ダイエット

七海美桜

第1話 日常に潜む、好意と善意と無知と悪意

 美和のおばあちゃんは、大きな畑で無農薬野菜を作っている。一緒に暮らしているので、食卓に並ぶ野菜は虫に食われたものばかり。美味しそうな見た目とは思えないその野菜に美和はあまり手を付けず、親によく叱られたものだった。おばあちゃんが一生懸命作ったのに、無農薬だから体にいいのよ?そんな言葉を言われ続けたが、不格好な野菜がどうにも好きになれなかった。だが、料理は苦手で自分で作ることもできず、お腹が空くので仕方なく食べていた。


 そんな美和は、年頃になるとモデルになる夢が出来た。高校の文化祭でミスコンが開かれて、準ミスに選ばれたからだ。嬉しくなった美和は、美容にも気を付けることになった。お小遣いで高い基礎化粧品を揃え、ニキビが出来ないように果物を摂ることにも気を付けた。

 学校の休み時間は、友達とお喋りしながら鏡をずっと見ていた。常に自分の事を見ていないと不安になった。日に焼けるのが嫌で、体育の授業は日焼け止めをたくさん塗ったり、時には保健室で休んだりもした。さらには毎日の登下校で日傘をさすまでになった美和を、同級生は次第に奇異な目で見るようになった。

 高校を卒業すると、モデルになるために上京した。田舎で育った美和は、都会の華やかな女性達を見て、今までの努力は無駄ではなかったと安堵した。と同時に思い出す、日に焼けた野暮ったい格好の同級生たち。自分はあんな田舎者とは違う。横を通り過ぎるキラキラした彼女達に負けぬように、美和は通販で買った精いっぱいの都会っぽい服で胸を張った。


 美和は親が借りたアパートで生活し始めると、何件ものモデル事務所に履歴書を送り続けた。だが、成果は思わしくなかった。面接で必ず落とされる。納得がいかなかった美和は、面接が終わると一人の女性面接官に自分の何がいけないのかと問いただした。

 はじめは返答を濁らせていた面接官だったが、美和の執拗な問いかけにようやく重い口を開いた。

「申し訳ないけど…あなたの体形はうちでは太めで、雇えないのよ」

 太め…?!美和は愕然とした。慌てて鏡を取り出す美和を振り切り、面接官はさっさと逃げ出した。

 鏡の向こうの自分は、確かに顔が丸くなった気がする。服も、上京する時に持ってきたものは全てサイズが合わなくなり、買い直したのを思い出した。履歴書を書く時も、体重計を持っていないので高校生の時のままの体重を書いていた。田舎の実家にいる時は、母やおばあちゃんの料理した健康的な食事だったが、上京してからはコンビニ弁当ばかりで、栄養やカロリーのことなど考もせずに平らげていた。そのせいなのだろう、いつの間にか、こんなに太っていたなんて…


 その日の帰り道、絶望した美和がドラッグストアの横を通ると、派手なサプリの広告が目に入った。大きな文字で『-10キロダイエット!!』と謳ってある。それに惹かれてサプリの棚に歩み寄ると、店員がすぐ傍へ来て商品の説明をしだした。沢山あるサプリで、美和は店員に勧められた少し高めのものを買うことにした。それは実際に『痩せました!』という口コミやレビュー、比較写真が一番多く、信頼性を感じられたからだった。 

 ただ、店員はこの一袋では効果は持続しないので半年は飲むようにと定期購入を推し進めた。自宅発送してくれるなら楽だと、契約書に美和がサインするまでそう時間はかからなかった。 とにかく一刻でも早く痩せたい美和は、考える余裕もなかった。

 言われた通り、家に帰るとコンビニ弁当を食べて指示されたサプリを飲む。店員の説明では、体質にもよるが、このサプリなら今まで通りの食事で大丈夫だとのこと。これで体形が戻るならいいや、と美和は安心した。ただサプリが高くて仕送りだけでは足りず、コンビニでバイトを始めた。

 飲み始めて一か月後、体重計に乗ると3キロ痩せていた。嬉しくなって、美和は喜んでサプリを飲み続けた。が、痩せたのはそれきりで、二か月後、三か月後、四か月後の体重計が示す目方は、むしろ、増えていたのだった。

 話が違う!怒った美和は、コールセンターに電話した。 

「お客様の体質によります。ジョギングなどの運動も併せてみては如何でしょう?」

 電話の向こうの女性は、マニュアル通りの返答を何の感情もなく口にした。

「コンビニで働いて体を動かしています!」

「それは、運動とは言いません。ジムに通って有酸素運動するのがおすすめですよ」

 電話口の女性は、無機質な声で返答する。やはり、サプリだけで痩せるなんて無理だったのだ。あの痩せました広告も嘘だったのだ。騙された ─── つのる怒りに任せて美和は、今すぐこの高いサプリの購入を止めたい、そう言い放ったが、コールセンターの女性は無情な答えを返してきた。

「お客様は一年継続のお申し込みをされています。途中解約は出来ません」

「え!?半年って聞きましたけど!」

「一年契約の書類にサインされていらっしゃいます」

 慌てて美和はサインした書類の写しを確認する。その書類には小さな文字で『一年継続、途中解約は出来ません』と書かれていた。

「お客様にはご契約時に、内容をきちんとご確認下さった上でサインして頂いております。弊社に落度はございませんので、ご契約どおり一年間は解約できません」

 電話を切った美和は、自分の不注意さや都会の厳しさに悲しくて大きな声を上げて泣いた。田舎に帰ることも考えたが、モデルになると家族や友人にしつこく告げて都会に来たので、帰るのが恥ずかしかった。

 サプリの代金を返済するためバイトのシフトを増やし、美和は違うダイエットを考えた。スマホでダイエットと検索すると画面には沢山結果が映し出される。その情報を読んでいると、結局は運動をするか食事を変えるダイエットが確実だと分かった。だが、運動は苦手だった。日に焼けるのも、モデルには大敵。そうなると、食事を変えるしかない。

 お金がないので、カロリーが低い置き換えの食品を買うことも出来ない。サプリの件でそういったものにも不信感があったので、一日三食ゆで卵だけ食べるダイエットを始めた。

 最初は特に不満もなく食べ続けていたが、味が単調で飽き始めた。マヨネーズやチーズをかけて食べることになって、結局また太った。

 コンビニでレジをしていると、ほっそりした女の子達がおしゃれをして楽しそうに来店してくるのを見るのが苦痛だった。私だって、準ミスで可愛いのに!今より痩せたら、アンタ達よりずっと可愛いのに!イライラしながら女の子達を睨む。

「私ね、蒸し野菜サラダで2キロ痩せたの」

 昼食を探している女の子たちが、楽しげに会話しているのが耳に入った。「痩せた」という単語に、美和の耳が反応する。

「えー?ヤバくない?」

 3人組の女の子が、サラダを選びながら話していた。美和はその話に耳を傾ける。

「ほら、もう寒くなってきたから暖かいサラダが食べたくてレンチンで野菜温めて食べてたの。そうしたら痩せてびっくりしたの!」

 秋も深まりコンビニを訪れる人たちも次第に服を着こんでくるようになった。美和はまだ暑くて半袖を着ている。痩せたと話している女の子は着こんでいても十分細くて、痩せる必要なんてないじゃないかと美和はむっとした。

「有難うございました」

 レジで会計を終えた女の子たちは、コンビニの扉を出ると美和を振り返りくすくす笑い何か話しながら町へ消えていった。羞恥と怒りで、美和は真っ赤になる。きっと私の体形を見て笑っているのだ、こんな不格好な自分の姿なんて、消えて欲しい。

 落ち込みながら仕事を終え帰ろうとした時に、女の子が話していた蒸し野菜サラダが気になった。田舎にいたとき、おばあちゃんの野菜がたくさん並んだ食事で太っていた事はなかった。


 試してみよう。


 料理は出来ないが、切ってレンジで温めればいいだけだから自分にもできる筈。帰り道でスーパーに寄り、ブロッコリーやジャガイモなどの野菜、そしてノンオイルドレッシングを買い込んでアパートに帰った。

 不器用な手つきで野菜を切り、皿に載せてレンジで加熱。暖められた野菜を取り出し、ドレッシングをかけて食べてみる。食べごたえのある野菜を多めにしたので、思いのほかお腹がいっぱいになってびっくりした。ドレッシングも種類が多かったので、これなら飽きずに続けられると美和は嬉しくなった。

 それからの美和は、三食を蒸し野菜サラダだけにしてコンビニのバイトを頑張った。気がつけばサプリの契約期間が満了になり、支払いを済ませて解約しようやくスッキリすると、体の方もなんだかかなり軽くなったような気がする。コンビニの店長も、「美和ちゃん痩せたねー」等と話しかけてくるようになった。今まで美和に関心などなく、ほかのバイトの女の子たちにしか声をかけなかったくせに。どうした風の吹きまわしかと不審に思ったが、あまり深く気にしなかった。そして帰り道、立ち寄った雑貨屋の鏡の前で美和は目を見張った。夏の薄着姿の自分がそこに映っていたのだが、なんと全身が、一回りほど細くなっていたのだった。 

 痩せた!!美和は喜んでその鏡を購入するとアパートの目立つ所に置いた。一日に何度も確認する。高校生に返ったようだ。これなら、準ミスに選ばれた時と変わらない、きっと今ならモデルになれる。

 さあ、履歴書を書こう!美和は上機嫌で立ち上がったが、なぜか突然気が遠くなり、次の瞬間には倒れていた。その時テーブルの端で打ったらしく、左腕がズキズキと痛んだ。なにこれ…貧血?首を傾げながら起き上がり、しばらく座ってぼんやりとした。


 ハッと我に返った時は、三時間も経過したあとだった。打ったところを見ると赤く変色している。 なんだか食べる気もなく、その日は履歴書を書いてすぐに寝てしまった。

 それからというもの、美和は体の不調に悩まされることになった。体が重い。脱力感と食欲不振に気分も落ち込んできた。バイトのシフトを減らしたが中々体調は良くならない。先日倒れた時に打った痕も赤黒く残ったままで消えるのが遅い。

 そんな中で、モデルの面接が決まった。今度こそはと美和は気合いを入れ、新しく買い直した服で会場へと向かった。さりげないおしゃれで装う、細い綺麗な女性たちの中にいても、気後れなどしなかった。頑張ってきたのだから、美和には自信があった。

 美和の名が呼ばれて面談が始まる。質疑応答、自己アピールが終わり、次は歩く姿を面接官に見せて下さい、とのこと。ここまですべて順調に進んでいた。が、ウォーキングの最初の一歩を踏み出した途端、美和は気を失い、その場に倒れ込んでしまった。

 


 


 意識を取り戻したのは、病院に運ばれてからだった。眠っている間に色々検査された後、医者に食生活を聞かれた。美和は素直に蒸し野菜しか食べていないことを話した。それを聞いた医者は、呆れたように看護師に点滴の用意をさせる。

「蒸し野菜しか食べていないから、ビタミン不足になっているよ。君の腕についた打ち身は、いつ出来たもの?治りが遅いだろ?」

「ビタミン不足って…野菜にもビタミン入っているんじゃないんですか?」

 納得いかない美和は医者に問いかけるが、ますます呆れたように医者は続けた。看護師が点滴の針を美和の腕に刺す。

「ビタミンはね、熱に弱いんだ。蒸すことによってビタミンは破壊されて溶けてしまう。せめてスープにして飲んでいたら、もう少しマシだっただろうに。食生活を改めなさい。そうしないと、また気絶することになるからね」

 医者はそう忠告すると看護師を連れ、美和の寝ているベッドから去って行った。栄養士という人もやって来て、バランスの良い食事の説明をしてくれる。美和はそれを点滴を受けながらじっくりと聞かされた。

 もう少し点滴を続ける必要があるため、三日ほどの入院になった。救急車で美和を病院まで付き添ってくれたモデル事務所の事務員は、自己管理が出来ていない人の採用はできない旨を告げるとさっさと帰ってしまった。

 個室ではなかったが、今は入院患者が少ないのだろう。広い部屋に一人で、誰も見舞いに来ない寂しさに美和は声を押し殺して泣いた。こんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない。悲しくて悲しくて、その日は眠れなかった。


 

 退院した美和は、『正しい食生活』と書かれた冊子を手にぼんやりとアパートに帰る。帰り道、いつも野菜を買っていたスーパーを通ると体が竦んだ。栄養士は肉や魚も食べなさい、と何度も口にしていた。食べ過ぎなければ太らないのよ、と。だが、野菜で痩せた今、肉や魚を食べるのは怖かった。コンビニでクスクス笑われた事や「あなたの体型では無理」と言われた恐怖が、何度も美和に襲い掛かる。

 美和は無意識にスマホを取り出すと、実家の番号へ電話をかけていた。しばらくのコール音の後に聞こえてきたのは、おばあちゃんの声だった。

「もしもし?」

 おばあちゃんの声を聴くと、美和はまた泣き出してしまった。どうも最近、情緒不安定になっているようだ。

「おばあちゃん、美和だよ…」

「美和ちゃん?あら、どうしたの、泣いてるの?」

 実家にいる時、美和はおばあちゃんに素っ気なかったのかもしれない。小さな頃はよく遊んで貰ったような記憶もあるが、農業をしているおばあちゃんの手が好きになれず次第におばあちゃんとは距離を置いていた。だが、誰も知り合いのいないここで独りきりで、美和は寂しくておばあちゃんに泣きついた。

「おばあちゃん、おばあちゃん。美和、こんなに頑張ってるのに誰も認めてくれないの。悔しいよ、寂しいよ」

「まあまあ、美和ちゃん。泣かないで話してみなさい」

 美和は、おばあちゃんに今までの事を全て話した。おばあちゃんは時折相槌をうちながら、根気よく美和の話を聞いた。

「お料理も出来ないし、美和どうしたらいい?もう、太りたくないよ。痩せて可愛くなりたいよ」

 子供のように泣きながら電話している美和を、スーパーへ向かう人が怪訝そうに見ているが気にもならない。

「熱を加えて駄目なら生のままで。もう夏なんだから食べやすいでしょうし、ビタミンも溶けずに食べられる。美和ちゃん野菜でお腹いっぱいになるなら、その食べ方でいいんじゃないかなぁ?」

 そうだ、ビタミン不足で倒れたのなら、ビタミンが野菜の中にあるままの状態で食べれば問題ないんだ。その助言に美和はようやく涙が止まった。

「本当だね、有難うおばあちゃん。美和、生野菜で食べることにするよ」

「美和ちゃん頑張ってるのは、おばあちゃん分かってるよ。頑張りなさいね。そうだ、美和ちゃん、そっちの野菜は高くないかい?おばあちゃんの野菜送ってあげようか」

 確かに、ここで買う野菜は高かった。色々安い店を探してみたが大した違いはなく、食費が嵩んで好きな服や化粧品も制限しなければならなかった。だがおばあちゃんの野菜なら、タダで手に入れられるのだ。

「…やっぱり、美和ちゃんはおばあちゃんの野菜は嫌いかな?」

 虫食いだらけのおばあちゃんの野菜。だが、無農薬野菜はこっちで高く売っている。健康志向の人達には人気だと聞いた。

「ううん、美和、おばあちゃんの野菜食べたい。送ってくれるの?」

「本当かい?嬉しいね、美和ちゃんがおばあちゃんのお野菜食べてくれるなんて。お腹減らないように、たくさん送るからね」

 こんなに優しいおばあちゃんに対して無碍な態度をしていた自分が、堪らなく恥ずかしかった。

「有難う、おばあちゃん」

「生で食べるんだから、そのまま切って口に入れたらいいよ。お料理苦手な美和ちゃんでも、これなら大丈夫」

 美和を安心させるようにそう言った後、明日送るからねと告げておばあちゃんは電話を切った。美和は涙の跡が残った顔を拭い、微笑みを浮かべてアパートへと帰っていった。



 

 おばあちゃんの野菜はすぐに届いた。レタスやキュウリやトマトにキャベツ。生で食べられる野菜ばかりを箱にいっぱい詰めてくれて、おまけにキャベツ千切り専用のピーラーまで入れてくれていた。

「無農薬だから、洗う手間もないよね」

 まだあまり食欲はなかったが、冷蔵庫で冷やしておいたトマトはとても美味しそうで、それをメインにしたサラダを作ることにした。

「あれ?きゃぁ!!」

 レタスの葉を剥いでいくと中からナメクジが現れた。びっくりした美和は、ナメクジがいる葉の部分を破り、葉っぱごと窓からアパートの裏の空地へ投げて捨てた。初っぱなから気味悪い思いをしたが、無農薬だからいても当然だと気を取り直してサラダ作りに戻る。仕上げにノンオイルドレッシングをかけて食べるととても美味しく、満足な食後感でコンビニのバイトへと向かった。

 バイトをしながら美和は、痩せたことで自分の扱われ方が以前とは激変したことに気が付いた。男性の客は美和のレジに必ず並ぶし、店長も他のバイト仲間の男の子も、美和を食事に誘ってくるようになって、とても気分がよかった。

 アパートに帰るとゆっくりお風呂に入り、おばあちゃんの野菜をたっぷり食べる。サプリで痩せようとした自分の愚かしさに美和は小さく笑った。サプリなんかより、おばあちゃんの野菜が一番。無農薬で栄養満点、しかもタダ!一度実家に帰っておばあちゃん孝行しようかなと殊勝なことを思いめぐらせながら、美和は眠りについた。

 それから1週間。何故か血便が出たり熱が出たり、体調不良が美和を襲っていた。    

そして今度はコンビニで、再び美和は気を失って倒れた。

 


 


 ゆっくりと意識が戻り、自然と瞼が開いていく。眩しくて目を細めつつ辺りをうかがうと、以前倒れた時に運び込まれた病院で寝ていることが解った。何故なら、美和を叱ったあの医師の姿が見えたからだ。なぜだか母とおばあちゃんも一緒にいて、彼ら三人で話している。目を覚ました美和に気づいた母が、慌てて駆け寄って来た。

「なんて馬鹿な子なの!O157脳症になるなんて!!」

 …え?

  母の言っていることが分からない。医師が彼女を宥めているが、美和は奥にいるおばあちゃんを見ていた。その顔は唇の端がつり上がっていて、まるで笑っているような表情だった。


 笑ってる…?どうして?


 倒れた私を見て笑ってるなんて、まさか、そんな筈がない。きっと見間違いだ、まだ頭が混乱しているんだ。おばあちゃんは私に優しくて…。

 ぐるぐると意識が回る。するとけいれんの発作が起こり、跳ねる美和の体を医師が押さえつけて大声で看護師を呼んだ。



 

 美和はO157という病原性大腸菌に罹患し、脳症を起こしていた。二週間ほど入院して完治したが、前回ビタミン不足になった時の影響で鬱が続くようになり、実家に戻ることになった。荷造りするため美和のアパートに入った母親は、台所に無造作に置かれた箱の中の野菜がすっかり腐っていたのと、干乾びたナメクジの死骸を目にして辟易したらしい。 

 


 


 今日も部屋にこもった美和の様子を見に、おばあちゃんが入ってきた。カッターで何度も切った傷痕が残る美和の手首をとり、そこに新しく流れる血を見つけるといつものように手ぬぐいで綺麗に拭ってくれた。

「美和ちゃん、ご飯の時間だよ。おばあちゃんが作ったから食べに行こうね」

 うつろな瞳の美和におばあちゃんは優しく話しかけ、美和の手を引いて立たせると部屋から食卓の場所まで連れていく。

「…ねえ美和ちゃん。美和ちゃんはおばあちゃんが言ったとおり、本当に、お野菜をそのまんま生で食べてたんだねえ」

 二人で廊下をゆっくり歩きながら、おばあちゃんはにこやかに話し続ける。

「けどね、美和ちゃん。いくらなんでもナメクジが這っていたお野菜は、よく洗って火を通してから食べないと危険なんだよ。お料理しない美和ちゃんには、きっとそんなこと、思いもつかないだろうなって思ってたけど」

 繋いだおばあちゃんの手が、なんとなく湿り気を帯びたように感じられた。─── まるでナメクジが這っているような、ゾッとする感触…

「覚えているかな。美和ちゃんは小さい時、おばあちゃんの言う事をよく聞く素直な子だったんだよ。今こうして、あの頃の美和ちゃんが戻ってきてくれてとっても嬉しい。さあ、今日もおばあちゃんのお野菜、沢山食べようね」

 食卓の上には美味しそうに調理された、不恰好な無農薬野菜が所狭しと並べられていた。

 箸を手渡されると、美和は嫌がることなく黙々と食べた。そんな孫娘の姿を、おばあちゃんはにこにこと笑って見ている。


「うちの母は、あんなことになった孫を気にかけていつも世話してくれてるんです。本当に助かるわ」

 共働きの母はそう言って、近所の人におばあちゃんの自慢話をよくするようになっていた。


 美和は、うつろな瞳で今日もおばあちゃんの野菜を食べる。おばあちゃんに打ち明けた望みどおりの、ほっそりとしたスタイルのままで。モデルになる夢は永遠に叶わなくなってしまったけれど…

「ねえ美和ちゃん。もう少し具合いが良くなったら、おばあちゃんと一緒にお野菜作りしようか。ずっと困ってたの、おばあちゃんの他にだれか、畑のお世話してくれる人がいればいいな、って」

 驚いて顔を上げる。 ─── もしかして、おばあちゃんの真の目的は、これ ─── ?

「お父さんもお母さんも勤め人で、畑のお世話は無理でしょう?美和ちゃんはもうずっとここに居るんだし、ゆくゆくはおばあちゃんの畑を継いで、お野菜作ってくれるようになったら、とっても助かるんだよ」

 箸を持つ美和の手がガクガクと震えた。あんなに優しかったおばあちゃんが、どこか得体の知れない、恐ろしい生き物に見える。 ─── 逃げなければ…心臓の鼓動が激しくなる。

 だが、おばあちゃんは手段を選ばない人だということが、身にしみて分かった。逆らえば今後どうなるか…逃げた先で、もし見つかったら…

「ねえ美和ちゃん。ようく考えておいてね」



 明日こそ手首を切った時に、すべてが終わってしまえばいいのに ─── おばあちゃんの笑顔に震える手のまま美和は力なく頷いて、彼女の丹精込めて作られた野菜を、ただ黙って口に運ぶしかできなかった。

 

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ダイエット 七海美桜 @miou_nanami

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