殺し屋・埃崎のオカルトな一日

夢月七海


『埃崎さん、お願いがあるんです』


 朝方、ある町のアジトで、カップラーメンを食べている時だった。……アジト、とかっこつけて言ったが、実際そこは、夜逃げした一家の残したマンションの一室で、物が多いため好き勝手に使っているだけだった。

 その為、ここにはライフラインが通っていない。今は怪しまれないよう、カーテンを閉めて、キャンプで使うようなライトを灯している。カップラーメンは、コンビニでお湯を入れていた。


 そのはずなのに、突如、この部屋のテレビが点いた。今はもう作られていない、ブラウン管のテレビだ。

 ざざっと雑音と砂嵐の映像が一瞬流れたかと思うと、パジャマ姿の女子高生らしき少女が映っていた。色味のぼんやりとした画面だったが、不安そうな顔で、こちらを覗き込むように顔を近付いている。


 その彼女から名前を呼ばれた時、俺は驚きのあまり、硬直した。こういう時、意外と悲鳴は上がらないものらしい。脳がキャパオーバーしてしまったのかもしれないが。

 開けっ放しになった口からは、食いかけのラーメンが、滝のように落ちていた。何度瞬きをしても景色は変わらず、むしろ、テレビの中の少女は、こっちをはっきりと見据えた。


『あるマンションの一室に行ってほしいんです。そこにあるアタッシュケースを、奪い返してください』

「え……なんで、俺が……」

『その部屋には、二人の男性がいます。彼らは、拳銃を持っています』


 戸惑いまくって間の抜けた俺の質問に、少女はこれ以上なく簡潔に説明した。俺は咄嗟に、すぐ横のダイニングテーブル、その上にある数丁の銃を確認した。

 どうやら、全く意味もなく俺に頼んでいるわけではないらしい。俺は仕事のスイッチをオンにして、もう遅いかもしれないが、ラーメンをテーブルに置き、足を組んで彼女と向き合った。


「依頼というのなら、ちゃんと説明しろ。何が目的か、全く不明のまま受けるほど、こっちは甘くねぇぞ」

『すみません、詳しく話す時間がないのです。あれが、町の外に出てしまうと、こちらは何もできなくなりますから。でも、ちゃんと報酬はあります。お金という形ではありませんが』

「ほう……」


 余裕があるように笑いながら、俺は自分の顎を撫でた。正直、頭の中は「?」の嵐が吹き荒れているのだが。

 ただ、少女がどうしようもなく焦っているのは確かなのだろう。運がいいのか悪いのか、今日一日は休みだった。このままにしておくのも気持ちが悪いので、とりあえず乗っかることにする。


「いいだろう。どこに行けばいい?」

『ありがとうございます!』


 ぱっと花開くような笑顔で、少女は頭を下げた。こうしてみると、普通の女子高生のようだが、電気のない部屋でテレビ越しに会話しているということを忘れてはならない。

 ともかく、彼女から行き先を教えてもらい、俺は外出する羽目になった。






   △






 アジトから自転車で十分以内の位置に、彼女の言うマンションがあった。五階建て、オートロックもない古めの建物で、外見上は何の変哲もない。

 こういう場所に出入りしていても可笑しくないようにと、俺はネットで注文する、飲食宅配サービスの配達員の恰好をしていた。真四角のロゴ入りリュックが目を引くが、ジャケットの内側には銃が二丁、腰のポーチにはマガジンなどを入れている。


 二〇三号室のインターフォンを鳴らす。あまり期待していなかったが、数分後に、中の住民がドアを開けた。

 わずかな隙間から顔を出したのは、髪を金とオレンジの二色染めにした青年だった。訝しげにこちらを見る顔には武骨なメガネをかかっているが、よく見るとコンタクトもしている。そういうファッションなのだろうか。


「ご注文の品、お届けに参りました」

「……なにも、注文していませんけれど……」

「えー? ここのはずなんですが……。確認してもらってもいいですか?」

「はい……」


 一纏めにした長髪に被った、キャップのつばを上げて営業スマイルを浮かべる俺に対して、彼の方は全く覇気がない。虚ろな目のまま、決まりきった受け答えをした後、青年はドアを閉め始めた。

 それを無理やりこじ開けて、青年を押しのけるように中に入る。あっけにとられた彼に、麻酔銃を一発、お見舞いした。


 ……バタンと倒れた青年を見下ろす。『誰も殺さないでください』というのが、依頼した少女の頼みだった。こちらは命を懸けるのに、とも思ったが、彼女は女子高生なのだからしょうがない。

 そもそも、必要以上の殺しはしない主義だから、麻酔銃も普段から持ち歩いている。そのことも、彼女は知っていたからかもしれない。


 異変に気付いたのか、玄関の先、廊下の突き当りのドアが開き、もう一人の男が顔を出した。こちらは、四十代ほどの筋肉質な体型で、青年と同じようなメガネをかけている。

 男は俺に気付き、反射的に腰のベルトから銃を抜く。しかし、構えていたのは俺の方が先だった。彼にも、青年と同じように撃ち込む。


 男が倒れた音を聴きながら、土足のまま、廊下を横断する。ドアの向こうは、リビングになっていた。

 俺のアジトと比べるとずっと綺麗だが、物は必要最低限しかない。その中で一際目を引くのは、ダイニングテーブルの上のアタッシュケースだった。


『埃崎さん、お疲れ様です。第一関門は、突破しました』


 リビングの角に置かれていた薄型テレビが独りでにつき、先程の少女の顔が映った。俺のアジトのものより新しいテレビなので、映像がはっきりしており、笑顔の少女の後ろにある部屋の様子まで窺える。

 最早、この状態に対しては突っ込むことは出来なかったが、彼女の言葉は引っかかる。


「……第一関門ってことは、まだなんかあるってことか……」

『すみません。無茶を言っているのはよく分かるのですが、私一人ではどうしようもなくて……』

「まあ、乗り掛かった舟だ。最後までやり切るさ」


 俺の愚痴にしゅんと項垂れてしまった少女を励ますように、わざとらしく明るい声を出す。何、気を使ってんだと自分に言いたくなってしまう。


『あの、一度、ケースの中身を確認してもらってもいいですか?』

「ああ、そうだな」


 少女がおずおずと申し出たので、アタッシュケースをこちら側に引き寄せる。

 テレビに自分の横顔を見せるような形で、俺はケースをパカリと開けた。


 ケースの中には、首があった。反射的に、ケースを閉めた。

 ……殺し屋だから血生臭い現場に慣れているとはいえ、流石にこれには動揺した。


『それは、神様の首です』

「は?」

『正確には、この町を収める土地神様の首なんです』


 少女の淡々とした説明を受け、俺は改めてケースを開けて、中身を観察した。柔らかそうな赤いクッションの中に納まっているのは、人の首。性別は男。年齢は二十代半ば。短くて黒い髪。閉じた瞳の下には、黒いクマが居座っている。

 頬に触れてみると、人肌の温かさがあり、作り物ではない皮膚の弾力がある。首の断面を覗き見ると、肉や血管などが無く、陶器のように白く滑らかそうなものになっていた。


『外見上は人を模していますが、体の中身は空白になっています』

「……そろそろ、何がどうなっているのか説明してくれないか?」

『分かりました。一からお話します』


 少女は、テレビの前で居住まいを正した。

 話が長くなりそうなので、俺も背後にあった椅子に座る。


『すり鉢状になっているこの町は、目には見えないのですが人間の負の感情が集まりやすくなっています。

 それを浄化させるのが、町の底の神社にいる神様の仕事の一つです。とはいえ、神社自体は管理する人がいなくて、現在は廃墟になっているのですが……。


 負の感情、一つ一つにはそれほど力はありません。モヤみたいなものです。しかし、時々そのモヤが集まり、知恵と力をつけることがあります。

 それは、神様にも人間にもなれないもどきですが、下克上を企んでいます。つまり、神様の力を乗っ取ってしまおうとするのです。


 今回のもどきは厄介です……。町の中で動くと神様に見抜かれるので、町の外から、力を込めたメガネで人を操り、神様を襲いました。

 奇襲によって、神様は首を斬られてしまいました。胴体はもどきが取り込み、首はこうして、町の外へ運び出そうとしていたのです』


 ……すぐには飲み込めないほど、オカルトな話だったが、ここは頷くしかないだろう。

 それよりも、これからのことを訊くべきだ。


「俺はこの後、どうすればいい?」

『神様の首を神社まで運んでください。その前に、後ろの人のメガネを持ってきてくれませんか?』

「大丈夫か? 触っても」

『かけなければ平気です』


 ドアのそばですやすや眠っている男から、眼鏡を外した。こうして目の前で見ても、人を操るシロモノとは思えない。


『これを神様にかけさせてください』

「こうか」


 言われた通りにして数十秒後の、『それを埃崎さん、かけてください』という少女の言葉に、俺は耳を疑った。


「え? いいのか?」

『はい。浄化の力で、操られることはなくなりましたから』


 恐る恐る、耳にかける。度のないメガネなので、風景に変化はない。頭の中に謎の声が響く、ということもない。

 今度は、少女から『外を見てください』と言われた。テレビの横には窓がある。そこに歩み寄った。


 外は、変哲もない朝の町の風景……が、何かが蠢いている。

 大人の身長ほどの真っ黒い泥が、なめくじのように道の上を這いつくばっている。それも、十体以上はいる。


「なんだアレ……」

『あれが、負の感情です。もどきによって、形を与えられ、動き回っています。もしも首を持って外に出たら、一斉に襲い掛かってくるでしょう』

「あんなん、どうすりゃいいんだ」


 我ながら、情けない声が出た。このような状況下は初めてなので、仕方がない。

 少女は、そんな俺に対して、力強く言った。


『神様の髪の毛を、指や自転車に巻き付けてください。負の感情には物理的な攻撃は効きませんが、髪の毛に触れただけで浄化されます』

「髪の毛を抜くのか……」


 あれが神の首だということを差し引いても、そのようなことを行うのは少々気が引ける。


『遠慮せずに、ブチブチやっちゃってください。首が胴体に戻れたら、すぐに再生しますから』


 少女は、妙に生き生きした顔で言い切った。神を救うのために一生懸命かと思っていたが、ここぞとばかりに嗜虐心を覗かしている。

 こうして、テレビ越しに話せる時点で普通の子ではないと思っていたが、彼女のことも気になってくる。先程の話では、自分自身の正体は言及してなかった。


「なあ、お前は何者なんだ?」

『……そうですね……。私について、ですが、これもまた、込み入った事情がありまして……』


 初めて、彼女が俺から目を逸らした。急に言い淀んでいる。


『まあ、私は神様にとって、娘みたいなものです。いつもは平凡な女子高生なんですが、こういう神様のピンチの時は、ちょっとだけ力が使えるようになっています』


 そう話した彼女は、照れ笑いを浮かべた。

 この瞬間だけ見ると、とても「神様の娘」とは思えなかった。





















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