第16話 誰にでも

 クラスマッチが三日前に迫った日曜日。


 「ほーら。また手だけで打ってる。体重をちゃんと使いきれてない」


 真昼のグラウンド。


 僕は、蓮井信孝による鬼の指導を受けていた。


 先日の放課後、チナツから聞いた彼の過去を知り、居てもたってもいられなくなっ

た。


 正直、思っていた。人殺しである僕以上に大きな失敗をした人間は、同級生にはい

ないだろうと、勝手に決めつけていた。それはただの、思い込みだったと言うことを

知った僕は、チナツが話を終えた日の放課後、彼のいる河川敷へと足を進めた。


 それから、衝動的になり、クラスマッチの参加種目を問い、君の記憶を消したいん

だと謎の告白をした。


 僕の記憶消去予告に、もちろん彼は困惑した。


 頭がおかしいんじゃないか、と言われた。言われるのは薄々分かっていたけど、実

際に面と向かって言われるとやっぱり少し傷つく。


 それで、チナツが横に入ってきて、それが本当なんだと説得してくれた。


 半信半疑という段階まで何とか引き上げることが出来たが、そんな彼は、僕にとあ

る難題を突き付けた。


 それが…。


 「ほら! 本番でホームラン打つんだろ!? そんなぺっぽこなスイングじゃあ、

俺の記憶なんて一生消せないぞ!?」


 クラスマッチの本番で、僕が一本でもホームランを打てば、彼の記憶を消してもい

い、という約束。


 「はあっ…、はあっ…」


 「ほらー! もう一球いくぞー!」


 「ちょっ…ふぅ…ちょっと待って…。蓮井く…」


 ハエが飛び回るような速度で、僕の腹のあたりを通り過ぎるボール。


 「こんなの…無理だってば…」


 間髪入れずに、ピッチングマシンにボールを投入していた彼の手が、ピタリと止ま

った。


 そして…。


 「無理だと…」


 「あっ、ごめん。今のは取り消し…」


 「無理なんかじゃねえ!! 諦めるな!! お前はそれでも男かぁ!!!? 決め

た約束も果たせないような男なのか貴様はぁぁぁぁ!!?? 自分でやるっつたんだ

ろ!? ならやれよ! 苦しいことがあったら決めた約束をすぐに投げ出して、そう

やって言い訳ばっかりするのか!? ああっ!!?」


 彼は、本日三度目の癇癪を起こした。


 僕が弱音を吐くと、こうして手が付けられなくなるくらいに罵声を浴びせられる。


 「お前、分かってんだろうな?」


 そして、


 「クラスマッチでホームラン打てなくても、俺の記憶を消したら…」


 脅される。


 「ひぃぃっ!! そ、それは分かってるよ!! だからここにいるんじゃない

か!!」


 「じゃあ、まずはボールにバットを当てやがれ、バカ」


 再びボールを投入。


 そして再び、空振り。


 「ぶふっ! …ああ、ごめんごめん」


 で、近くで練習を見ているチナツが吹き出し、桃井さんは半泣きになっていた。






 「へえ~、春流ちゃんって、B型なんだね! 意外!」


 「よく言われます…」


 「なーんで敬語なの?」


 面白おかしく嬌声を上げながらチーズバーガーを口に運ぶチナツ。


 か細く恐縮しながら細々としたストローでメロンソーダを吸い取る桃井さん。


 地獄のような特訓を終えた僕は、鬼コーチの蓮井信隆と、何かと口を挟んできたチ

ナツ、そして口数の少ない桃井さんと一緒に、近くのハンバーガー屋で昼食を摂っ

た。二時を過ぎてやっと口にできる昼食は、これ以上にないごちそうだった。


 「お前、意外と根性あんのな」


 ハンバーガーを三つ食べてもなお、大ぶりのポテトをおいしそうに頬張る蓮井君

が、感慨深く頷きながら僕の顔を眺める。


 「うっ…」


 対する僕は、食欲がないほどに疲労していた。


「身体も木の枝みてえに細いし、激しい運動だって毎日のようにしてるわけでもない

のに。…お前って、結構強いのな」


「あー私も思ってたそれ!」


横で聞いていたチナツも便乗する。


「こいつ、気弱そうに見えて、実は意志が強いんだよね。あのことだって、口が滑っ

たら絶対に許さないから、みたいな強い目つきで私のこと見てたし」


「「あのこと?」」


怪訝そうに僕らを見つめる蓮井君と桃井さんに、僕は慌てて口を挟んだ。


「あ、あのことって、なんだっけかな~?」


 自分の対角線上にいるチナツの足を踏みつけ、僕は張り付けたような笑顔でしらを

切る。女子の足をこっそり踏みつけるなんて、映画や漫画でもそうそうないだろう

な。


 「じゅっ、授業サボったことよ! あんた、真面目くんだから一人でも多くの人に

知られたくないって。口封じなんてしなくてもバレるのにね~。同じ学年なんだか

ら」


 「そ、それもそうだったなぁ~」


 「そうなんだ。大変だったんだね」


 「白木、ウチの幼馴染が悪かったな」


 棒読みになっていないか不安だったが、二人とも自然に信じてくれた。


 「やっぱり、特別な『チカラ』とやらがあるから、人生経験も俺たちよりも豊富な

んじゃねえの?」


 『チカラ』について半信半疑だった蓮井君が、皮肉と本心の中間のような口調で尋

ねる。からかい混じりなところが幼馴染のチナツに似ているようで、心地良いような

鬱陶しいような、複雑な気持ちだった。


 「人生経験…、なんて、薄っぺらいこと、ばっかり…」


 言葉を発しかけて、止めた。


 薄っぺらくなんかない。相手に失礼だ。


 殺した相手に…。


 『この人殺し!』


 『あんたが死ねば良いのに!』


 『返してよ…、返してよ!!』


 『もう私に関わらないで…』


 『ほっといてよ!!? 目障りなの!!』


 『ごめん…ごめん…』


 誰にも気づかれたくない。


 怖い。怖い。


 奪った『彼女』の…。この『鍵』を…。


 守らないと…。






 「い…!」


 ごめん。


 ごめん…。


 「おいっ!」


 「っ!」


 現実に引き戻された。


 「大丈夫かよ? お前、呼吸荒くなってんぜ?」


 「うん、大丈夫。激しい運動は慣れてなかったから、今になって息が苦しいのか

も」


 いつの間にか、肺を締め付けられているかのように息苦しくなっていた。


 「ああ。それならいいんだけど…」


 「まあ、運動不足のもやしくんにはちょーっと響いたかもね~、今日の特訓は」


 「私、水持って来るね」


 「うん。ありがと、桃井さん」


 深く追求してくれないことに、今は感謝したが、蓮井君の過去はあれだけ聞いてお

いて、こちらは打ち明けないことへの後ろめたさが、その後に付いてきて、上手に自

然な笑顔を作ることが出来なかった。

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