月は椿を践む
黎れい
椿
彼女が好きだった椿は醜く硬化していく
寒さで手はこわばり、鼻を突き刺す様な煙の匂いがする頃。僕は図書室に二度目の足を踏み入れる。本は好きだが、この場所は気分が悪い。本を嗜む事を目的とするのでは無く、学業に勤しむ者が多いからだ。その様な者たちを横目に見ながら僕は不慣れな手つきで検索機を使う。在庫はあるが指示された場所にはないようだ。「文庫1」の棚から順に見ていく事にする。
ここに来たのには訳がある。音楽の授業であるオペラを鑑賞した。美しく感銘を受け、人生で初めて鳥肌というものを実感したのだ。
「海外文庫3」の棚まで見終わった後周りを見渡す。探すことに専念出来ず気になったものを試読していたせいか辺りは静まり返っていた。
陽は硝子に反射し部屋が橙色に煌めく中一人の少女に目を惹かれた。白く透き通った瑞々しい肌に、ほんのりと紅いふっくらとした唇、髪は黒く眩しく陽を反射していた。そこまで顔が整った訳でもないのに目を引くそんな存在だった。
暫く経って僕が探していた物は彼女が読んでいたのだと気づいた。
「君も『椿姫』好きなの?」
彼女は僕を気にも掛けずに言葉を放つ。
「椿の花が好きなの。」
僕は、困惑し疑問に思う。椿の花が好きだとしても『椿姫』を読む理由にはならない、僕が読んだ方が有意義な時間なのではないのだろうか。
「椿の花になりたいの、だから椿に関する事は全て知りたい。」
「生涯かけても全ては無理なのでは?」
「そう、勝手に言えばいい。貴方は美しくなれないのね。」
僕は嫉妬に近い感情を抱いた。こちらを向いた彼女はとても美しかったから。暫く見蕩れた後虚しく我に返る。
「何故、椿にそこまで陶酔してる?」
「椿の花は綺麗な状態で散っていく、私は椿みたいに1番綺麗な状態で死にたいの。」
高揚とした表情で僕を見つめながら、そう言い切る。
彼女は、彼女自身に陶酔しているのではないか。
「馬鹿馬鹿しい、理解ができない。」
口から零れていく。
「そうなのね、この本は貴方に渡すわ。私は白い椿になりたいの。」
「君は近々椿のようになるのかい?」
「えぇ、そうよ」
「僕が君の散る瞬間に立ち会う事を許してくれるか?」
僕は何を言っているのだろうか。
「丁度、貴方みたいな人を探していたの」
この数分で、僕にどの様な変化があったのだろうか。椿の様な存在の彼女に魅入られたのだろう。一緒に帰ろうと彼女は言う。
外に出ると、細々とした街頭だけが僕らを照らし寒さで君の眼は潤む。そうして、僕らは自転車を押し始める。
学校から出て、五分ほど経った時彼女は口を開いた。
「椿は月に照らされると綺麗に見えると思うの。貴方は私の月になるのかな」
「僕に期待をしないでくれ。責任を負いたくないんだ。」
「次の満月の日に椿になろうと思っているの。」
彼女は幸せそうに告白する。
僕は何も言えなかった。
それからの毎日は、何も変わらなかった。起き、授業を受け、ご飯を食べ、お風呂に入り、寝る。
依然として、僕の生活は保たれてた。
満月の夜までは。
LINEが二件。住所と、
「椿になれたよ」
とそれだけ。何だこんなにも脆いものなんだな。アプリでマップを開きナビに従って走っていく。
寂れたアパートに辿り着く。202号室。扉は空いていた。1人で住んでいるのだろう。リビングのドアを開けると。
彼女は、白いフリルのロングワンピース白い縄で首を吊り、背景には満月が。
暫く経ち、僕は彼女の頬に触れる、これから彼女の柔らかい肌は硬く醜くなっていく。
僕はこうして彼女の最期の姿を見届けるのか。彼女は椿になれたのだろうか。僕は君を踏みにじる。
僕にとっての椿はあの図書室での彼女だ。
あぁ、君への献花は白い椿を捧げよう。
「君は完全な美しさにはなれなかった」
こうして、僕は醜くなりゆく彼女らしき物体を抱き抱え『椿姫』を読みながら一夜を共にする。
月は椿を践む 黎れい @reidesu2525toha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。月は椿を践むの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます