというものだった。

 京子は高校生の頃から心臓病になり、高校を卒業してからは、実家で療養をしていた。その間、彼女はウェブライターとして、様々な文章を書いていたらしく、二年前には作家になった。もともと文章を書くのが得意で、彼女の書いた読書感想文が表彰されたこともあった。頭もよかったので、大学に行けなかったのは彼女としては不本意だったのかもしれない。

 僕はウイスキーを飲み、文庫本をテーブルの上に置いた。部屋の中はやけに静かで、時々車が通る音がするくらいだった。アルコールの酔いで僕はしばらく、ぼおっとしていた。何の考えも浮かんでこなくて、ただ視界に映る部屋の様子だけが意識に上る。

 明日の朝、家を出れば、昼には地元に着く。京子はおそらく実家にいるだろうし、久しぶりに会うのも悪くないかもしれない。その時、僕は京子に書いた小説のことを聞いてみようと思った。僕は文章を書くのは好きではないが、読むことは好きだった。だから書いた人がどんな心境だったのかというのは気になることだった。

 おそらく京子に今は付き合っている人はいないだろうし、僕にもそういう相手はいない。僕らは小さい頃から一緒に過ごしてきたが、特にお互いに好意があるわけではなく、友達というより兄弟に近い感覚だった。


 翌朝、目が覚めると、ベッドの中で何回か寝返りを打った。デジタル時計を見ると朝の六時だった。昨日遅くまで起きていたので、まだ眠かった。仕事の疲れも若干残っている。僕はベッドの中で起きる決心を固めて、体に力を入れて起き上がった。

 洗面台で顔を洗い、髪をとかして、歯を磨いた。鏡に映る自分を見ていると、まるで歯を磨いている自分がいないような感じがした。

 部屋に戻ると、着ていたスウェットを脱いで、ジーンズを履き、黄色のセーターを着た。まだ眠気は去らなかったので、キッチンへ行って、コーヒーを淹れることにした。

 ドリップでコーヒーを淹れて、ブラックのまま飲んだ。少しだけ頭が冴えたような気がする。

 スーツケースに一日分の衣類を詰めて、部屋を後にした。外に出ると朝の日差しがまぶしい。冷たくて心地のいい風が吹いている。もうじき春がやってくるのだろう。

 階段を下りて、マンションの建物の外に出て、住宅街の中を歩いた。空には大きな白い雲が浮かんでいる。時々犬の散歩をしている人やランニングをしている人とすれ違ったが、通りは閑散としていた。スーツケースのガラガラという音が辺りに響いている。

 駅に着くと、改札を抜けて、ホームで電車を待った。ちょうど電車がやってきたところだったので、僕は乗った。車内は半分ほどの席が空いていた。僕は端の席に座って、移り変わっていく窓の外の景色を眺めた。向かいの席には子供とその両親が座っていて、どこかに遊びに行くようだった。

 電車を乗り継いで、東京駅まで行くと、そこには多くの人がいた。僕は売店でペットボトルのお茶と弁当を買った。隣には本屋がある。もしかしたら京子が書いた小説が置かれているかもしれない。

 僕は書店で彼女の本を探すのが楽しみだった。まだ有名な作家ではないが、書店に彼女の本が置かれていると、胸がどきどきする。彼女もそう言った感覚を抱いているのだろうか。

 新幹線に乗って、僕は自由席の空いている席に座った。さっそく弁当を開けて、食べ始めた。窓の外のビルの景色が次々と移り変わっていく。いつの間にか僕も東京に慣れたんだなと思った。

 新幹線の中で京子が書いた小説を読み、時々お茶を飲んだ。窓の外は少しずつ田舎の風景に変わっていく。

 地元の駅に着くと、僕はそこで降りた。東京とは違った温かい雰囲気を感じる。僕の体は自然とリラックスしていた。

 在来線に乗って、京子と僕の実家の最寄り駅まで行った。駅に着くと、昔、経験した様々な記憶がよみがえってきた。


 僕は田園風景の中を歩いて行った。遠くには緑の山が広がっている。田んぼや家が点々としていて、東京よりもずっと広い感じがした。

 京子の実家まで着くと、僕はインターホンを押した。

「はい」と京子の声がする。

「佐々木ですけど」と僕は言った。

 家のドアが開いた。京子は水色のシャツを着ている。髪は以前より短くなっていて、肩までの長さだった。

「いきなりどうしたのよ?」

「なんとなく昨日、会いたくなってさ」

「まぁいいけど」

 僕は京子の実家に入った。茶色の階段と、その奥にリビングと部屋がある。

「今日は両親が出かけてるから、夜まではいないけど」

「明日、帰る時に挨拶していくよ」

 僕はスーツケースを玄関に置き、リビングに行った。京子は冷蔵庫を開けて、麦茶を注いでいる。

「遠かったでしょ? 来るなら連絡してくれればいいのに」

 僕はその時、電話をするという手段もあったのだなと思った。でも、地元に帰ってきたかったし、彼女とも実際に会って話がしたかった。

「最近、新しい小説出しただろ? 病気の女子高校生の話」

「読んでくれたの?」

「もう五回は読んでるんじゃないかな」

 僕の目の前にはよく冷えた麦茶が置かれた。僕は一口飲む。僕の向かいの席に京子は座り、じっと僕のことを見ていた。彼女の実家は小さい頃から変わっていなかった。リビングがあって、その隣にソファとテレビがある。昔、よくここでゲームをしたものだった。

「あんたは小説が好きなんだね。せっかくだから書いてみたら?」

 彼女はそう言って麦茶を飲んだ。

「何度か書こうとしたことはあるんだ。だけど、あまり書くことにはおもしろさを感じなくてね。ところであの小説はやっぱり自分の経験が題材になってるの?」

「そうね……。私は病気になってからさ、できることがずいぶんと減ってしまったの。確か高校二年生の時だったな。そんな中でもどこか自分の希望になることを探していたのよね。それが私にとっては文章を書くことだったからさ」

 京子はそう言って、窓の外に視線を向けた。僕は頭の中であの物語を思い出していた。きっと彼女は病気になったことで、今まで見ている世界ががらりと変わってしまったのかもしれない。あの物語は彼女の希望の話だったのだろう。

「最近はどうなの? 小説の方は忙しい?」

「私にはできることは限られてるけど、でもそれなりに充実している」

 彼女はそう言って微笑んだ。もしかしたら病気はよくなりつつあるのかもしれない。窓の外の田園風景を僕はふと眺めた。なんだか切ない気持ちになる。こんな風に感じたのはずいぶん久しぶりだった。

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