第23話 贖罪旅行
真昼の陽光に反射して光り輝く潮騒が、開かれたカーテンへと差し込む。
贖罪旅行。
僕だけはそう呼称するにふさわしい旅は、僕らの住む街の駅の電車から始まった。
「きれいだね~、海」
向かいの席で、スティック状のお菓子を口にくわえたまま、顔を綻ばせて感動する
桃井さん。
「えー、そう? 見慣れた景色だからもう分かんないや」
隣に座る家出少女の青島美奈が、根元まできれいに染まった茶髪を風になびかせ
て、同級生のくせに大人ぶったような態度を見せる。
「ていうかさー」
スティック状のお菓子をつまみ上げ、その先端を僕の頬に押し当てる。
「白木、さっきから暗くない?」
「っ…、ごめん」
「ごめんじゃなくてさー。本人が許してんだから、それでお終いにしてくんないか
な?」
軽くため息を吐く彼女に、僕は未だに、自分のことが許せないままでいた。
「こうなったら…」
「えっ!?」
すると彼女は、向かいに座る僕の隣に座り始めた。互いの身体の側面が触れるくらい
に、近づく。
「な、何してんだよ!?」
傾く彼女の温もりと体重、そして肉質が、僕の身体に直接伝わってくる。
翔の腕が肩に乗せられた時に感じた男子の硬さとは、まるで別物だった彼女の感触
に、酷く動揺してしまった。
そんな僕の反応を楽しみながら、ぐい、と土を掘り進めるように身体の側面を押し
当てる。
「や、やめろって!」
「白木が元気になるまでずーっと、こうしてやるんだから! ほらほら!」
「そんなこと、言われたって…」
「なにしてんの?」
夏の暑さに、刺すような冷たい視線が突き刺さるのを感じた。
桃井さんが、不純物を見るような軽蔑の眼差しを、僕らに注いでいた。
「あ、ごめんね、春流ちゃん」
「男性に触れるの、得意そうだもんね」
「ちょっと、桃井さん」
小柄でか弱そうな彼女の口から、とんでもなく辛辣な声音と言葉が出てきたこと
に、驚愕しながら、言いすぎだと僕は咎める。
「ああ、いいのいいの! 私、こういう見た目してるから勘違いされやすいんだけ
ど、私、男の経験なんて、全くないよ? …その、だから、今のは、無理してやった
ことで…」
「青島さん?」
さっきまで勝ち気な様子だった彼女の抑揚が、徐々に消えていった。
そして、隣の僕を、怖いものを見るような目で見て、言った。
「白木に、元気になってほしくて、ちょっと頑張ってみただけ…」
「青島さん!?」
彼女の顔が、次第に真っ赤になった。
具合でも悪くなったのか、僕は本当に心配だったし、もうこれ以上、彼女の気を悪
くさせまいと、僕はもう彼女に『チカラ』を使ったことによる罪悪感を捨てよう、と
明るく振舞った。
「意味わかんない…」
一方の桃井さんも元気がなく、こちらは不調というよりか、これまたよく分からな
いが、どこか不機嫌だった。
「ああ、着いたー」
インターネットのサイトで見つけた格安のホテルにしては、弾力も柔らかさも十分
ありそうなベッドへと真っ先にダイブする青島美奈。
「ていうか、中学生だけでよく泊まれたな」
「まあねっ、所詮は田舎のホテルだし、そういうところは甘いのよ」
「そういうもんなのか…。で、何時に準備する? 荷物置いたらすぐ?」
ここにたどり着いたのはちょうど十二時くらい。僕は、予定通り、昼食の時間を決
めようとする。
「ちょっとダラダラしていきたい~。白木も自分の部屋に荷物置いてきたら~?」
仰向けになり、天井に向って声を発する彼女は、先ほどの具合の悪さは全くなく、
ご満悦な顔でゴロゴロしていて、僕は安堵しながら「はいはい」と、部屋を出ようと
する。
「汗拭かなきゃ…、シャワー浴びようかな…」
汗かきを気にする桃井さんの慌てる声が聞こえた。もしかすると、青島さんはここ
に気を遣っているのかもしれない。
自分の都合で他人を待たせるのが苦手そうな桃井さんのために、自分がだらだらし
たいからと嘯いていたりするのだろうか。
僕は廊下を出て、自分の部屋のカードキーの番号を確かめながら歩き、部屋へとた
どり着く。
長い旅路と長い自己嫌悪を越え、ドアを開けた瞬間、ベランダから見える景色と目
をやった。
「おお…」
無意識に、声が漏れた。
光り輝く海が、さっきの電車で見た時よりも近くて、眩しかった。
僕の好奇心を動かしたのは、それだけではない。海は、ゆらゆらと、滑らかに揺れ
動いていたのだ。意思を持った生き物のように、それでいて不気味さなど微塵も感じ
ないくらい美しく、流麗に、舞うように。
青島美奈に、早くお父さんの顔を見せてあげたい。
何の脈絡もないのに、急に思い出した旅の目的。
この青く、光り輝く海が、僕の心を高揚させ、気持ちを逸らせた。
僕の『チカラ』は、きっと誰かの役に立てる。
読んでいる本の記憶を取り戻した瞬間に、一気にその本の世界が構築される快さを
感じられる。
野球に対するトラウマを抱えたままの野球少年に、再び闘う勇気を与える。
そう、今回だって、きっと…。
『人を殺しておいて、何を言ってるの?』
聞こえないはずの声が、自分の内側から鳴り響いた。波一つ絶たない水面に、小さ
な雫が鋭く打たれ、そこから大きな波紋が広がっていくように、闇が広がり始めた。
「そうだけど…、僕は…!」
『割に合わないのよ。役に立ったのか立ってないのか判断できないような救いと、
人を殺した罪が』
言葉は、依然として闇を広げ続ける。
再生される声は、僕が殺したも同然の、あの子にとって大切な人の声。
心の穏やかな彼女が、僕にだけ向けた剣幕。彼女だけが、僕を人殺しと呼ぶ。
なのに僕は、あの日、もてはやされた。
殺したのに。
「あっ…、鍵…、鍵は…!!!」
その場にひざまずいていた僕は、立ち上がり、カバンの中身を息が乱れるほどに慌
てて探る。
「鍵は…、鍵は…!」
それは、ホテルのカードキーでも、家の鍵でもない。
もっと大切な、決して開けることの許されない鍵。誰にも開けさせないために、
『彼女』のことを決して忘れないために、いつだって肌身離さず持っている鍵。
肌身離さず…。
僕は、両方のポケットに、それぞれの手を突っ込む。
「あっ…」
『鍵』の感触を、確かめて、安堵の息を漏らす。長く放たれる吐息。
「わあっ!!」
ドンドン、と玄関のドアを叩く音が鳴るや、「おーい」と部屋の外から、青島さん
の声が聞こえた。
「ほーら、もう充分くつろいだでしょ? ご飯いこー。海辺に立派なハンバーガー
屋さんがあるんだから」
顔を見なくても、無邪気な笑みで迎えてくれていることが分かる声に、またしても
過去に打ちのめされそうになった僕は救われた。
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