第16話 澄香さんの独白

 ぼくらは学校を出てバスに乗り、澄香さんがいつも降りるバス停で降りる。

 ステップを降り、広がる景色は彼女が住む、見慣れない町。そこは閑静な住宅街で、立ち並ぶ家はどれも新しそうだ。駐車場に停まる車のエンブレムは三軒に一台は外国車だ。こういう街並みをベッドタウンと呼ぶのだろう。

 バスから続いてる他愛のない話題を引き延ばしながら、大通り沿いを行く当てもなく歩き続ける。


「それで……これからどうするの?」


 当然、目的のない歩みは澄香さんが許さなかった。問いかけにはぼくも困った。「どこかに寄ろう」なんて誘ってみたけど、具体的な行き先は決めてない。いつも行き当たりばったりなのだ。


「近くにさ、落ち着ける場所とかないかな?」


 澄香さんの家に、なんていう言葉は絶対に言わなかった。女性の家に入るというのは、相手に大変気を掛けることを知っていた。漫画やアニメのように、必ず誰かを招きいれるように清潔が保たれているわけではない。それは、ぼく自身にも当てはまることだが。


 澄香さんは考える素振りを見せた後、道の先を指さし、「この辺には……なにもないけど……。ショッピングセンターくらいなら……」といった。


 続けて、「そんなに……大きくないショッピングセンターだけど……」とも付け加えた。


 ショッピングセンターと聞くとこの間の夏休みでのことを思い出す。そういえば、タっちゃんたちと買い物したのもあれが最後だ。だが、よく話を聞いてみればスーパーとドラッグストア、そしてローカルのパン屋が入っているだけのものらしい。

 少なくとも自販機とベンチくらいはあろうだろうし、そこで軽く話が出来ればいい。

 ひとしきり説明してくれた澄香さんに礼をいい、「そこでいいや」と告げて歩き始めた。デートにしては随分冴えない場所だが、今日は彼女を特別になにかしたいわけじゃない。

 ただほんの少し、彼女の話を聞きたいのだ。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 二階建ての真っ白な外壁のショッピングセンターの前まで辿り着くと、すぐ隣に大きな公園があることに気付いた。入り口には噴水があり、流れ出た水は階段に合わせて下り、そこを抜けると野球が出来そうなくらい大きな緑の芝に覆われた広場が見える。

 ショッピングセンターは夕食の準備のためか、買い物客で混んでいた。そこでぼくは澄香さんに提案し、飲み物だけを買って公園に行こうと告げた。澄香さんは頷き、同意してくれた。

 ぼくは店の前に置かれた自販機で飲み物を買う。ぼくは甘い炭酸飲料、澄香さんは冷たい緑茶の缶。ぼくが奢った。

 

 ショッピングセンターの敷地から出て、道路を渡って公園に入る。あの夏の“聖地巡礼”の日を思い出す。ただ公園も商業施設も、あの日と比べたら規模はまったくと言っていいほど小さいが。

 噴水を通りすぎ、広場まで出ると落ち着ける場所を見つけようと見回した。ぐるりと見回した時、柵で囲まれた屋根付きのベンチが目に留まった。確か、東屋あずまやという呼び名だったはず。


 指を差して「あそこに行こう」と促し、澄香さんと一緒に東屋の中に入り、少し古ぼけた木製のベンチに腰掛ける。

 ぼくは買ったばかりの炭酸飲料のペットボトルの蓋を開けて一口飲みこんだあと、意を決して切り出した。


「澄香さん。もし思い過ごしだったらいいんだけど、最近悩みとか、ない?」


 プルトップを外そうとしていた指が止まり、目を落とす。ぼくらの間に沈黙が生まれ、妙な緊張感が漂い始めた。こういう時、嫌でも動悸が強くなる。次に出る言葉が、怖いのだ。

 生暖かい風が一瞬通り過ぎたあと、すぅっと小さなため息を吐いたあとに続けた。


「実は……三年生になってからずっと書いている小説が……思うように進まなくて……。ここ最近は……なんにも思い浮かばなくて……。書いても書いても……どうしても筆が止まるの」


 その弱弱しい声音がぼくの胸をひどく打った。澄香さんはずっと下を見たままだ。


「書き終えても……自分でも納得できない出来で……。それで……担当してくれている……編集の人と、話して……いまは受験に……集中しようって……」


 ぼくは小説のことはわからない。だが、書籍化まで辿り着いた彼女だ。ここまで落ち込むということは、相当堪えたものがあるのだろう。言い終わったあとに、重苦しい沈黙が流れた。

 初めて見た澄香さんの落ち込んだ姿。いつも輝いていた瞳がどこか曇っている。


 三年生からといえば、ぼくがちょうど澄香さんに声をかけた時期と重なる。あの春から、澄香さんに対して自分の中に沸き上がった澄香さんの偶像を研究するばかりで、彼女自身のことなど一ミリたりとも考えていなかったのだ。きっと、彼女の時間をじわじわと奪っていたに違いない。そう思えてならなかった。


 無性に罪悪感がぼくの中で疼く。でもきっと、彼女は自分のせいだと責めるに違いない。そういう風に、背負い込む彼女を想像するだけでも苦痛だった。


「『小説はいつでも……書ける』そう、言っていたから……」


 ぼくのことを気に掛けてだろう、澄香さんがそんなことを囁いた。その声音は弱く、最後の方はいつも以上にか細い声だった。


 遠くから小学生くらいの子供たちのはしゃぐ声と、通り過ぎる車のエンジン音が耳に響く。それ以外はなにも聞こえない。

 どうにか、彼女が元気になれるような、気の利いた言葉を探す。だが、彼女が追いかけているものは、ぼくのような人間が力になれることがないのだ。おまけに、自分の身勝手な行動が、彼女の大事にしているものを奪っている気がしてならなかった。

 悔しい。なにも出来ない自分が。

 自分という存在が、こんなにも、無力だったとは。

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