マレビト神さまの応接間

1

 お金がないと、人は病む。


 財布の中身と通帳とをにらめっこしながら、お米を買おうか、ほかのものを買おうかと迷う数時間を、過ごしてみればいい。

 そして思い知る、菓子パンの高さよ。

 パン屋さんのパンなんて、間違いなく高級品だ。


 イベント続きで出費が多かった四月が終わって、夢のキャンパスライフに浮かれていた一年生が現実に気づきはじめる頃。

 遊びたくても、さっさとバイトをしないと先立つものがないのである。


 五月晴れだろうが爽やかな初夏だろうが、魔の月。

 それが、五月だ。


「お金ないんだ~。節約しなくちゃ」


 次の講義までのあいだのお昼休憩。

 同じ専攻のメンバーでテーブルを囲んだけど、お金に余裕がある人なんていなかった。


「お弁当つくってるの? えらい」

「お金がなくてね……」

「わたしもー。コンビニ弁当だって買うのをためらうよねぇ。大学の食堂は安くて助かるから、一日分の栄養をここでまとめて摂っちゃうんだ」


 自炊派。

 食費だけは削れない派。

 料理に自信がなくて自炊をしたらよけいにお金がかかる上に失敗したら最悪だからできれば避けたい派。

 食に対する執着心も人それぞれだから、節約の仕方もみんなそれぞれ。

 でも、お金に余裕がないのは同じだった。


 なってみて、やっと気づいたよねぇ。

 女子大生というのは、貧乏という苦境と戦うファイターのことだったんだな……。


「餅子はおにぎりだけ? ダイエット?」

「ダイエットねぇ。おかずを作る余裕がないだけだけど、ダイエットもできたらいいなぁ」


 迷ったあげくに買ったのは、やっぱりお米!

 ごはんを炊いて、大事におにぎりにして、通学カバンに入れてきた。

 おにぎりだけとはいえ、わたしはじゅうぶん満足だった。

 もやしと玉子のスープでしのいだ日々を思えば、ねぇ。


 一緒にテーブルを囲んだ同級生の名前は、安芸あきあかね

 安芸あきちゃん、と呼んでる。

 自炊はできるだけ避けたい学食派で、今日も、カフェテリアのカラフルなトレイをもってテーブルに着いた。


 安芸ちゃんが頼んだのは、親子丼よりもさらに安い玉子丼。

 鶏肉が入らないぶん、丼メニューの中では最安値、250円!

 サイドメニューから、ほうれんそうのおひたし(90円)と冷奴(60円)をプラス。

 丼メニューを頼めばお味噌汁はサービスなので、スープもあり。

 まあまあバランスよくたっぷり食べられて、400円。ワンコイン以下。

 学生の味方、学食は安い!

 まあでも、そんなお金すら、いまのわたしにはなかったけど。


 もう一人、一緒にテーブルを囲んだ同級生は、枝垂しだれさくら

 櫻はお弁当派で、お弁当箱の中には、玉子焼きやウインナーが彩りよく並んでいた。


 ――それにしても。

 他人の食べ物って、なんでこんなに美味しそうに見えるんだろう……。

 朝方にぎったおにぎりを、じっとみおろした。

 いや、おにぎりに罪はないんだよ。

 これがあるだけで、わたしは!――でも。

 おかずも、いいなぁ……。



「ねえ、これ、もらってくれない?」


 小さな紙袋を取りだしてみせたのは、櫻。


「夜にすることがなくって、作っちゃったの。いまなら色を選べるよ。どれがいい?」


 英字新聞柄の紙袋から出てきたのは、ビーズのアクセサリー。

 花のモチーフがついた指輪で、しかも、色違いで五つある。


「すごい、櫻がつくったの?」

「めっちゃ上手やん。売りなよ!」

「じつはね、地元にいた時は雑貨屋さんに置いてもらってたりしたんだ。でも、いまは伝手がないし。お近づきの印にもらってくれないかなぁ? いやじゃなかったら」


 櫻とは、入学後の歓迎会で知り合った。

 服のセンスがよくて、お弁当作りも毎日がんばってる子だと思っていたけど、アクセまで作れちゃうのか。


「ほんとにもらっていいの?」

「もらってもらって。どの色がいい?」


 ビーズの指輪は、ブルー系、パープル系、ゴールド系、レッド系、イエロー系の5種類。


「ええと――どれにしよう。どれもかわいいから迷うなぁ」

「好きな色で選んじゃえばいいよ。あとは、願い事で選ぶ人もいるかなぁ」

「願い事で選ぶって?」

「恋愛祈願だったら華やかな色とか、金運アップならゴールドとか?」

「じゃあ、ゴールド! ゴールドをください!」


 願い事なら、金運アップ一択!

 恋愛がらみのお願いはね、ひとまず生活が落ち着いてからでいいと思うんだ。

 まずは明日のごはんの心配をしないで暮らせるようにならないと。

 食欲が先だ。




 五月に入ると、サークルに入る子も多かった。

 サークルっていうのは、大学生のクラブ活動のようなもの。

 園分寺大学にも、大学公認のサークルから非公認のサークルまで、百近くあるんだって。

 テニス、サッカー、バスケ、フットサルなどの体育系から、コーラス、演劇、軽音、ジャズバンドなどの文化系、大会を目指して真剣に活動する団体から、同じ趣味をもつ人たち同士が軽いノリで集まっている団体まで、さまざま。

 落語研究会とか、プラネタリウム愛好会とか、気球に乗りたい会とか、手づくり筏レース友の会とか、高校ではお目にかかれなかったユニークなサークルもあって、どんなことをしているのかな~と、気にはなったけれど。


 わたしに、サークルに興味をもつ余裕はなかった。

 とにかくバイトだ。

 バイトをして生活費を稼がないと、最悪、自主退学。

 授業を受けて、単位をとって、大学に居続けるのが最大の目的なんだよ。

 せっかく受験勉強をがんばって、目標の大学に入れたんだもん。

 いまは貧乏だけど、この大学を卒業できれば「園分寺大学卒」っていう肩書が手に入るんだ。

 きっと就職にも有利になる。


 世の中では、教育格差が叫ばれているよね。

 経済力のあるお家の子どもは、塾に通ったり、学費の高い学校に入って、卒業後にもいい仕事を得やすい学力を身につけられる。

 でも、貧しい家庭に生まれた子どもは、なかなか難しい場合もある。

 大人になった後や、子どもが生まれた後まで、教育の格差が経済の格差に形を変えて何世代にも続いてしまう――っていう、社会問題だ。

 そうならないためには、どこかで頑張らなくちゃいけないんだ。

 乗り切り方は人それぞれだけど、せっかくわたしは大学に入れたんだもん。

 とにかく卒業。

 サークルに入って遊んでいる暇はない。

 無理してでも、富裕層の子に並ぶ学力と学歴を身に着けるのだ。

 バイトして、卒業するのだ!



餅子もちこはサークル入らないんだ? そっかぁ、誘おうと思ってたのに」

「ありがとー。余裕がなくてね……。でも、憧れはあるんだよ。どんなだったか話を聞かせてね!」

「もちろん。で、バイトはじめたんだっけ? どこで働いてるの?」

「学校の近くだよ。徒歩五分くらい」

「へえ、いいね。なんの仕事?」

「――調査員?」


 うーん、あれは、なんていう職種なんだろう?


 授業が終わって、いざ帰宅。

 校門までの道のりを歩きながら、櫻が「はい」と挙手の真似をした。


「わたしもバイト先が決まったんだ。駅前のカフェでーす」

「カフェ! おしゃれで櫻っぽい。おめでとう!」

「わー、おめでとう!」

「ありがとう」と、櫻が笑った。

「わたしも餅子と一緒だよ。とにかくバイトしなきゃなの。四月は出費がかさんだもんねぇ」


 そうだよね。

 櫻も遠方から越してきて一人暮らしをしている。

 はじめて生活費の管理をすることになって、戸惑っているのはみんな一緒なんだよね。


「だよねぇ。一人暮らしを甘くみてたよ」

「だね。いっぱいシフト入れてもらえることになったし、賄いも食べられるみたいだから、これからちょっと余裕が出るはずなんだ。だからね、お給料日の後に遊びにいこ!」

「お給料日――なんていい響き……」


 お給料日、それは――。

 その日だけは貧乏から解放されて、舞踏会に出かけたシンデレラみたいになれる日――そのはずだ。たぶん。


「うん、遊びにいこう!」


 がしっと、わたしと櫻の両手が重なった。


「櫻、カフェのバイトがんばって。いまは働いてお金を稼ごう。健闘を祈る」

「ラジャー!」


 そうだ。

 お給料日がくれば、シンデレラになって、ちょっとくらい遊びにいけるんだ。

 それまではがんばろう。

 待ってて、夢の大学生ライフ!




 わたしの勤務先は、キャンパスからすぐ近く。

 校門を出て、ちょっと歩いて、徒歩五分くらいの場所にある。

 鷹倉たかくら家という豪邸で、倉の整理のお手伝いをしている。


 倉の中は、壺やら、掛け軸やら、得体のしれない古いものやら、なにが入っているのかもわからない古い箱で溢れていて、もう何日か働いているけれど、さっぱり片付いた気がしない。


 わたしを雇ったのは、その家の長男、鷹倉天狗たかくらてんぐさんという人。

 園分寺大学の二年生で、専攻は違うけど、先輩でもある。


 職場になった倉は、鷹倉家の門をくぐって中に入り、池のある立派な日本庭園を抜けた先にある。

 漆喰塗りが美しい、大きな倉だった。


「やあ、いらっしゃい」


 天井近くまで積み上げられたものをどうにかよかしてつくった隙間に置かれた、北欧風のテーブルセット。

 そこが、天狗さんの居場所だった。

 その日も、天狗さんはテーブルに置いたノートパソコンをいじっていた。

 鷹倉家という名家の御曹司で、着ている服も、なんとなく品がいい。

 その日も、ジーンズとTシャツっていうラフな格好だったけど、品が良く見えるのは、わたしが買えないようなブランドのものだからなんだろうなぁ~と。


 お金持ちというのは、気性も穏やかだ。

 倉に入っていくと、天狗さんはゆったりとノートパソコンの隅に目を向けて、スマートフォンを手にとった。


「ちょうど午後四時半だね。じゃあ、いまから勤務開始ってことにさせてもらうね」


 天狗さんは、わたしの勤務時間をスマートフォンのアプリで管理するようになっていた。

 でも、謎だ。


 時給は1100円。

 自治体がさだめた最低時給を守っているからといはいえ、安くはないと思う。

 働きにきたのももう四日目だし、長いと一日五時間くらい働くこともある。

 どうしても現金が必要だった初回以降は、月末にまとめていただく話になっているけど、すでに二万円近くはいっているはずだ。

 天狗さんも学生なのに、どうやったらお給料を払えるんだろう?

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