夜空を駆ける

柊 周

第1話

 ずっと、ずっと待っていた。迎えに来てくれるのを。小さくて、狭くて暗いこの小さな住処。いつか誰かがこのぬるくて息苦しい場所から救い出してくれるのを...。



 いつもと一緒の毎日。変わったことなんかほとんど無い。毎日同じ日々を過ごしてる。心から楽しいと思うことも、悲しいも苦しいも嬉しいも無い。靄がかってみえる毎日。私の名前には『幸』って字が入ってるのに、幸せだって思えない漠然とした日々。いつかは幸せになれるのかななんてぼんやり考えてた。


「ねえ、早く行こうよ」

 笑顔で呼ばれる。 

「うん、今行く」

 薄っぺらな笑顔を張り付けて追いかけた。

 今日は友だちとショッピング。流行りの服やアクセサリーを見てまわり、結局Tシャツを一枚だけ買う。カフェでスイーツを食べながらお喋り。笑顔が可愛らしい彼女と居るのは楽しいけど、早く家に帰ってベットに寝転びたいなんて頭の片隅で考えてる。我ながら薄情だと思うが、一人で居るほうが気が楽なのだ。

「じゃあまたね」と、お互い手を振りあった。

「ふー」と一息ついて、家路につく。

「なんか、想像もつかない面白いことが起きて、新しい人生始まっちゃったりなんかしないかな...」

 自分の心を持て余し、そうやけくそ気味に考えた。


 学校の図書館で課題の為の資料を探していた。今日は人が少ないななんて思いながら本棚の間を歩いていく。適当に見繕った数冊を抱えて、読書スペースで読む。ページを捲る音だけが、あたりに満ちていた。

 ふと気づくと、申し訳程度にいた人影も無く、私一人しか残っていないようだった。熱中すると時間を忘れてしまう悪い癖だ。早く借りて帰ろうと思った時。

「それ、そんなに面白い?」

 いきなり声をかけられた。

「えっ?」

 思わずどもりそうになりながら聞きかえし、声の方へ体を向ける。

 私の隣にはいつの間にか人が座っていた。

 ぎょっとしながら、僅かに身を引く。全く気づかなかった。自分一人だと思っていた空間に人が居たことに心臓が跳ねた。

「ごめん。急に声かけたからびっくりしちゃったよね」

 その人は気さくにそんなことを言うと、微笑んだ。

「いえっ。その集中してたから気づかなくて。こちらこそごめんなさい。」


 しどろもどろにそう返すと、その人はゆっくりと瞬きをして、私は唐突になんだか猫みたいな人だな、なんて脈絡がないことを思った。おしゃれなのか、髪の毛が白くてさらさらしてそうだし、整った顔立ちにすらりとした体型でなんだかとてもモテそうな人だなと思う。ちらっと腕時計を見るともうすぐ閉館の時間だった。

「えっと、じゃあもうそろそろ閉館なので、私もう行きますね」

 目線を外して、そう言いつつ急いで立ち上がる。

「そっか。またね」

 彼はそう言って、にこりと手を振った。

 ぎこちない会釈をかえし、急ぎ足でカウンターに歩いて行った。

 借りた本で重くなったバッグを抱えながら歩く帰り道。初めて見る顔だったなと思い返していた。あのルックスだったら女の子にきゃーきゃー言われて学校の有名人になってそうだけど。私そういう話疎いし、この学校マンモス校だからただ単純に知らないだけかと頭の中で結論付けた。


 本を借りてから数日が過ぎ、返却の為に図書館に寄る。その頃にはこの前出来事なんてすっかり忘れていた。

「今日は課題も終わったし、なんか面白そうなのないかなー」

 私はいわゆる本の虫というやつで、マンガや小説とかく、活字を追うのが好きだった。物語の中に入っている間だけは、現実から切り離されて、時間さえも忘れて没頭していられた。この"本"という出会いがなければ私はここまで生きてこれなかったかもしれない。そう思うほど、現実からの逃避行に子どもの頃から付き合ってくれた存在だった。

 今日は完全に自分の為の本選びであるから、ふわっと浮足立つような気持ちで本を探す。電子書籍もいいが、やはり実物の本の手触りが好きだった。


 本棚を縫うようにして歩いていると、ふと、視界に白髪が入った。あれ?と思い、この前の出来事を思い出す。その人はいつの間にかまた私の隣に居た。気づかないうちに自分から近付いていたのかもしれないが、なんというか彼は気配がしないのだ。まあ、よっぽど私がぼーっとしているというのも否めないが。

「やあ、また会ったね」

 彼はまた人好きする笑顔で私に声をかけた。彼のような目立つ容姿ならともかく、平々凡々な私をよく覚えていたものだなと感心する。

「あ、はい。また会いましたね」

 こんな時自分のコミュニケーション下手に嫌化がさすが、声をかけられて無視する訳にもいかない。

「読みたい本は見つかった?」

「はい。何冊か」

「そう。じゃあ向こうのテーブルに行かない?」

 彼はそう言い。迷ったが私は頷いた。

 正直ほぼ初対面とでもいうべき人と二人きりという状況は、人見知りの自分にとって苦手な場面だが、不思議と居心地の悪さを感じさせない雰囲気がその人にはあった。 

 本来、図書館でお喋りするのは褒められたものじゃないが、普段からあまり利用者が多くないここは少しのひそひそ話は黙認されているようだった。

「ねえ、君は本が好き?」

「そうですね。好きです」

「僕も好きなんだ。だけど周りからは『なんか意外』だなんて言われちゃってさ」

「確かに...。あんまりイメージ出来ないかも」

 彼はどちらかといえば今時のおしゃれな青年という風貌だった。まあ、文学青年には見えないだろう。

「友だちも、本読む人いなくてさ。まあ、いいんだけど。たまに、自分の好きな本の話を共感して欲しくなっちゃうんだ」

「それ、分かります。私も周りに読書好きがいなくて。自分のおすすめの本の話が出来ないんですよ」

「じゃあ僕らって一緒だね」

 そう言って彼は子どもみたいに、邪気の無い顔で笑う。

 なんだか、まだ少ししか話てないのにお喋りすればするほどこちらの心の壁をするすると解いていく。改めてなんだか不思議な人ねと思った。

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