第17話 紗冬の心

 学校というのは社会の縮図である。時々そんな言葉を耳にする。


 なるほど、確かにそうかもしれない。部活動に所属すれば先輩後輩として上下関係を教えられるし、同じ学年でも優秀な者とそうでないもので言論の自由はだいぶ変わってくる。


 全く同じことを言っているはずなのに、片方の言う事は正しく、そしてもう片方の言葉は間違っている、となることも珍しくはない。


 それはこれまでの人生で培ってきた信頼というものであり、努力の差である。それに不平不満に思う事はあれど、仕方がないのだ。

 

 不満があるなら、相手が納得出来るだけの言論と根拠を用意しなければならないし、それが出来ないなら不満に思う資格すらない。


 そう言う意味で、己の発言力を高める為に行動を起こすことは、人として何にも間違っていないと俺は思う。いつか社会人になる俺達はこうして学園の一日一日を踏みしめ、発言力を増す為に成長していかなければならないのだ。




 週に一度だけ存在するLHR。学校行事に関わる決め事をする際に使われるこの時間。


「じゃあそろそろ立候補を締め切るけど、いいよな?」


 壇上に立つ伝説レジェンドの言葉に、俺達は静かに頷いた。普段から馬鹿騒ぎをする変態達ばかりだが、今日この瞬間だけは真剣な瞳で集中している。


 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。唯一席を立って全員を見渡している伝説レジェンドだ。やつも緊張しているらしく、普段の陽気な笑顔は影を潜めて体に力が入っている。


 伝説レジェンドの気持ちは痛いほど理解できた。いくら目立ちたがり屋の俺でも、今この瞬間だけは壇上に立ちたくない。何せ、クラスのほとんどから目の敵にされる立場に立っているのだから。


 言うなれば、大会での第一シード。全く関係のない人間からすれば、ただただ凄い事に思えるかもしれないが、当事者となってしまうとそうではない。


 追われる立場のプレッシャーがそこには存在する。誰からも研究し尽され、それでも勝って当然。負ければ何やっているのだと責められる立場。王者として譲れない場面であり、譲った瞬間彼はただの人となるのだ。


 その背負っているものは、他者とは比較に出来ないほど……重い。


 黒板にはすでに早々足るメンバーの名前が書かれていた。皆、自分に自信を持っていて、己の勝利を疑っていないものばかりだ。これらの面子と対峙しなければならない伝説レジェンドの負担は相当なものだろう。


「……よし、それじゃあ次は推薦だ。誰か、こいつこそは、ってやつを推薦してくれ。もちろん、もう立候補してる奴は除いてくれよ」


 そう言う伝説レジェンドの声は随分硬かった。ここで一人でも推薦者が現れれば、その時点で強力なライバルが現れるのだから当然だろう。何せ推薦されると言う事はつまり、一票は確実に入ると言う事なのだから。


 周囲の空気は重い。数いる立候補者達はそれぞれ殺気を放って周囲を威嚇している。この空気の中で推薦など、中々出来るものじゃない。少なくとも、俺にはとても誰かを推薦する気にはなれなかった。だが――


「はい!」

「「「っ!?」」


 一人の少女が元気よく手を上げる。その瞬間、クラスに電撃が走った。一斉にクラスメイトの視線が手を上げた少女――唯一神ゆいかに集まる。


 一体誰を推薦するつもりだ? 唯一神ゆいかが推薦しそうな人物と言ったら、武蔵か? まあ、誰にしても俺には関係のない事――


「私は主人公ヒーローを推薦するぞ! みんなの相談とかにも良く乗ってるし、ピッタリだと思う!」

「なにぃぃぃ!」


 俺は唯一神ゆいかの言葉に勢いよく振り向いた。そこには自信たっぷりの笑顔でこっちにサムズアップしてくる唯一神ゆいか。どうだ言ってやったぜ頑張れよ、みたいな満足気な顔だ。


 誰もそんなの望んじゃねえよ。てか立候補してきたやつらの目が怖いって。今回ばかりは大人しくしとこうと思ったのに、なんで余計な事してくれんだよマジで!


「ちっ! 推薦は絶対だ。名前はちゃんと書いといてやるよ」


 忌々しそうに俺を睨んでから、伝説レジェンドが黒板に『主人公』と書き始める。そもそも、皆が何をそんなに殺気立っているのか、きっと唯一神ゆいかは分かっていないのだ。だから簡単に俺の名前を推薦出来たに違いない。


 そう、今俺達が決めようとしているのは、このクラスの、この変態達の巣窟であるこのクラスの……


「他に推薦者は? いなかったらこれで『クラス委員長』の推薦を締め切ろうと思うんだが?」


 クラス委員長を決めようとしているのだ! 任期は半年間。絶対嫌だよこのクラスの委員長とかさ。一日に何人問題起こしてると思ってんだよ! その総責任者になれって全ての罪を受け入れろってことだろ! 桜庭教官に殺される未来しか見えねえよ!


 だがやはりというか、このクラスの変態達は一味違ったらしい。俺が思っているデメリットを被ってでも、クラス委員長という肩書を手に入れる価値があると思っているようだ。黒板に書かれている立候補者の名前を見て、少し周囲を見渡してみる。


「デュフフフフ……我輩が委員長になった暁には……デュフッ」

「ついに叶うのか。僕の夢。紳士による紳士のためのゴー・タッチが……」

「く、くくくくく。ついに僕の右目の封印を解く時が来たようだな。それに邪神パラゴンにやられた右腕が疼く。あと僕の魂に宿る凶戦士マーカスが殺せと……」

「ぬふふ……あぁ、楽しみですわぁ。クラス委員長になればあーんな事やこんなこと……堪りませんわぁ」


 ほんと、このクラス碌な奴いねぇ……俺、これからこいつらと信任投票しなきゃいけないのかよ。勝って委員長になるのは嫌だけど、この変態共に負けるのも嫌過ぎるぞ。


 ていうか絶対委員長の仕事を勘違いしてるだろこいつら! まるで委員長になったら王様みたいに何でも出来ると思ってやがるに違いない。


「うーん。そしたらもう推薦者もいないようだから――」

「はーい」


 伝説レジェンドが周囲を見渡して、推薦を締め切ろうとしたその瞬間、唯一神ゆいかに続く二人目の女子が手を上げた。


「……え、天使エンジェルか。一体誰を推薦するつもりだ?」


 更なるライバルの登場の予感に、伝説の声が若干上擦る。何せこの毒舌少女、自分が負ける勝負をするとは到底思えない。このタイミングで誰かを推薦するということは、勝てる見込みのある者を選ぶに違いない。


「えーとねぇ。私はぁ、紗冬シュガーちゃんを推薦しまーす」

「「……え?」」

「…………は?」


 我関せず、と言った風を装っていた紗冬シュガーが目を丸くして天使エンジェルちゃんを見る。普段から周りの雑事に何の興味も持たずに窓の外を見ているだけの彼女が、珍しく教室に向けて視線を向けていた。


 そしてそれは俺達も同様だった。天使エンジェルちゃんと紗冬シュガーが仲良くしてる姿は見た事がない。と言うより、紗冬シュガーが誰かと仲良く話している姿は見た事がなかった。だから、天使エンジェルちゃんが何を思って彼女を推薦したのか、全く分からないでいる。


「いや、訳わかんないんだけど……アタシやんないよ。クラス委員長なんてさ」


 紗冬シュガーは女子高生らしくない冷たい瞳で天使エンジェルを睨む。教室でもほとんど口を開かない所為で知らなかったが、随分と綺麗な声だと思った。とはいえ、ほぼ無表情で見つめる様は少し怖い。


 だが流石はこのクラスが誇る毒舌天使。紗冬シュガーの絶対零度の瞳などどこ吹く風と言ったように笑顔を崩さない。


「駄目駄目ー。推薦は絶対だからぁ、紗冬シュガーちゃんはエントリーされました」

「ふざけないで。クラス委員長とかそんな事している暇、アタシにはないから」

「あー。ふーん……へぇぇ……そんな事言うんだぁ……」

「な、何……?」


 天使エンジェルちゃんの物言いたげな瞳に、紗冬シュガーが若干気後れする。そんな彼女に天使エンジェルちゃんは満面の笑みを浮かべると、立ち上がった。


「ちょーっとだけ、廊下で話そっか」

「いや、一応今授業中……」

伝説レジェンド君は黙ってて」

「……はい」


 一瞬だけ、物凄いドスの効いた声に為す術なく、伝説レジェンドは退散させられた。そして天使エンジェルちゃんは軽く紗冬シュガーの腕を掴む。


「さ、行こ」

「……何のつもりか知らないけど……相手にしてらんない――」

筋肉マッスル×筋肉マッスル

「……なっ!?」

「性根伝説――レジェンド・オブ・マラ――」

「っっっ!!!」


 天使エンジェルちゃんが呟いた単語は、俺にとって聞き覚えのないタイトルばかりだった。だが、紗冬シュガーにとっては違ったらしい。普段は表情を一切変えない彼女が、あり得ないほど動揺して勢いよく立ち上がる。


 その顔に映るのは、恐怖。クールビューティーと呼ばれていた彼女の面影は、どこにもなかった。


「廊下、行こ?」

「……あ、ああ」


 天使エンジェルちゃんに引き摺られるように廊下へ行く紗冬シュガー。その表情は売りに出される子牛のようだった。


 それから少しの間、窓の影から二人が何かを話していた。だいぶ声を潜めているようで内容までは皆分からないようだが、紗冬シュガーが身振り手振りで何かを表現しているのはわかった。普段の彼女からは想像も出来ない動きっぷりだ。


 そして、再び二人が教室に入ってくる。


伝説レジェンド! アタシは、委員長やるよ!」


 妙にすっきりした表情の紗冬シュガーと、まるで本物の悪魔のようにクスクス笑う天使エンジェルちゃん。二人の間で何が話されたのかはわからないが、これだけは言える。


「絶対、天使エンジェルちゃん碌でもないこと吹き込んだろ」

「えー、何の事が私わかんなぁーい」


 今まで見た事がないくらい生気に満ち溢れた紗冬シュガーを見て、俺はこう思った。


「ああ、またこのクラスに一人、変態が増えたんだな」


 確証はないが、何故かそんな気がして仕方がなかったのだ。

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