0-7「水分」

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…」

(この速度で走り続けるのは、流石にキツいな…)

 泥怪人に追いかけられ数分、黒谷は攻撃を躱しながら、ある場所を目指していた。

(確か、あの角を曲がれば…)

 開けた交差点が見え、黒谷に安堵の表情が浮かんだのも束の間、彼の足元に巨大な影が映った。

「フッ!」

 影が泥怪人の物であることを察した黒谷は、咄嗟に足を止め、後方に跳ぶ。

───ドチャッ!

 再び泥怪人が落下。黒谷の目の前には、先程より巨大な泥沼が現れた。

 泥沼は先程と同様に蠢き、先程よりも早く複数の人型を形成していく。

「クソッ、あと少しなのに…!」 

 数秒で約十体の泥怪人が形成され、黒谷をあっという間に包囲する。

(突っ切るしか…ない!)

「…どけえぇぇぇ!」

 黒谷の咆哮を合図に、泥怪人たちが一斉に飛び掛かる。

 黒谷は泥怪人が飛び掛かかるのを確認し、その瞬間に居合で前方の二体を切断し、その勢いのまま交差点を左に曲がった。

 交差点を曲がり見えたもの、それはとある商店街だった。

(見えた、商店街!)

 やっと見えた商店街に向かい、全速力で駆ける黒谷。しかし、その背後からはあの巨大な足音が聞こえ始めていた。

───ドサッ、ドサッ、ドサッ…

「もう肥大化したのかよっ⁉︎」

(早く、あそこに着かないと…!)

 肥大化した泥怪人、その走り出しの速度は黒谷には到底及ばない。だが、その巨体に加速度が付けば、その速度は黒谷を凌駕りょうがするものとなる。

 そして、その泥怪人の速度は今にも黒谷の全速力を超えようとしていた。

(頼む、あと少し…あと少しだけ動いてくれ!)

───ドサッドサッドサッドサッドサッ…

 商店街街の入り口まで残り10メートル弱、泥怪人は黒谷に向かって飛び込む。

 黒谷が巨体に飲み込まれようとしたその時、黒谷は最後の力を振り絞り、前方に飛び込んだ。

───ドチャッ!

「ハァッ…ハァッ…間に合った…」

 間一髪で黒谷は巨体を回避、泥怪人は例の如く商店街に四散した。

 そして、またもや泥は蠢き、あの巨体を形成していく。しかし、出来上がった巨体は、先程のそれとは様子が違っていた。

「やっぱり…ハァ、ハァ、そういうことか…」

 黒谷の前に立ち上がる泥怪人、彼は何故か先程よりも小柄になっていた。

「戸惑っているみたいだな…」

 黒谷は、息絶え絶えに泥怪人に説明する。

「ずっと…お前がどうやって身体の体積を増やしていたのか…分からなかったが…ハァ、ハァ、考えても見れば…泥の材料になるものなんて…そこら中にあったな…」

───ドサッ、ドサッ、ドサッ…

 黒谷の説明などお構いなしに、泥怪人はゆっくりと歩み寄る。

「泥っていうのは土と水から出来てる、恐らくお前の体も似たよう物で出来てるんだろう。流石に土が動いているとは考えづらい、となると、お前の身体は、お前やお前が喰った奴らの細胞と水で出来ていると考えるのが自然だ」

───ドサッ…ドサッ…ドサッ…

「どちらの比率が増えたのか。前者を補給してる暇は流石になかったはずだ。なら、残るは後者しかない。問題はそれをいつ、どこから、やどうやって吸収したのかってとこだ」

───ドサッ。

 泥怪人の歩みが止まる。

「お前、飛び散った後、妙に動いてたよな?」

 泥怪人の表面は艶のある黒色から乾いた色に変わり、動きは徐々に鈍くなっていく。

「飛び散った泥を一箇所に集めたいなら、わざわざその場に留まって蠢く必要は無い。つまり、あの動きには何か意味があったって事になる」

 泥怪人は最後に黒谷に手を伸ばし、そのままの姿勢で静止した。

 そんな泥怪人に構わず、黒谷は続ける。

「あの時、水を吸ってだんだろ?道路から」

───ストッ、ストッ、ストッ…

 黒谷はゆっくりと立ち上がり、固まった泥怪人に歩み寄る。

「昨晩からの雨だ、アスファルトとはいえど、相当な量の水を含んでいたはず」

───ストッ、ストッ。

 黒谷は泥怪人の目の前で立ち止まる。

「だが、アスファルトから水を吸い出すなんていくら怪人でも至難の業だ。しかも、こんなになるまで吸うとなるとな」

───カチッ、スー…

 黒谷はおもむろに鞘から刀を抜き、構える。

「だからお前は、あえてその身体を飛び散らせた。表面積を増やして、効率的に水を吸うために」

 黒谷は柄にと一体化したレバーを力強く握る。すると、刀身は高速で振動を始めた。

「だが、ここではそれが裏目に出ちまったようだな」

 黒谷の足元、アスファルトで舗装された道路は、数分前までの雨が嘘だったかのように乾いていた。商店街の屋根により、昨晩からの大雨に曝されることがなかったのだ。

「湿ったものが乾いたものに触れると、ほんの少しだが湿気を取られる。お前の場合、表面積が増えた事で乾燥した道路触れる面積も増えて、大量の水分を取られたって訳だ」

 そこまで言い終えると、黒谷は目を閉じる。

(一撃で楽にしてやる…)

 感覚を研ぎ澄ませる黒谷。彼の意識は、泥怪人の芯、その本体へと向けられていた。

(どこだ…)

 黒谷の心臓付近、そこにある何かが泥怪人と共鳴する。

(右の…脇腹…?)

 泥怪人の共鳴部は次第に縮小し、右脇腹の一部へと収束された。

 そして、黒谷は目を見開き。

(そこか!)

 泥怪人と共鳴した箇所、右脇腹の一部へと突きを放とうとする。

 その瞬間だった。

───バキッ!

 突然、泥怪人の表面に大きな亀裂が入った。

「えっ…?」

 突然の音に、黒谷は思考は停止してしまう。そして、その一瞬の内に亀裂から黒い液体が流れ出した。

 亀裂から出た液体はみるみる形を変え、体長2メートル程の人型を形成する。

「テメェ…!」

(コイツ、残った水を本体に集めてたのか…!)

 復活した泥怪人は商店街の外へと走り出す。

(まずい!)

 すかさず黒谷も泥怪人を追いかける、だか。

───ゴドッ!

「痛っ!」

 黒谷の酷使した脚は、彼の思い通りには動かず、盛大に転んでしまう。

(クソ、水を吸わせる訳には…!)

 泥怪人は濡れた道路に触れ、水を吸い上げる。

 道路に触れる手はぶくぶくと膨れ上がり、その膨らみは泥怪人の胴体へと向かっていく。

 そして、泥怪人の胴体に膨らみが取り込まれそうになる、その瞬間だった。

───ザシュッ!

 紅い一閃が、泥怪人の胴を貫いた。

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