第4話交錯そして発砲 ②
「オリー、起きろ。仕事だぞ」
下の階からの怒号で、オリーの大きな目は快活に開いた。布団を激しく蹴り上げ、一回転してベットからはじき起きる。
オリーは階段を五段飛ばしに降り、居酒屋の裏口を蹴り飛ばした。
「仕事だ!」
「うるせぇ。扉壊すな」
居酒屋のマスターが怒鳴る。オリーは笑った。
「いつものことじゃん」
「こっちは毎日直しているんだぞ。んだぁうらぁ……」
オリーの元気は有り余っていた。もちろん、昔から騒がしく情熱的な男ではあったが、あのボストンでの茶会以降、感情が高ぶって仕方がないのだ。希望に満ち溢れている。
オリーは早速仕事を開始した。幼き頃マスターに拾われて以来、ずっと居酒屋で働いている。手際よく机を拭き、椅子などを揃えていく。
豪快かつ、機敏な動きだった。
居酒屋は今日も賑わっていた。歌が歌われ、罵声が響き、絶え間ない笑い声が一日のうっ憤を晴らす。
オリーは人気者だった。いつも楽しそうだし、よく笑う。イギリスからの独立を……なんてことを自慢げに話して、夢想家だと馬鹿にされることはあるが、本人にとっても、客にとっても、それは重要なことではなかった。
「おい夢想家さんよぉ」
今日もいつものように常連が声をかけてきた。
「何だい?」
オリーは常連の客の隣に座る。常連は空のジョッキを手でもてあそんでいた。
「お前、いつも独立があぁだとか、戦争がこうだとか言ってるじゃねぇか、え?」
「あぁ、言ってる。それがどうした。またからかってるのか」
本当のところ、オリーにとって独立という言葉は、何の意味も持っていなかった。オリーが欲しているのは、戦い。体が勝手に求めているのだ。いざその場面になったら、誰かを殺してでも戦いたいという気持ちまである。さすがに、人にそんなことは言えないから、巷で流行りの独立という綺麗な言葉で自分の欲望を語っているだけだ。
「違う」
常連は笑みを浮かべた。
「本当に始まるかもしれんぞ。独立戦争が」
「……」
いつもはオーバーなリアクションをとるオリーが、今回ばかりは言葉の通りあっと息を飲んだ。一息ついて体の内から興奮が湧き上がってくるのを感じる。
「く、詳しく」
すると常連はにんまりと笑みを浮かべて空のジョッキを前に突き出した。
「おい、卑怯だぞ」
「ふふん、なら……」
常連は自分の手で口を覆った。
「この野郎」
オリーはジョッキを持って裏へ行き、なみなみとビールを注いで戻ってきた。
「どうだ。さっさと教えろ」
常連はビールを美味そうに飲んで、大きなゲップをした後に言った。
「少し遠出をすることがあってな。そのときに二人の男の話をたまたま聞いたんだ。その二人によると、どうやらコンコードに武器と弾薬が隠してあるらしい」
「それってもしかして――」
「そうだ。男たちはイギリスとの戦争の準備をしているんだ」
オリーはついにこらえていた興奮を制しきれず、椅子を倒して勢いよく立ち上がった。
「もうすぐ、始まるのか……!」
オリーの拳は固く握られた。あのとき、ボストンで感じた興奮を再びはっきりと感じることができる。言葉では表現しきれない、心が揺さぶられるような感覚。
でもまだ足りない。あそこで感じたのは始まりだ。
戦争。戦争。
頭の中で恐怖はあった。しかし、体はただひたすらに、動きを求めていた。
「よし、兵に志願しよう」
飛び出そうとしたオリーを、慌てて常連が止める。
「おいおいおい、待て、待て」
「何だ、止めるな」
「話は最後まで聞け」
「まだ話すことがあるの?」
常連はオリーをもう一度椅子に座らせ、落ち着かせた。さすがの常連も、オリーの興奮様には若干戸惑い、やや酔いが覚めている。
「いいか、オリー、よく聞けよ。戦争はもうすぐ始まるんじゃなく、間もなく始まるんだ」
「ん? 何が違う」
「二人の話によると、どのルートでかはわからないが、コンコードに武器があることがイギリスにばれた可能性があるらしい。二人の男たちはまだその情報を公表せず、その情報ルートを暴くことに力を注いでるらしいが――」
「馬鹿な。そんなことしている場合じゃない。もしかしたらすぐにでもイギリス軍が攻めてくるかもしれない。もう港を出港したかも」
「そういうことだ」
オリーは黙り、常連も黙った。
「それはいかん!」
オリーは椅子を蹴飛ばし、立ち上がった。椅子はそのまま宙を舞い、隣のテーブルの環境を破壊する。
悲鳴と罵声が当然起こる。オリーはそれが自分に向けられていることなどこれっぽっちも気にせず常連に言った。
「どうしてこのことを他の人にもっと言わない?」
「こんな話、お前以外誰が信じる?」
「そんな」
信じられないといった表情のオリーの背後から、楽しい宴会を破壊され、激怒した大男が鬼の形相で近づいてくる。オリーの肩をつかんで怒鳴った。
「おい、お前、弁償しろやゴラァ」
対してオリーは、大男の目を見据えて大声で言った。
「君は誰だ?」
乱闘が始まるぞ、と店の客は全員そわそわし始めた。
「何だと、俺らの宴を破壊しておいて……ぶっ殺してやる」
大男が拳を繰り出してきた。息を飲む観衆。盛り上がった筋肉は伊達ではない。しかし、オリーは避けない。男から目線をそらさず、自らも拳を繰り出した。
拳と拳が激突し、骨が粉砕される鈍い音が鳴り響いた。顔をしかめる観衆。オリーは無傷、大男はのたうち回っていた。
悪いのはオリーなのに。観衆は気の毒そうに大男を見つめた。拳の骨は砕け散っているだろう。
オリーは大男に見向きもせずに二階へと駆け上がり、数分後には荷物を背負って店の外へと駆け出していた。当然店の扉は吹き飛んでいる。大男はまだ転がり続けていた。
マスターですら口を開けて呆然としている。あっけにとられた店内で誰かが呟いた。
「あいつ……やべぇ……」
その場にいた全員が大きく相槌を打った。
オリーは夢中で夜道を駆けていた。が、不意に立ち止まる。息は上がっていなかった。腕を組んで首をかしげる。
「あれ……俺は何処に行けばいいんだ?」
ようやく頭が冷えてきたようで、オリーは状況を理解して顔をしかめた。
どうやら俺はまた後先考えずに暴走したようだ。
マスターの怒った顔が容易に想像できる。
オリーは昔からよく暴走する。理性が無視され、体が勝手に動き始めるのだ。
一生分の水分を先に摂取してしまえばこの先の人生楽ではないのか、と思ったときには、近所の池の水を全部飲んでしまったし、地球の裏側へ行こうと思ったときには、何故だか腕だけで地面をひたすら掘り続けた。結局、前者は二か月間激しい腹痛と下痢に襲われ、後者は爪が剥がれると痛いということに気がついて断念したわけだが、今回もその癖が出てしまったに違いない。
いや……とオリーは自分の考えを否定する。今回の暴走はいつもとは違う。今回こそが本物だ。今のために今までの暴走があった。今日は信じよう。
オリーは大きく深呼吸して、冷静さと興奮とを共存させた。常連が言っていた言葉を思い出す。
そうだ、コンコードだ。コンコードに武器が隠してあるらしい。腕っぷしに自信がないわけではないが、さすがに銃剣を携えた兵士に素手で殴り合って勝てるわけがない。
オリーはコンコードで武器を手に入れ、そこで何とかして兵士になることに決めた。
コンコードには何回か行ったことがある。全速力で走って、着く頃には昼だろう。
不意に、冷静な思考が訪れた。
夜道は明かりがなく、猛獣がいて危険だ。それに体は一日の疲労が確実に溜まっていて、全速力で走ることは難しい。仮にコンコードに着いたとしても、疲れ果ててそこで倒れてしまうかもしれない。金はあまりないし、人脈はもっとない。ここは一旦家に帰り準備をしてから、夜明けと共に万全の状態で出かけるのが得策だろう。
オリーは首を振った。
よし、全速力で走ろう。
直観としか言いようがなかった。だが、確信のような感覚があった。今が、そのときなのだ。自分が欲している何かがこの先にある。暴走が、それを導いているような気がする。
オリーは走った。一歩先すら見えない暗闇を、簡単に足をくじきそうないびつな大地を。彼はまるで鬼ごっこをしている子どものように無邪気な笑顔で駆け抜けた。本能が彼に道を示し、石が転がっていない安全な場所に足を下ろさせる。
驚異的な速さと体力だった。冷静になって考えてみれば考えてみるほど、ありえない速さと体力だった。チーターが乗り移っていたのか、体力という概念が彼には存在しないのか。
オリーは明け方にレキシントンに到着した。コンコードよりやや東の村である。
息を荒げながら村に入る。
途端に、息が凍った。予想だにしない光景が広がっていたのだ。
眼前に、にらみ合う兵と民。赤く燃え滾る誇りを掲げたイギリス兵と、固い抵抗の意志を体に宿す植民地の民。互いに銃を構え、にらみ合っている。人数は少なかったが、漂っている雰囲気は戦場に他ならなかった。
戦の前の静けさ。
初めての戦場にオリーは思わず立ちすくむ。
き、急に……。俺は遅れたのか?
張り詰めた空気の中、イギリス小部隊の隊長らしき人が声を張り上げた。
「武器を捨てろ!」
声が空気に絡み合い、緊張の糸が小刻みに震える。それでも植民地側は微動だにしない。
「……さもなければ、わかるだろう?」
一触即発。心臓の鼓動だけが大きく聞こえた。
そんな緊張の瞬間にもかかわらず、オリーは向かいの家のそばで、不思議な動きをしている男を発見した。
背が高く、漆黒のコートを纏った凛々しい顔立ちの男。目にかかる金髪を、頭を振って払う仕草が妙に色っぽい。だが、動きは明らかに変だ。片足で立ったりして、何故か顔には満面の笑みを浮かべた瞬間もあった。
いや、ちょっと待て。オリーは目を見張った。男が手に持っているのは、銃だ。
男もオリーに気がついたようだ。銃を掲げて首をかしげてくる。
オリーは大慌てでジェスチャーを繰り出した。男がもし銃を撃ちでもしたら、戦争が始まってしまう。
戦争の匂いに惹かれてここにきたとはいえ、こんな開戦の仕方は望んではいない。こんな村の中心で戦争が始まったら、関係ない人や物まで傷つけることになる。そんな戦いはまっぴらごめんだ。オリーは馬鹿だが、愚かではない。
銃を、撃つな。オリーの渾身のジェスチャーは全く伝わらず、男は笑顔を浮かべただけだった。オリーの必死さが面白いらしい。
しー。オリーは口に指をあてて、必死に男の発声を阻止しようとした。どうやらこれは伝わったらしく男も頷いた。
よしよし、とオリーがホッとしたのも束の間、男は銃をこちらへ向けてニコリと笑みを浮かべた。
なんて奴だ。オリーは頭を抱え、発狂しかけた。
引き金を、引くな。オリーはジェスチャーで引き金を引く動作をした後に手でバッテンを作り、禁止を表した。
男は理解した様に頷いた。オリーはまた胸を撫でおろす。
男の銃が火を噴いた。
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