1-4「客人」
着替え終えた俺は、急いで階段を降り、一階のロビーを目指していた。
一階の踊り場まで来たところで、何やら話し声が聞こえてきた。
「あなた方は、いつも客人を一時間以上待たせているんですか?」
「ちょ、ちょっと…!」
「申し訳ございません、突然のご来客でしたので…」
声の主は、機嫌の悪そうな奴、気弱そうな奴、謝ってる奴の三人。声色からして、全員女性らしい。
その内の一人、謝罪をしている声だが、これは紫雲の声だ。
つまり、客人は不機嫌と気弱の二人となる。
気弱はそうでも無いが、不機嫌はかなり面倒そうだ。
「…アポも取らずに来た私達が悪いと?」
「い、いえ!そういう意味では…」
しかし、どうにも解せない。なぜ紫雲は俺に客人の名を告げなかったのだろう。
一時間前からいるのであれば、流石に双方とも自己紹介を終えているはずだ。だったら、さっきの段階で俺に伝えておいた方が、客人が改めて自己紹介をする手間が省け、スムーズに本題に入れる。
それなのに、紫雲はあえて俺に客人の名を教えなかった。
何か意図があるのだろうか…?
「ようやく来ましたか、黒谷さん」
「…!」
一階の床に足が着いたのと同時に、不機嫌な声が俺の名を呼んだ。
あまりに突然の呼びかけに、俺は思わず声を上げそうになる。
階段とロビーは壁で仕切られており、互いに死角となっている。つまり、俺の姿をロビーから目視する事はできないはずだ。
だがこの声の主は、どうやったのか俺の存在を感知した。
やはり、何かがおかしい。
先程の紫雲といい、今起こった事といい。一体、客人とは何者なのだろうか。
この壁から身を出せば、その正体を知れる。
しかし同時に、これから起こる面倒事に巻き込まれる。…そんな気がする。
面倒事からはとことん逃げるのが俺の性分。普段であれば、こんな時は踊り場の窓から飛び出して、そのまま帰宅していることだろう。
だが、今回はそうもいかない。
この客人たちは、こんな朝早くから俺が来るのを一時間も待っていた。時間を開けて出直したり、日を改めたりせずにだ。
それはつまり、どうしても今日、できるだけ早く俺と会いたいという事だ。
そんな彼女らの目の前から、もし逃げ出しでもしたら…十中八九、俺を追って来るだろう。
生憎、昨日の戦闘で街中走り回ったからか、足が棒になった様に動かない。この階段ですら、何度も転びそうになったくらいだ。
このコンディションで走ったところで、せいぜい一般人程度の速度も出ないだろう。振り切るどころか、余裕で追いつかれる。
逃げても逃げなくても面倒。となると、この場で客人の要件を聞いてしまうのが最適解だ。
貴重な土曜日の小一時間を失うのは惜しいが…こうなってしまっては仕方がない。
俺は恐る恐る、ロビーへと踏み出した。
「お、おはようございまーす…」
壁から顔を出すと、そこには顔の引きつった紫雲と、ソファーに腰掛ける二人の少女が、こっちを見ていた。
一人は白髪が特徴的な凛々しい顔立ちの少女、もう一人は黒の長髪に150センチ程しかない身長が特徴的な少女。両者とも同じ制服を着ている。
紫雲は俺を見るなり「早く来い」と言わんばかりに手を招く。
その手の勢いに釣られ、俺は早足で紫雲の元に向かい、その隣に座った。
「お、お待たせしました…!彼が黒谷墨人です」
紫雲からの紹介に合わせ、軽くお辞儀をする。
「遅くなりました、黒谷墨人です」
そして、ゆっくりと顔を上げながら、二人の顔をじっくり観察した。
こうして近くで顔を確認してみると、両者ともどこか見覚えのある顔をしている。どこで会ったのかは思い出せないが、確かに見た顔だ。
特にこの白髪の少女。この特徴的な外見を、俺は確実に知っている。
せめて名前さえ分かれば───
「スミく…黒谷くん、こちら短海女子学院高等部の
そうだ、思い出したぞ、白峰嶺子だ。無地の白の異名を持つ、白髪のヒーローで…ん?
「し、白峰嶺子⁉︎」
なんで俺は忘れていたんだ…この梅末で知らない者はいない程の有名人を…!
「…一時間待たせた後は呼び捨てですか」
「あ…し、失礼しました!」
これはまずい…非常にまずいぞ…!
白峰嶺子は「無地の白」という異名を持つヒーロー。この梅末で、彼女の名を知らない者はいない。
その能力はよく分かっていないが、彼女と相対したヒーロー全員に「最強の能力だ」と言わしめる程強力。その実力は、あの"クリムゾン"にも匹敵するとまで言われている。
そんな白峰には他にも逸話があるのだが、彼女が著名である何よりの理由は、例の"傷害事件"にある。
今から何年か前、白峰は怪人討伐中の3人の戦闘員と揉め事になり、その3人全員を殺害した。
3人は全員、脳天とコアを何かで貫かれており、その死体から白峰の殺意の高さが伺えた。
だが、どういう訳だか検察は、彼女の殺人を正当防衛と認め、不起訴とした。
結果、この事件は白峰による殺人ではなく、3人の戦闘員による傷害として立件され、被疑者死亡という形で幕を閉じたのだ。
何故、白峰はその3人を殺してしまったのか。何故、正当防衛が認められたのか。それは白峰本人に聞いてみないことには分からない事だが、重要なのはそこではない。
本当に重要な事は、白峰嶺子がコア持ちであれば迷いなく3人ぐらい迷いなく殺してしまうような奴という事だ。
コア持ちはコアを破壊されない限り死ぬ事はない。たとえ脳漿をぶちまけられたとしても、放っておけばそのうち蘇る。
白峰は、件の3人の脳天に風穴を開けた。この時点で「殺す」という行動は終了している。もし単純な殺意だけの行動であれば、この時点で収まってもいいはずだ。だが、白峰はさらにコアまで破壊した。それも3人とも。
つまり、彼女の目的は「殺す」ことではなく「消す」ことなのだ。怒りや、それから来る殺意だけが彼女の原動力ではない。
コア持ちへの憎しみ。それも、相当な憎悪が彼女の中で渦巻いている。
…そんな悪意の権化が、今俺の目の前に座っているんだ。まずい所の話じゃない。
ここで下手を打てば、危うくぶっ殺されかねないぞ…
「戦闘員に礼節なんか期待してないですから、気にしないでください」
「…申し訳ありません、白峰…さん」
こんな事になるなら、裏口でも使って帰っておけばよかった…もし客人が白峰嶺子だと知っていたなら、迷わずそうしていたというのに…!
待てよ、紫雲は客人が白峰だと知っていたはずだ。なのに、俺にはその事実を伝えなかった…
もしかして、と思い、紫雲の顔を横目で確認する。すると、紫雲と目が合った。
目が合った紫雲のその顔は、それはそれは申し訳なさそうな「ごめん」とでも言いたげな顔をしていた。
こいつまさか、俺が逃げるかもしれない事を見越して、あえて白峰の事を伝えなかったのか…!あえて気になる言い方をして、俺を逃げられない所まで誘い込んだんだ!
紫雲の事はよく知っている。この女、バツの悪そうな顔を見せてこそいるが、実際は「悪かった」なんて一ミリ思っていない。本当は、自分の面倒事を俺に押し付けれてラッキーとでも思っているんだろう、間違いない。
「で、では、黒谷くんも来ましたので、私はこれで…」
そう言って紫雲は、その場を後にしようと立ち上がった。そして、一歩踏み出そうとしたその時。
「要件は貴女にもありますよ、紫雲さん」
白峰が紫雲を引き止めた。
紫雲は、一回だけ見て分かる程大きく震え上がると、もといた位置に座り直した。
「そ、そうでしたか!大変失礼いたしました」
そう言って、頭を下げた紫雲の横顔を覗き込むと、またもや目が合う。紫雲から見た俺は、それはそれは嬉しそうな「ざまあみろ」とでも言いたげな顔をしていたことだろう。
CORE 気体仮面 @Gas-Mask0403
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