第5話 毒ガス兵器天使ちゃん

 春の心地良い風が吹き、その度に桜が散って地面に落ちる。


 前を歩く女子生徒のスカートが捲れないかな、などしょうもないことを考えつつ、髪の毛に落ちた桜を指でつまんで落とした。


 健全な男子生徒たるもの、妄想を顔に出すべからず。

 俺は直接見る下着より、ちらりと見える方が興奮する年頃なのだ。


 まあ中学の時は校則のせいで女子のスカートは長かったし、今まで見えたことないけどな。チラリズム万歳。


「いい天気だ。あ、紅弾丸クダン、ちょっと靴紐結ぶから鞄持ってくれね?」


 新入生達に衝撃を与えた入学式から三日が経った。


 寮から出てすぐにある坂を下り、五分ほど歩けば魁鳴学園の昇降口へと辿り着く。学園の裏に山があり、そこに寮があるのだ。


 ちなみに正門は昇降口までの道をさらに真っ直ぐ進んだ先にある。なので寮から正門まで行こうと思うと、途中に学園の横を通る形だ。


「ほらよ。いやーしかし、全寮制って最初はどうかと思ったけど学校が近いってすげえ便利だよな。寮も結構綺麗だったし、一人部屋だし、面倒臭いのは門限くらいだぜ」

「でもちょっと学費が怖くないか? この学校やたら設備いいし」

「いや、俺もお袋から学費について聞いたんだけどよ、この学校って結構安いらしいぜ。もちろん公立よりは高いと思うが」

「はっ? マジで?」

「マジでマジで。だからこの学校の推薦状貰った時、うちの両親結構喜んでた」


 靴紐を結び終わり、紅弾丸クダンから鞄を受け取ると再び歩き出した。


 設立してまだ五年しか経っていないというのに、この学校の設備はとにかく整っている。


 例えば正門を入ってすぐ西側にある野球グラウンドには照明もあり、さらに黒土を使っているそうだ。


 サッカー部には授業で使用するグラウンドとは別に専用のグラウンドがあり、テニス部にはオムニコートが四つとハードコートが四つずつ存在する。


 剣道場に柔道場、弓道場、それにトレーニングルーム、果てには小さいながらゴルフ部のために打ちっぱなし場まであるのだから驚きだ。


「そういや主人公ヒーロー。お前もう部活決めたか?」

「いや、まだ。校則さえないなら帰宅部一択だったんだけど……」

「本校の生徒は部活動に所属するべしってな。なんか名前呼びと言い、個性と自由を校風にしてる割には変なとこだけ強制させるよな、この学校」

「確かに……まあ、いいけどさ。今日の六時間目が部活動紹介だし、それ見て決めるつもりだ」

「だな。中学の時はなんかやってたのか?」

「軟式テニスやってたけど、もうテニスはいいな。って言うか運動部はもうコリゴリだ」


 本気で嫌そうな顔をしているせいか、紅弾丸クダンも特に何か理由を聞いてくることはなかった。

 というより、中学時代の練習を思い出しているのか、苦々しい顔をしていた。


「あー、確かに運動部は練習キッツイもんなぁ……俺もサッカーやってたけど滅茶苦茶走らされたぜ」

紅弾丸クダンはサッカー部か。似合ってるな」


 俺が思ったことを素直に言うと、紅弾丸クダンは照れたように笑う。

 だが何かを思い出したのか、その笑みがだんだん暗くなる。


「試合じゃ俺がゴール決めっとよお、紅弾丸くれないだんがんシュートだぁ! とか言って周りにからかわれたもんだぜ。それに紅白戦すると、俺だけ放送部が悪ふざけしてんのか、紅の弾丸とかいうダサイ二つ名付けられたりもしたし」

「そりゃ……そのまんま過ぎて反応に困るな」

「そうなんだよ! やるなら徹底的に工夫を凝らして欲しいんだよ俺は! この気持ち、主人公ヒーローもわかるだろ!?」

「いや、悪いけどわかんね。って言うかどんなんだったらよかったんだよ?」

「それは……ほら、クリムゾン・ブレッド……とか?」

「紅のパンとか。豚より酷いな」


 紅の弾丸を英語で言いたいなら多分クリムゾン・ブレットだ。

 あとどっちにしても中二臭いし捻りがないけど、紅弾丸クダンは横文字の二つ名が好きらしい。


 俺は入学式以来、話が合う紅弾丸クダンと一緒に行動することが増えていた。


 この三日間、せっかく同じ寮に住んでいるのだからということで、寮の玄関で待ち合わせをして一緒に登校している。

 わずかな時間でしかないが、寝坊しても起こしてもらえるから非常に助かっていた。


 一年生の教室は一階だ。

 昇降口より階段を上り、体育館横の渡り廊下を通って階段を降りる。

 何故かこの学校、二階に上がらないと一階の教室に辿り着けないようになっていた。


 面倒臭い行程を辿って、俺達は一年二組と書かれた教室に入る。

 三日も経てばそこそこグループが出来始め、教室内は喧騒な雰囲気に包まれていた。


 意外な事に、男子と女子の混合グループは少なくない。


 普通は思春期らしく男子は男子、女子は女子で固まるものだと思っていたが、そうではないらしい。やはり最初は席の近い者同士で結構話をしているようだ。


 そんな適当な事を考えて自分の席に座った。同じように紅弾丸クダンも俺の隣の席に座る。


 未だ名前順から席替えをしていないので、後ろの席は未だ天使エンジェルちゃんだし、紅弾丸の後ろは藍ドルだ。


 時計を見ると、ホームルームの時間までまだ二十分ほどあった。


 鞄から教科書を取り出し、引き出しの中へ詰め込む。


 そして今日の時間割を確認して、宿題の忘れがないかをチェックしなければならない。

 もし万が一、どれかの授業で宿題を忘れてしまえば、このクラスを指揮するのは鬼教官に何をされるかわかったものじゃないからな。


 今のところ誰も宿題を忘れていないが、早く誰か忘れろよと思っているのは間違いなくみんな同じはずだ。


 とにかく最初の一人になりたくないという気持ちが強かった。


「ねえねえ、主人公ヒーロー君」


 ちょんちょん、と背中を指でつつかれ、さらに名前を呼ばれたので振り向くと、そこには麗しの天使てんし――ではなく潤んだ瞳で見つめてくる天使エンジェルちゃんがいた。


 え、何この子マジで可愛いんだけど、持ち帰ってもいいのかな?


「何?」

「……あのね……三時間目の数学の宿題でわからないとこあるんだけど、教えてくれないかなぁ?」

「いいともー!」


 天使エンジェルちゃんのお願いを即答で了承する。

 自分でも信じられないくらい明るい声が出た。この子のお願いを断れる男はそういないはず。だから俺は悪くない。


「え、マジー? じゃあ、あたしにも教えてよ。全然わからなくてさー」

「悪いな藍ドル。天使エンジェルちゃんに教えるので忙しいから無理なんだ」


 藍ドルのお願いを即答で拒否する。


 自分でも信じられないほど冷たい声が出たが、こいつのお願いを聞いてやるやつなんてそういないはずだ。だから俺は悪くない。


 むしろ一度謝罪の言葉を口にしてるだけありがたいと思って欲しい。

 そのくせちょっと不満そうな顔してやがる。仕方ないな。


「代わりと言っちゃなんだが、紅弾丸が教えてくれるってよ」

「え、マジで!? 紅弾丸クダンすっげぇいいやつじゃん! ちょー嬉しいんだけど!」

「ちょっ!? 主人公ヒーローテメェッ!」


 紅弾丸クダンがいきなり巻き込まれて恨めしがるような目で見てくるが、知らない。

 俺は今、天使エンジェルちゃんときゃっきゃうふふするために忙しいのだ。


 それに紅弾丸クダンは格好いいからな。


 ちなみに紅弾丸クダンは基本的にあんまり頭の出来は良くないので、多分教えられないけどそこはご愛嬌ってやつだ。

 藍ドルも満更じゃない顔してるし、みんな大満足。


 藍ドルも大きな顔を全体的に整形して、枝毛の多い髪の毛と間違った長さの付けまつ毛とタラコ唇を直せばほんの少しはマシに見える顔立ちになるかもしれないのになぁ。

 もっとも言ったらレスリングで鍛えた正面タックルで殺されかねないので、本人には絶対に言わないけど。


「ほんと藍ドルちゃんは不細工を売りにしてる芸人以下のブスなのに頑張るなぁ……よく生きていられるよね。私だったら人生に絶望して毒ガス用のマスク被っちゃうかも」

天使エンジェルちゃん、俺が言えないことを平気で言うとかマジ口悪い」


 心底呆れたように呟く天使ちゃん。

 猫を被っていたのは初日の自己紹介の時だけで、本当は性根が芯の根本から腐ってるくらい性格、というか口が悪かった。


「きゃっ、もしかして聞こえてた?」

「隠す気もない癖によくそんなこと言えるよな、いやほんとに」

主人公ヒーロー君はウサギみたいに耳いいねー。もしかして寂しくなったら死んじゃうタイプ? だったら嬉しいな。どれくらいで死んじゃうか一緒に実験してみない?」

「死ぬまで傍に居てくれるなら大歓迎だ!」

「えー、そんなこと言う主人公ヒーロー君、きもーい」


 俺の笑顔のサムズアップは笑顔のキモイという一言で一蹴された。


 凄まじいのはこの子、ぶりっ子の真似する癖にその毒舌っぷりを全然隠す気ないのだ。


 誰に対しても正面から呼吸をするように毒を吐く、まさに毒ガス兵器天使ちゃん。


 あまりに誰にでも自然に毒を吐くせいか、いつの間にか慣れてしまった。


 これが人間なら絶対に許さないんだが、天使エンジェルちゃんは天使で人間じゃないから許す。


 ちなみにこれ、男女問わずクラスメイトの総意。


 中々いい根性したクラスに配属されたもんだ。

 というか全体的に変人が多いので問題しかないクラスだった。

 多分みんな変だから自分も、みたいなノリで隠していた性癖が表に出ているのだと思う。


 だって二日目以降、明らかに変人の数が増えてるし。

 今じゃこのクラスのカオス度が半端ない事になってる。最初の唯一神ゆいかの自己紹介なんて可愛いものだと思い知らされた。


 この朝の時間、俺と天使エンジェルは笑顔でお勉強会。

 と言っても、天使エンジェルはほとんど俺の宿題を丸写し状態だ。

 将来はキャバクラとかで人気ナンバーワンになって男に貢がせてても不思議じゃない。


 そして紅弾丸クダンは妙に顔を近づけている藍ドルから必死に離れようとしていた。


 心底嫌そうに見えるし額から汗が滲み出ているが、恐らく照れているだけだろう。


 紅弾丸クダンは横文字の二つ名が大好きな脳筋だが、このクラスじゃまだ常識人だからな。


 頑張れ藍ドル。俺はお前の恋を応援してやる。だから絶対に俺には絡んでくるんじゃないぞ。


 徐々にクラスの人数が増えてくる。どうやら考えることは同じなのか、一人で登校してくる人はほとんどいなかった。


「……ん?」


 だからだろう、チャイムが鳴る直前に人目を避けるように一人で入ってきた少女が妙に気になり目で追ってしまったのは。

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