キラキラネームはほどほどに

平成オワリ

第1話 俺は主人公

 ここ十年ほど、自分の子供に滅茶苦茶な名前を付ける親が増えているそうだ。

 それらは総称してキラキラネームと呼ばれ、常識的にあり得ない漢字を使って表現される。


 世界に通用させるためと、純粋な日本人の赤ちゃんに横文字の名前をあえて漢字で表現したり、酷いときにはアニメやゲームのキャラクターの名前を付ける親もいるらしい。


 子供をペットか何かと勘違いしているのではないだろうかと思わずにはいられなかった。


 正気とは思えない。名前とは一生を共にするものであり、親が子供にこうなって欲しいという願いを込めて付けるものだと俺は思う。


 未成年でも正当な理由があれば名前を変更することは可能だが、だからと言って生まれ持った名前を捨てることが出来る子供が、どれほどいるというのか。


 当然、両親とも不仲になるのは間違いないし、何より自分で自分の名前を否定するのは相当気分が悪いことだろう。


 だからこそ、名前とは重要なのだ。親は子供に名前を付ける時、決してその時々の気分で付けるものではなく、ちゃんと子供の将来を考えて欲しいと切に願う。


 何故俺がこんなことを考えているかというと、先程教室に入ってきた二十代半ばほどの女性が原因だ。


 艶のある黒髪を靡かせ、凛とした容姿とスラッとした体でありながら大きく主張している胸は男子生徒達の心を射止めていた。


 新しく担任となったこの女性は手に持っている名簿を開くと、大人の笑みを浮かべ、俺たち新入生を見渡す。


 もっとも俺にはそれが、死刑宣告を告げる処刑人の笑みにしか見えなかったが……。


「さて、それでは自己紹介をしてもらおうか」


 その瞬間、教室の空気が凍ったのがはっきりとわかる。


 男子達の緩んだ空気が一瞬で引き締められた。面白くなさそうにしていた女子たちの顔も引き攣っている。


 窓の外を見ると満開の桜が咲き乱れ、と言えれば良かったのだが、残念ながらすでに散っているものが多いのか、やや寂しい木が多かった。


 今日が入学式のせいかグラウンドには人がおらず、逆にギリギリ見える校門周辺は賑わっている。


 きちんと礼服を着た大人達が、可愛い息子や娘の晴れ姿をその目に焼き付けようとしている姿は、見ていて少し微笑ましい気持ちになった。


 そんな気持ちのまま空を見上げと、仲睦まじく空を翔ける小鳥が目に入った。


 ああ、鳥達はいいな。自由に空を飛べて。


 俺もこの窓から飛び出せば空を自由に飛べるだろうか?

 これだけいい天気なのだ。空を飛ぶのは無理でも、外を駆け回るくらい許して欲しいと思う。


「おい一番前で窓際に座っているお前。外ばかり見てないで自己紹介だ。聞こえてないフリをするんじゃない……相川!」


 もっとも、そんな考えがただの現実逃避でしかないことは、俺自身誰よりもわかっていた。


 窓際の一番前に座っている相川という苗字の人間は、このクラスに一人しかいない。見渡す必要もなく、つまり俺のことだ。


「先生、まずは先生の自己紹介からしてくれませんか? 俺としても見本っていうか――」

桜葉春香さくらば はるか。趣味は酒、麻雀、競馬、格闘技を見る事。今日からお前達の面倒を見る者だ。学校に逆らうのは一向に構わんが、私に逆らったら絶対に許さんからそのつもりで。一年間、よろしく」

「え、あ……はい」


 言葉を重ねるようにスラスラと自己紹介をされてしまい、時間稼ぎにもならなかった。


 そしてあまりにも男前な自己紹介に戦慄する。最後のよろしくが夜露死苦に聞こえていたのは俺だけではないはずだ。


「なお、まだ純潔な乙女だと言っておこう」


 それは誰も聞いてない。


「さあ、私は自己紹介をしたぞ。次はお前から順番に言ってもらおうか」

「先生、俺達はもう高校生です。中学を卒業した今、すでに大人と言ってもいいでしょう。なので自己紹介くらい、先生の手を煩わせないでも、自分達で出来ます。つまり何が言いたいかというと、後で勝手にやるので今この場で自己紹介をするのは止めにしませんか?」

「却下。おい相川、今お前は私に逆らったのか? ん?」

「すみませんっした!」


 慌てて立ち上がり、背筋を九十度曲げて降伏する。


 情けないと思わないで欲しい。この教師、完全に殺る気の目だった。


 謝れば許してくれるかと思ったが、殺気を放ったまま桜葉先生は俺に近づいてくると、名簿で俺の頭をポンポンと叩く。


「謝罪とか聞いてないんだよ私は。自己紹介するのか? しないのか? お前は高校生になったんだ。ってことはもう子供じゃないんだから、どうするのが一番いいのか、わかるよ……なあ?」

「誠心誠意、自己紹介をさせて頂きます!」


 最後のなあ、が異常に力が籠っていて怖い。まるで軍隊に放り込まれた気分だ。


 頭の中でこの教師に眼帯を付けて迷彩服を着せてみる。似合い過ぎてヤバイ。というか逆らえる気がしない。


「よし。じゃあ私にじゃなくクラスの全員に聞こえるように、ちゃんと目を見ながら話すんだぞ」


 くそ。仕方ない。とにかく目立たないこと、それだけを意識して簡単に済ませてしまおう。


「俺の、名前は……ぁぃ――ーです」

「声が小さい! 私はクラス全員が聞こえるように話せと言ったんだ!」


 ぼそぼそと自己紹介するという俺の最後の抵抗も、桜葉先生の恫喝によって無駄に終わってしまった。


 覚悟を決めて、クラスの全員が見えるように後ろを向く。すると、何故か暗い顔をしている者が多かった。


 何故だろうと考え、まあこんな怖い教師が一年間担任だと思うと暗くもなるかと思い直す。


 正直、自己紹介は嫌だ。苦痛と言ってもいい。


 だがやるしかない。大丈夫、あっさり済ませれば印象に残ることもないだろう。


「ああ、そうだ。せっかくだから自己紹介するやつは教卓に立て。自分の名前を黒板に書いた方がわかりやすいだろう? 嫌ならはっきり言ってみろ。言えるなら、な」


 目の前が真っ暗になった。この教師は暴君だ。ニヤリと口元を歪めているのは逆らえないのがわかっている証拠だろう。


 もういい、諦めた。素直に堂々と自己紹介して、後は残りの高校生活をどう過ごすか考えよう。


 教卓の上に立ち、クラスを見渡すと先ほどよりもクラスメイト達の絶望度が増していた。


 が、気付いたところで自分の立場が変わるわけではない。黒板に向いてチョークを構えると、カツカツと音を立てて自分の名前を書く。


『相川 主人公ヒーロー


 それが、俺の名前だった。

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