第9話 ブルーレット誕生
カッコよく決める!
とはいったものの、実際のところ、どうやら俺はすでにここに来る前に、この問題を解決してしまったらしい。
ベンチの横に転がる8本の角。
「うーん、これどう見ても例の狼の物だよな、やはりこれを村長さんに見せて『倒しました』って報告がスマートなのかな」
自分なりにストーリーを練ってみるも、英雄譚になるようないい案は浮かばなかった。
ただふと考えたのが、角だけ見せても狼を倒したという証拠になるかどうかちょっと怪しいってことだ。
「一応狼の死体もここへ運んでおくべきか」
さすがに死体を見せれば討伐済みの決定的証拠となるだろう。
どのくらいの村民が今隣村に避難しているかはわからないが、避難はあくまで一時的な退避だ、それでも完全に不安要素を排してからでないとこの村に戻すことはためらわれるに違いない。
「不安要素といえば、この8匹が村を襲った狼の群れ全てだといいんだけど、まだ森に残ってた場合は事情が違ってくるよな」
まあ、今のところ出てこない敵に策を練っても意味はない。
まずは死体を全部ここへ運んでからこの村をどうするか村長さんに聞いてみよう。
というわけでやってきました今朝の戦闘場所。
普通に歩いたら20分以上はかかる距離だが、全速力で走ったら1分そこそこだった。
すげーよ、マジパナイって魔族の身体能力!
地球基準で言ったら馬やチーターの比ではない、自動車レベルのスピードだ。
「さて、普通に考えたらこの重そうな狼を運ぶのは無理だよな、人間基準ならの話だけど」
おもむろに1匹持ち上げてみた。
「ですよねー、むっちゃ軽いですよねー、うんわかってた」
片手で持ち上げた狼の死体は猫を持ち上げる感覚よりも軽かった、ただ大きいというだけである。
「これならサクサク運べるな、しかし魔族の力、ヤバイよこれ」
今の自分の身体能力が魔族の平均値なのか、それとも個体群の中での最強を再現したものなのか。
どちらにせよ、こんな化け物じみた力、人間が束になっても勝てるはずが無い、ということだけははっきりとわかる。
それが群れや軍を形成して人間相手に攻めてるんだとしたら、それは人類滅亡以外に選択肢はない。
先代の魔王を倒したという勇者はどうやって事を成したのだろうか。まともな人間技とは思えない。
いまこうして魔族になった圭だからこそはっきりとわかる、近代兵器でも太刀打ちできるかどうかという強さなのだ。
1200年前の魔王と勇者の戦い、想像もつかないがその勝敗になにか特別な要因があったのでないかと考える。
両肩に2匹担いで4往復、息が切れることもなく狼の死体を全て村の広場へと運び込んだ。
こうして並べてみると壮観だ。
「さて、村長さんを呼んでくるか」
三度目の村長の家。
扉の前に立つは奥田圭、意を決してノックする。
「村長さーん、来ましたよー、通りすがりの魔族ですー」
間の抜けた呼び声だった。
「まさか、本当に来たのか!」
家の中で息を潜めていた村長が驚愕する。
藁にもすがる思いとはいえ、半信半疑でありそこまで期待はしていなかった。
さっきの旅人が魔族をおいかけて会えるかどうか、そしてこの村の事情を聞いて来てくれるかどうか。
どちらかというと不確定な要素のほうが多い、絶対に来てくれる保障などなかったのだ。
だが今こうして現に扉の外に例の魔族がやってきたのだ。
あの旅人が言っていた『魔族と正反対の魔族』が。
領主様に頼んだ討伐の応援、領兵を派遣してもらったとしても村民が100人程度のこんな小さな村に領兵を割いてもらえる数なんてたかが知れてる。
ましてや一角狼の群れの討伐なんて領兵100人どころか200人いても互角に渡り合えるかどうかなのだ。
おそらく視察兵を数名送り込む程度でそれ以上は期待できないだろう。
それにもし領兵による大々的な討伐が成されたとしても、問題はその後だ。
収穫を控えた大量の麦、それを収穫する若手の男衆が皆狼にやられた、人手不足でまともに収穫ができるかどうか、領主様に徴税される税は現物の麦で支払われる、事情がどうあれ遅れを待ってもらえることなどない。
さらに討伐遠征費の負担分として今回の税にさらに上乗せされるだろう、ここの領主様というのはそういう人物だ。
どのみちこの冬をまともに越せないくらいの事態になることは避けられない。
ならば、領主様に頼るよりは降って沸いた魔族の助け、これに賭けるしかない。
そのためならばこの老いぼれの命、いくらでもくれてやる。
ここで覚悟を決めねば村を守るために散っていた男達に顔向けできなくなる。よし、腹は決まった。
扉を開け、魔族と対峙する村長。その目には最初の時のような怯えは全く無く、事を成す決意に満ちた漢の目だった。
「先ほどは失礼しました、なにせ魔族様に会うのは初めてなものだったので」
「あーいえいえ、こっちこそ突然お邪魔しちゃって、混乱されるのには慣れてるから」
慣れてなどいなかった。圭もまた人間に会うのは初めてである、これは社交辞令に対する社交辞令。
「そう言っていただけるとこちらも助かります」
「事情は知り合いの旅人から聞いたよ村長さん、立ち話もなんだから井戸のある広場に行こうか」
「外ですか? しかし外にはいつ一角狼が出るやら」
「あー、それは大丈夫、仮に出たとしても俺がいるから」
「あ、そうでしたね、魔族様が一角狼ごときに遅れを取るようなことはございませんよね」
「その、魔族様っての、なんか歯がゆいな、俺は様付けされるほどの大層な存在じゃないよ。
ただの流れの魔族だ、そうだな……奥」
奥田と呼んでくれ、そう言いかけて圭は言葉を止めた。
ここで本名を名乗るのはどうだろうか。なんか違う気がする。
そもそもせっかくの異世界転生で、名前が前世と同じというのは微妙すぎる。
だったらなにかこう、かっこいい名前を名乗ることにするか。
しかしだ、とっさになにかいい名前が思い浮かばない。
チクショウ、こんなことなら午前中ぼーっとしてた時間に考えておくべきだった。
「ブルーレット」
「え?」
「ブルーレットと呼んでくれ」
苦肉の策で紡ぎ出た名前がブルーレットだった、あのトイレにする設置する有名な芳香型洗浄剤である。
小学校、そして中学校と、ついた渾名がブルーレットだった。
なんでそんな渾名がついたかって?
それは名前が奥田圭だからである。
ブルーレット奥田圭。
あのCMのキャッチフレーズそのまんまに使える圭の本名。
時として親を恨んだこともある、なんでよりによってこの名前なのかと。
しかし嘆いたところで後の祭り、圭は義務教育の間ブルーレットとして過ごした。
さすがに高校と大学では圭と呼んでもらえたが。それは圭が短くて呼びやすく、ブルーレットが長くて呼びにくいという理由だったのかもしれない。
どちらにせよとっさに掘り出した名前が圭にとっての黒歴史だったのは、なんの因果か織り込まれた罰としか思えない、圭はそう感じたのだった。
「ではブルーレット様」
「だから様はいらない、気軽に呼び捨てにしてくれ」
「いえいえ、さすがに呼び捨ては、魔族様相手にそのような無礼はこちらの寿命が縮みますので」
「うーん、それじゃ間をとってさん付けでかまわないよ」
「それではブルーレットさん、どうかこの村を救ってください」
深々と頭を下げる村長。
「ああ、まかせてくれ」
頭を上げ「おおお」と感激の声を漏らす村長、目尻にはわずかに涙がたまっていた、これで村が助かると思うとなにも言葉にならなかった。
自然に圭の右手が差し出された、地球式の握手がこの世界で同じ意味をもつのかどうかわからなかったが、体にしみついた動作はそうそう変えられるものではない。
差し出された圭の右手をまじまじと見つめ驚愕する村長、握手を求めるサインに全身に緊張が走る、
まさか助けてもらえるだけではなく魔族から握手を許されるとはつゆほど思っていなかったからだ。
かつて魔族と握手を交わした人間などいただろうか? いや、村長の知るかぎり歴史上そんな事例があったなどとは聞いたことが無い。
これは人類初の快挙なのかもしれない。
おずおずと圭の手を握り返す村長。その手が若干震えていたのは歳のせいだからでない、緊張からくるものだ。
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。そういえば村長さん、名前を聞いてなかったね」
「これはこれは失礼しました、エッサシ村の村長、ウォルトと申します」
硬く結ばれた握手をほどいた圭はホクホク顔である、なにせ忌み嫌われる敵であるはずの魔族の圭に初めてできた友好の握手だからだ。
だが圭は知らなかった、この世界での握手は『対等の契約の証』であるということに。
最強を誇る魔族との対等の契約、これが圭にっとてどんな未来をまねくのか、当の本人はまだなにも知らない。
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