第9話
寒い。
温度の感じない体のはずが、どうしてか冷たい。
見下ろす人達はみな半袖のTシャツと半ズボンで、とても暑そうだ。それもそうか、今は夏で、梅雨が上がって、湿度も温度も高いのは当たり前で。本当は寒いはずもない。温度の感じない体でもそれくらい分かる。
なのに冷たい。心なのか体なのかとても冷たかった。人に触れられないからなのか、人の体温を忘れているからなのか。きっと温度は人から生まれるんだと感触の無い体を抱きかかえた。
どうして彼から離れたのか、どうして私はこんなところに来ているのか、わからなかった。
太陽は沈んだのに街頭や、街並みの光が照りつけるのがよく見え、より私の影を濃くするようだった。私に影はないのに。
私はどうしてか屋上に来てしまっていた。しかも自分のではなく、少し離れた私立高校。無意識のうちにここに来てしまったが、ここはどこで、私はここに何をしに来たんだろう。
コンクリートの冷たい感触に、越えようと思えば簡単に越えられる錆びれた金網。
私は仰向けで寝転ぶ。ゆっくり目を閉じると体が軽くなって、浮かんでしまいそうだった。その懐かしい感覚に自分のなのかわからない光景がフラッシュバックした。
「百恵はさ、何のために小説を書くの?」
聞きなれた声。穏やかで、和やかで、とても安心する声。
私はこんな回答をしたのを思い出す。
「私はね、小説を通して色んな経験をして、色んな所に行きたいから。だって人生って一回だけだよ?そんなのつまんないじゃん?」
「ファンタジーの世界みたい」
と彼女は弾ける声で笑う。その度に私はツッコんだ。
「笑うなよ。いいじゃん。そのくらい。だってさこの世界はちょっと息苦しくて、寂しくて、狭い」
「確かに。私たちには、というか狭すぎるよねこの世界は」
「そうそう。もっと広かったら、まさに羽があったら飛びたい的な?」
「何言ってんの?」
「また笑って!ちょっとバカにしすぎ!じゃあ、千佳はなんで書くの?」
「え?私?」
そうだな。と彼女は朗らかに微笑んでいた。意志の籠った眩しい声で。
「私の言葉を残したいから」
目を開けると星空さえ霞むほどの街の光。ああ、やっぱり少し息苦しいね。
なぜだか虚しくなる気持ちを抑えられなくて、不意に涙が出た。その時――――
「思い出したの?」
肩で息をして、汗だくになりながらも、今にも倒れそうな体を扉で支えている彼が立っていた。
※※※
先輩から貰ったメモを頼りに僕は重たい体を叩いて走った。どうして僕もこんなに必死に探すのかわからなかった。ボロボロになりながらも女の子を探すという行為はさながら物語の主人公みたいだなと我ながら思った。
走ることで熱が上がる。暑いのか寒いのか、多分暑いんだろう夏の地面をひたすらに走り続ける。夜は深け、笑顔を携えた満月が顔を覗かせていた。誰のために笑っているのか、きっと、泣いている人のためだろうな。
メモに書かれた高校につき、誰もいないことを確認してから勝手に忍び込んだ。見つかれば怒られるじゃ済まないだろう。
そうして僕の学校でも同じようにある階段を登り、屋上に向かう。
……やっと、見つけた。
屋上の扉の小窓から、僕にしか見えない影が見える。確信もなしに彼女だと気づいた。
ゆっくりとドアノブを回し中に入る。そこには……。
一日だけしか会っていないのに、随分と久しぶりのように感じる彼女が、膝を崩して、泣いていた。満月は彼女のために、笑っていたのか。
「思い出したの?」
恐る恐るそう聞く。彼女はなんとも言わずに、ただコクンと、首を縦に振った。
僕は何も言わず彼女の隣に腰を下ろして空を見上げた。
眩しく光る星たちは本当はもっと輝いて見えるんだろうが、街の街頭とひと家の光にその輝きを吸い取られるようだった。もちろん暖かみがあっていいんだけど、少し息苦しい。
「ねぇ、君はさ。小説、どうして書いてるの?」
深く考えたことなかったな。
僕が小説を書く理由。それはたくさんある。千春さんに影響されたとか、こんな経験をしてみたいとか、けど、どれも本質的な理由にならないのかもしれない。それでも、あるとすれば。
「僕の言葉を、残したいからかな」
「…………」
彼女は驚いたように僕を見た。そして何かに重ねるように僕を見た。
「さっきの話だけど。思い出しちゃった。私が忘れていた記憶は」
「知ってる」
さらに驚いたように彼女は僕を見た。
「ごめん。実はさ、白鳥先輩に聞いたんだ」
「雫が?!もう!何してるのよ!」
君は何人の女性を誑かすんだ?と言われたがそんなつもりはないし、誑かしてない。
「でもそっか〜、知られちゃってたか」
「少しだけだけどね。だから、君から直接聞かせて欲しい」
そうだね。と一呼吸置いてから彼女は話してくれた。
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