7
「久しぶりね、セオドア」
専用車から降り立った女が言った。
「ご無沙汰しております、アーリア様。直々にいらっしゃられるとは」
挨拶するセオドアの後ろで、マリアたちは彼と同じようにひざまずき、頭を下げた。マリアは顔を伏せたまま視界の端で王女を見た。見事な曲線を描く肢体。なまめかしいルージュを引いたくちびると波打つ赤毛。鼻の頭に散ったそばかす。シックなイエローのドレスに身を包んでなお、肉感的なプロポーションの美女だ。報道映像でよく目にしているとはいえ、目前にするとその凄絶な美貌はそら恐ろしくさえあった。
しかしなにより目を引いたのは左腕だ。彼女の腕はサポーターで吊られていた。
「そうね。訊きたいことがあったものだから」
「いかがなさいましたか」
セオドアの問いは形式的なものだ。王女の姿を見れば、用件などひとつに決まっていた。ステラの右後肢の骨折と王女の吊られた左腕。手術の失敗どころではなく、それが王位継承者の怪我に結びついたと指摘されてもおかしくはなかった。
「アラン」
彼女が背後に声をかけると、「はい、ここに」いつからそこにいたものか、あの時の小男だった。顔は青どころかいっそどす黒く、すでに軍装ですらない。地位を追われたか、あるいはそれがいまここで決まるのか、どちらにせよ男は哀れなほど怯えていた。
「貴方は、ステラをロンドンで一番の腕の者に任せると言った。そうね?」
「……はい。そう申し上げました」
「どうかしら」王女はセオドアを見る。「ステラの執刀医はロンドン一の腕だった? 今日はそれを訊きたくて来たの」
マリアは視界の隅でアデレードが身じろぎするのを見た。
「陛下にお力をお貸し頂いたお陰で、わがセンターの設備と実績は、所属する竜医も含めて、間違いなくロンドンで最高のものであると自負しております。しかしながらあの日はカーディフ大学で学会がありまして、我々の多くは出払っておりました。ですので」
「いいわ」王女が手を振って話を遮った。
「相変わらず話が長い。言い直しましょう。あの日ステラは、ロンドンで最高の医療を受けることができたの?」
次期女王の問いが、その場に居並ぶ全員をいちどきに射すくめた。熟練の竜医たるセオドアすら言葉を失うほどの迫力。当然、他の者たちは身じろぎすらできなかった。
だがそんな中、進み出る者があった。ひざまずいて頭を下げる。
「お久しぶりです、殿下」
「いつかの夜会以来ね」
アデレードだった。彼女は公爵家の令嬢だ。王女とも面識があるのは当然だった。
「貴女の名前を見て驚いたわ。でも同時に安心もした。セオドアは回りくどいけど、あの日ここに居た竜医の中で、もちろん、あなたが一番の腕だったのよね? 母と同じく私もセオドアを信頼しているけれど、そうじゃない連中も多くてね」
マリアには彼女の意図が読めてきたように思った。センターは竜を扱う以上、軍との結びつきが強い。資金の一部が王家の提供であることに加え、女王と懇意なセオドアがセンター長を務める事実は、王家と軍の癒着の例として一部の議員から槍玉に挙げられている。
そして今回の、治療ミスによる王女の怪我――敵対的な議員たちが主張するそうした非難は、たしかにセオドアの地位を脅かす一手になりうる。だからこそ王女自ら赴いたのだ。あの日ステラは王都においてあれ以上の治療を受けることはできなかったと証明するために。また同時に彼女のセオドアへの信頼を示すために。
逆に言えば、彼らの非難はその程度で沈黙させられるものでしかない。治療の不備を指摘できるのは竜医のみだが、彼らの多くは上流階級出身だ。勝算もなしに大貴族たる公爵家の息女を非難すれば、手痛いしっぺ返しが待っている。
マリアはアデレードの様子をうかがった。当然、彼女もこの問答のからくりには気づいているだろう。ここで求められているものもわかっているはずだ。だが、アデレードは臣下の礼をとったまま何も答えなかった。
「アラン。貴方はセンターで一番の腕だから、アデレードに執刀を頼んだのよね」
王女はアデレードへの念押しのつもりか、隣の男に向かって尋ねた。
「はあ、はい。もちろんです」
滝のような汗を流しながらアランは嘘をついた。あの日の彼は王女の意図をくみ取れず、手術を急かすばかりだった。だがその事実も書き変わる。アデレードが期待通り、一言、王女の言葉を肯定すればいい。それだけで過去は塗り替えられる。
過去とは、その時々の強者によって作られるものだ。アーリアは王女として、英国の最高権力者の一人としてそれを知っている。彼女にとって事実など関係はない。ただ自らの望む絵を描く、そのために彼女はここにやって来たのだ。
マリアはアデレードを見る。横顔は硬く、何かを決意したように強ばっている。
「その通りです」
アデレードが振り向く。その表情が驚きから、即座に憤りへと変わる。「マリア!」
「あなたは?」
「殿下、発言の無礼をお許しください。マリア・ホイトと申します。このセンターの竜医でアデレードの同僚です」
「さっきの言葉は真実なのね」
アーリアとマリアはアデレードを無視して話を進める。
「はい。あの日センターに残っていた勤務医の中で、アデレードは誰もが認める技術と経験の持ち主でした。彼女が執刀したのですから、ステラ様は間違いなくあの日、ロンドンで最高の治療を受けたと言えます」
「なんのつもりだ!」
王女を前に礼も忘れ、マリアに掴みかからんばかりにアデレードが叫ぶ。
「殿下とお話しているんだ。遮るのは無礼だろう」
マリアは彼女を見ずに返す。
王女は微笑し、
「マリア。貴女の私への忠義は嬉しく受け取ります。ですが、相手は仮にも公爵家の令嬢ですよ。そのような言葉遣いは相応しくないのではなくって?」
「申し訳御座いません」
ふたたび深く頭を下げた。アデレードもそれに倣う。マリアが一瞬だけ見た王女の目は、興味深い獲物を見つけた山猫のそれのようにかがやいていた。彼女はこの一瞬でマリアの意図とアデレードの怒りの理由を見抜き、自分の狙った構図を作り上げたのだ。女王の器にふさわしい聡明さと機転だった。
「あの日のことはよくわかった。やはりお願いして正解だったようね」
事態を見守っていたセオドアに向けて王女は言った。
「ありがたいお言葉です」
「今度もよろしく頼むわ」
「職員一同、総力を挙げ、可能なかぎり尽力させていただきます」
「ここで絶対と言わないところが好きよ」
王女は楽しげに笑った。
「それと、すこし条件を出してもいいかしら」
「なんなりと」
「執刀はアデレードに頼むわ。可能なかぎりの最高の治療だったとしても、口さがない連中はいるものよ。名誉を挽回する機会は必要でしょう」
「元よりそのつもりでした」
特別な事情がないかぎり一度担当した症例は次の来院時も同じ者が担当する。今回のように二つに関連があると考えられる場合はなおさらだ。セオドアの心配はむしろ逆で、執刀医を変えろと言われることだったに違いない。事実か否かにかかわらず、執刀医を変えたとなれば失敗であったと受け取られることは避けがたいからだ。
「それなら、もうひとつ」
そう言って王女は悪戯っぽく笑った。
「助手は、マリア。あなたがやりなさい」
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