#3

 翌日。


 カラッと晴れた放課後。


 「んあ?」


 「あ、ありがとう…ございました」


 二年生たちが利用する靴箱の近くで、私は傘を返した。


 「いいって言ったろ?」


 彼は、きょろきょろと周りの視線を確認して、急いでそれを受け取る。


 「一応、借りっぱなしは、ダメだと思ったので、バチ当たりそうだし」


 よく見ると、綺麗な鼻筋をした灰岡翔は、かかっと笑った。


 「お前そういうの信じるんだ! 意外!」


 軽々と一笑する彼に、私は、少し、いやかなり苛立った。


 「お前って言うのやめてもらえませんか?」


 この、相手を蔑ろにするような二人称にも、腹が立つ。


 「だって、お前の名前、知らないもん。しょうがねえだろ」


 「あっ…」


 それもそうだった。彼とはもう二度と合わないと思ったし、あの理不尽な状況下で

消えゆく昼休みに動揺していたからというのもあり、名を名乗ることを忘れていた。


 「目黒、です。目黒唯花」


 「へえ、めぐろゆいか」


 「なんですか?」


 からかっているような反応が、いちいち腹立つ。


 「じゃあ、目黒」


 「はい」


 教師意外に目黒、なんて言われるのは新鮮だったが、やはり年の近い男子から、し

かも嫌われ者の男子からいきなり呼び捨てにされるのは癪だった。


 ぶっきらぼうに返事する私を、心配そうに見つめる灰岡翔。


 「お前…」


 「なんですか?」


 「ここまで付いてきて大丈夫なの?」


 「どういう意味ですか? …って…、あああっ!!」


 やってしまった。


 靴箱から、帰路の途中まで、いつの間にか歩き出してしまっていた。この嫌われ者

と一緒に! 他にも下校している生徒たちがいるにもかかわらず、自然と、彼の隣を

歩いてしまっていた。


 迂闊だった。


 「ああ、ええと…! 私は…!」


 平静を保てなくなった私は、あたふたと辺りを見渡し、周囲の生徒たちの目線に怯

えたが、私は、開き直った。


 今日の本当の目的は、ただ傘を返しに来たわけではない。


 「話があるからです」


 「はあ?」


 「お時間、もらってもいいですか?」


 「いいけど」


 怪訝そうに首をかしげる彼に、今度は私の方が、先を歩いて、先導した。






 そして。


 「人殺しなんですよ、あいつは」


 言った。


 私の知りえる全てを話した。あいつが、特別な『チカラ』を使って、姉を殺したこ

と。それに対して、私はあいつを殺そうとしていること。


 「そういう訳で、私は、あいつの『チカラ』を否定して、微塵の希望も消し去って

から、あいつを殺します。それが、私の復讐」


 「…、そうか」


 彼は、一切口を挟むことなく黙って聞いていた。


 けれど、彼は何か言いたげで、私が話し終わるのを確認すると、口を開いた。


 「分かんねえな」


 夕陽に照り映える川面を見つめ、近くの小石を投げながら、彼は何の感慨もなさそ

うに言った。


 「え?」


 私は、あっさりと否定されたことで、怒りを隠せなかった。


 「分かるでしょ? 逆になんで分からないんですか?」


 責めるように問い詰める。今まで彼に気後れしていたが、今はそれが全くなかっ

た。


 私には、味方なんていない。母親も、父親も、同級生も、全員が私の敵だ。私の考

えを否定する、頭の悪い生き物たち。


 目の前のこいつだって、彼らのうちの一人なんだ。


 「分かんねえんだよ」


 「だから、なんで分からないんですか!? 姉が殺されたんですよ?」


 「だってさ、お前は大切な姉を奪った白木に復讐したいんだろ?」


 「…はい。だったらなんですか? さっきからそう言ってるじゃないですか」


 露骨に苛立つ態度を取ってしまう。見るからに思考の浅そうな男に嫌気がさす。


 しかし、直後に放たれた彼の言葉が、私の揺るがぬ意志のど真ん中に、突き刺さっ

た。


 「たぶん、お前の姉ちゃんは、それを望んでねえだろ」


 数瞬、固まった。


 「そんな…、そんなこと、あなたには分からないじゃないですか!? 第一、私の

ことなんて大して知らないくせに! そうよ、白木圭の方が付き合いが長いから、あ

いつの肩を持ってるのよ。どうにかして私のことを否定してやりたいから、それらし

い嘘を、…ついてるだけ」


 本当は、分かってた。

 お姉ちゃんが、そんなことを望んでないのは。


 でも、このまま何もしないで、お姉ちゃんを殺したあいつだけが、お姉ちゃんを置

き去りにして前へ進んでいくのが、どうしても嫌だった。


 だから、私は、もう後には引けない。死んだ人が、殺した人を復讐できないんだか

ら。


 「俺の勘違いかもな、ごめん」


 私の動揺を察した彼は、すんなりと謝った。


 彼の意外と謙虚な態度に、私はたじろいでしまう。


 「でさ…、聞きたいことがあるんだけど」


 「…なんですか?」


 彼は問うた。


 「目黒は、白木の『チカラ』は、絶対に誰かを不幸にするって、思ってるんだよ

な? 人を傷つけて、挙句の果てには殺してしまう、と」


 「はい、もちろんです。あんな気持ちの悪い『チカラ』、存在しなければよかった

んです。持ち主も」


 姉の死を思い出しながら、あの人殺しの顔が蘇る。


 「分かった!!」


 彼は急に、両手で力強く一拍し、今までの重苦しい面持ちを笑顔に急変させた。


 「急になんなんですか?」


 「勝負だ!!」


 「はあ?」


 嫌われ者は、自慢げにふんと鼻息を漏らし、偉そうに腕を組んで仰々しく、得意げ

に説明を始めた。


 「まあ、勝負っつっても、基本的に俺は何にもしないけど。いいか? 白木の『チ

カラ』ってのが、本当に悪いものなのかって言う賭け事をしようってことだ」


 「賭け…」


 「そう! 俺とお前で賭ける。お前は、白木の『チカラ』で対象を不幸にすること

に。俺は逆、白木の『チカラ』で、その対象が幸せになることに」


「なんだか抽象的な内容ですね。そんなことで勝負がつくかどうか。浅はかで幼稚な

考え」


 「お前って結構酷いこと言うのな。人殺しより怖いわ」


 「人殺しの方が怖いに決まってるじゃないですか? で、あなたは何を賭けるんで

すか? 私の方は、負けたら復讐を止める、みたいなものでしょうけど、あなたはど

うするんですか? 復讐を手伝ってくれるとか―」


 「ああ」


 即答だった。


 そして、


 「そんで、二人であいつを殺したあと、俺も死ぬ」


 「えっ…」


 固まる私を置き去りにするように、彼は続けた。


 「当たり前だろ? お前は勝負に乗らなくてもあいつを殺す予定なんだから、もっ

といい条件を差し出さないと意味がない」


 当然だと言わんばかりの顔で私を一瞥し、彼は笑った。


 「じゃあもう一つ、『俺だけ』があいつを殺したことにして、俺は自ら命を絶って

死ぬ。白木圭を殺したことに責任を感じて俺も死にます、とかなんとか書いて自室の

勉強机の上にでも置いてりゃ信じてくれるだろ」


 六月の生ぬるい風を受けながら快活に笑い、自分の命を捨てる話をする彼に、私は

絶句したままだった。

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