第80話 今川家の初評定 金山と尾張の情勢

 最後が金山関連。安倍金山を元々領土に持ち、現在は金山奉行となっている安倍元真もとざねが報告した。

 今川家の石高は意外に少ない。三国合わせて当時五十万石程度ではなかったかといわれている。ちなみに三十八年後(慶長三年・一五九八)の太閤検地における尾張の石高は五十七万石となっている。

 逆にいうと、今川家がこの飢饉にもまだ余裕があるのは、石高が元々少ないという理由がある。

 では駿河の繁栄を何が支えていたか。

 大きな一つが金山だ。

 駿河・甲斐の国境付近には富士金山、安倍金山、井川金山と、大きく三ヵ所の金山があった。

 氏親・氏輝の頃は砂金採取が中心だったが、義元の時代になって新しい産金技術が入ってきた。『灰吹き法』と呼ばれた。

 金鉱石を粉状にすりつぶしたものを鉛と混ぜ、高温で溶かす。このとき金鉱石の金の部分だけが鉛との合金を作るので、これが冷えたところで割る。

 そして、灰吹き法という名の理由となる動物の骨の灰で作った皿の上に合金を並べ、これを熱する。すると鉛が骨で作った皿に溶け込んでしまい、皿の上には金だけが残る。

 天文二年(一五三三)、博多の豪商神谷かみや寿禎じゅていによって朝鮮から輸入されてきたこの技術は、元々銀の製錬技術として輸入されたが、金にも応用されて瞬く間に全国の金山・銀山に広がった。

 義元もこの技術を導入し、産金量は飛躍的に増大した。

「つまり金山の収益は本年も伸び続け、未だ絶えるということがありません。御当家の行く末は磐石であると思われます」

 元真はこう締めくくった。


「では最後に、これはこの場におられる方々は既にご承知のことと思われるが」

 朝比奈親徳が義元と氏真に体を向けて一礼すると、居並ぶ家臣たちに体を向き直し、

「このたび、大御所様並びにお屋形様は尾張を討ち取ることをご決断なされた。尾張へは本年夏、田植えの終わりを待って進軍いたす。此度こたびは大御所様手ずからご出陣なさるお覚悟である」

 居並ぶ家臣の中からどよめきが聞こえた。

 尾張を攻めることは知っていたが義元が出陣するとは思わなかった。思った以上に大規模な戦になる、という思いだろう。

 親徳は集まった家臣たちの反応を存分に確かめると右の方を向いた。

「本日は尾張より三浦左馬助さまのすけ殿も列席されておる。三浦殿から尾張の現状を伺おう」

 朝比奈親徳に目線を送られた三浦義就は、義元と氏真に一礼すると、前を向いて話し始めた。

 まず義就は昨年の状況を説明した。春には鳴海城に岡部元信が城代として入り、夏になると織田が鳴海・大高の両城の周りを計八つの砦を造って取り囲んだ。そして十月、今川は大高城を囲む三つの砦を攻め潰し、城代として朝比奈輝勝が大高城に入った。

「そして、すでにお聞き及びの方もおられると思われますが、先日、織田軍が尾張品野城を攻撃。桑下、落合を含む三城は落ち、焼き払われたとの由にござる」

 ここで義就は一旦口を止め、目の前の一座を見渡した。この情報自体は伝わっているのだろう。誰一人声を立てる者はいない。義就は言葉を続ける。

それがしすぐにも尾張に戻らんとするも、大御所様に『それほどのことはない』と諭され申した。織田の為すこと蟷螂の斧であると。この借りは夏になれば存分に返すことが出来ようとのことでござる」

 家臣の座の中から「おおー」という感嘆の声が聞こえてきた。義就が一礼しながら親徳に目を向けると、親徳はニッと笑みを返し、

「おのおの方の持ち場や領内における軍役、夫役の割り振りは、追って沙汰いたす。織田の軍勢は蟷螂の斧であるとはいえ、窮鼠猫を噛むの例えもある。おのおのご油断なきよう」

 朝比奈親徳は一座を睨めつけるように見回すと、

「尾張の鼠は我らの思いもよらぬ所でちゅーちゅー鳴きよる。少々うるさいぞあの鼠」

 あーはっはっはっ、と高らかに笑った。一座も親徳の笑い声に釣られ、屋内がどっと笑いに包まれた。


 今川家ではこの評定を境に尾張侵攻に向けての本格的な準備が始まった。

 まずは戦いの時期だが、義元の意向は田植え後すぐということだった。そして出来るだけ早く戦を終わらせ、今年の作物の収穫高に影響が出ないようにしたいと思っていた。

 義元にとってこの戦の目的は南尾張の完全制覇であり、具体的には鳴海大高両城を囲む砦を排除するということだった。

 要は今の膠着状態にケリをつけるということだ。

 そして義元は熱田まで軍を進めていきたかった。

 尾張には商業都市が二つある。一つは津島でもう一つが熱田だ。どちらも織田家にとっては重要な街で、二つの商都を押さえることで富と物資を潤沢に得ることが出来ていた。

 そのうちの一つを奪うということは、織田家にとっては経済的に相当な痛手となる。

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