第14話 事故
「おっけー、ナイスキャッチー!」
試合は、三回裏。
外野フライを俺が取り、2アウト。
点差は2対0で、俺たちが勝っている。試合の主導権もこちらが握っている。
「バッターアウト!」
投手の先輩が、三振に取り3アウト。
今日は、運も味方している。いや、俺たちの勝ちたい気持ちが、日々の努力が、ち
ゃんと力になっている。
それが今、結果として表れているだけだ。
次の攻撃、畳みかけよう。
外野から、次の攻撃のためにベンチへ帰る足取りは、ものすごく軽かった。気持ち
も身体も、ちょうどよく弛緩していて、最高のパフォーマンスが出せそうだった。
俺は、自分で言うのもなんだけど、勝負強い男だった。県大会への決勝打を決めた
のも俺だし、この試合の先制点を取ったのも俺だ。
今が、すごく楽しい。
試合に出場できて、活躍までできる。
文句なしの、青春。
「信隆」
「茶坂先輩!」
紙コップに入ったスポーツドリンクを持った茶坂先輩が、俺を迎える。いつもの光
景だった。ベンチから少し前に出て守備についていた選手を迎える先輩たちよりも、
気持ち半歩前に出て、俺の帰還を笑顔で待ち、左肩を回して俺に抱擁する先輩。
毎回、盛り上がった方がいい。三年生たちが引退した新チームでの、この新しい取
り組みは、茶坂先輩が提案したものだ。予選の時からずっとやっているが、やはりチ
ームの空気がとても良くなる。さすがはムードメーカー。
と、その時は思っていた。
この瞬間までは。
「っ!」
足に、激痛が走った。
「次はお前の打席だろ? さっきみたいに暴れて見ろや、期待されてる一年生」
うるさいほどに盛り上がる喧騒の中、初めて聞くような彼の冷たい声が、激痛と驚
愕に動揺する俺の耳には、よく響いた。
俺に奪われた『7』番のゼッケンを、ベンチやスタンドに見えない角度で、強く握
りしめながら、鳥肌が立つほどの剣幕で俺を睨みつけた。
迎えた打席。
先ほどからヒットを打ち続けた俺は、ついに三振に倒れた。
足が痛かったこと以上に、普段から親切でお調子者の先輩の顔が、何かに取り憑か
れたように豹変したことが気掛かりで、試合になど集中できなかった。
そして、事故は起こる。
球場へ出発する前からずっと晴れていて気持ちの良かった青空に、白い点のような
白球が俺の方へと落ちてくる。
グラブをはめて守備へと交代した俺は、意識した。
また、踏まれるのではないだろうか。
どうして、あんなことをしたのだろうか、なんてのは大体わかっている。レギュラ
ーの座を、俺が奪ってしまったからだ。
俺を踏みつけた瞬間に見せたあの怒りの表情は、今となっては嘘のように明るく、
チームを応援している。
俺は、怖くなった。
この先のことを、考えてしまった。
守備から戻る時だけではない。帰りのバスでも、これからの練習も、いつかまた、
二人になったら、周りに気付かれないところで接触したら…。
考えると、怖くなった。
だから今、俺の方へと飛んでくるボールを。
「おい! 信隆!」
落としていた。
気付かぬ間に、捕ったと思っていたボールは、グラブから零れ落ちていた。
「っ…!」
俺は、現実に引き戻された。
隣の守備位置にいた先輩がカバーに入る。
「どうしたんだ? しっかりしろ!」
「すいません…!」
取り返しのつかないミスをしてしまった。
取り返さないと…。
そして、再び俺の方向へとボールが飛んでくる。
また…。
また…。
捕れなかったら、どうしよう。
「あっ…」
ボールが、グラブを弾いて、真後ろへと落下し、緩やかに転がりながら、やがて静
止した。
試合には、勝った。
俺がエラーを二回して、茶坂先輩と交代させられても、試合には勝った。
ひとまずホッとした、訳は無かった。
バスに乗っている時は、本当に地獄だった。
「とりあえず勝てたな」
「ああ、ねみー」
「疲れたよな」
「まだ夏だよな。今日の気温」
「言えてる」
誰も、俺に声を掛けなかった。
俺の失敗について一切の言及はなく、咎めることも、慰めてくれることも無かっ
た。
いない人間のように、扱われていた。
茶坂先輩の顔を、見たくなかった。
目が合ったら、どんな顔をするだろうか。想像するだけでも、怖かった。
ざまあみろ、と笑っているだろうか。
学校に帰り着いて、監督の話が終わって、解散して、部員たちがグラウンドを後に
する。
帰る気力が無かった。
グラウンドのベンチに腰掛け、夕焼けを眺めると、顔に水気を感じた。
空は嫌味なくらいに晴れているのに、顔は、目は、ずぶ濡れで、その生ぬるい風
は、秋の涼しい風に冷やされて、今の俺には、それだけが心地よかった。
「あ、ああ…うっ…」
ベンチから崩れ落ちた。
地に付いた両手で、グランドの土を、潰れんばかりに握り締めた。
両手の間から、大粒の涙が、何滴も、止むことなく、落ち続けた。
その日を境に、俺は練習に行かなくなった。
いや。
行けなくなった。
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