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「あの、きこうと思ってたんですけど。わたしのバイト代って、誰が払ってくれてるんですか?」

「うん?」

「その、天狗さんからだったら、申し訳ないなぁって」


 わたしだったら、払えないもん。

 食パンを買うのも躊躇するくらい、生きていくお金を維持するだけで大変だ。

 天狗さんは、ふしぎそうに真顔をしていた。


「鏡さんのお給料なら、おれの貯金から出してるよ」

「天狗さんの貯金?」


 ますます焦った。

 お年玉とかを貯めてたとして、そういうお小遣いからいただいているんだろうか。

 後ずさりをしかけたわたしを、天狗さんはやっぱりふしぎそうに見ていた。


「一応、親からは資金としてすこしもらってるけど、そっちはまだ手をつけてないね」

「資金? えーと、わたしのお給料を出してくれてるのは天狗さんなんですか? わたし、大変なご迷惑をかけてませんか?」


 これはつまり、大学の先輩にお金をせびってる後輩――っていうシチュエーションではないのだろうか?

 天狗さんはけろっとしていた。


「どうして? おれが働いてほしいって頼んだわけだし、ここを片付けたいのはおれだし。株もやってるし」

「株?」

「ほら、前に、子どもに株をやらせるのが流行っただろ? 経済の勉強になるからって。うちの親も、おれに投資させたんだけど、ビギナーズラックっていうのか、大儲けしたらしくて、おれの貯金はまあ、同級生よりもかなり多い」


 ――子どもに株?

 大儲け?


 思わず、天を仰いだ。


 神よ、ご覧ください!

 これが教育格差というものです!

 なんという将来を見据えた体験学習、なんという――。

 神よ――!


 天を仰いでかたまったわたしを、天狗さんはまじまじと見ていた。


「どうした、鏡さん?」

「いえ……なんでもない……ことはないんですが、いえ――」


 そりゃ、幼少期から株だの投資だののリアルな経験をしていたら、卒業した後や就職後にも都合がいいだろうなぁ。

 ――ううん、負けちゃだめだ。

 入った大学は同じなんだ。

 しっかり勉強して卒業しさえすれば、学歴だけは天狗さんに並べるんだ。


「そっか、すごいですね。でも、どうして天狗さんはこの倉をそんなに片づけたいんですか? 自分の貯金を崩してまで――。あっ、もしかして、ここにある物を売ったら、そのお金をもらえるとか?」

「それもあるけど。起業した後で、ここをオフィスに使わせてもらう約束なんだ」

「起業?」

「うちの親が、学生のうちに起業してみろって。さっき話した親がくれた資金っていうのは、そのための資金なんだ。自分で起ち上げてみれば、企業の裏側が理解できるって――」

「なんという高等教育! 教育格差の権化ごんげ! 教育格差の権化!」

「――教育格差のゴング?」


 しまった。

 思わず口に出してた。

 それに、ゴングじゃなくて権化ごんげ

 ゴングだと試合がはじまっちゃうっていうか――いやいや。


「なんでもありません――」


 神よ。

 世界というのは、まことに世知辛いものなのですね……。

 世間にはいろんな家庭があって、いろんな人がいるんだなぁ。

 強く生きよう――。




「今日は、先に母屋にいこうか」

「母屋?」

「ふだんおれが暮らしてる家のほう」

「えっ、あの豪邸?」

「鏡さんのことを親に話したら、倉の整理の手伝いをしにきてくれているのに、倉にしか通さないのは大変失礼だって。座敷にあがって、お茶でも飲んでいってよ」

「はあ……」


 さすがは御曹司。

 お金持ちは寛容で、紳士淑女である。


 手入れの行き届いた庭園を抜けて、天狗さんが「母屋」と呼んだ邸宅のほうへ向かうけれど、あらためて目の前にすると、その家の大きさにも、古さにも、贅沢さにも圧倒されてしまう。


 たまにあるよね。

「●●家」っていう名前で呼ばれるような、一般人にも内部を見学できる古い建物。

 鷹倉家も、歴史的建造物としても価値がありそうで、見学したい人もきっといると思う。

 玄関も広くて、はじめにきた時にも思ったけれど、由緒ある寺か? という豪華さ。

 とはいえ、人が暮らしてるだけあって、現代風の靴が並んでいたりと、ふしぎな空間だった。


「古いだろ?」

「すごいですね……。いつごろ建てられたんですか?」

「もとは明治時代だけど、何度か建て直してるらしい。最後に建て直したのは戦後らしいよ」


 天狗さんが苦笑する。


「改築の話も出てるんだよ。でも、ここを残してほしいっていう人もいて、建て替えに踏み切れないまま住んでるらしいよ。学校が近いから、おれはあと二年はこのままここに住みたいけどなぁ」


「座敷へどうぞ」と、玄関をあがらせてもらってから、廊下をちょっと進んだ先にある大きな和室へ。

 年月が経った分、柱は飴色になっていたけれど、古いのにかえって艶があるような。

 建物の重厚さに負けないくらい、家具も立派だった。

 いったい樹齢何年?っていう、大木の切り株の形を生かしたテーブルや、芸術品のような欄間や、日本画が描かれたふすまや、床の間に飾られた壺や、掛け軸。

 なんだここ、美術館か?


 一般家庭に育ったわたしには未知の世界。

 なにせ、はじめての一人暮らしをしている今は、通販最安値のパイプベッドで眠り、ホームセンターで買った最安値のこたつ兼用テーブルで食事をとっている。

 それだけでもじゅうぶんわたしにとってはおひとり様最高!

 ――っていう楽園なんだけど、「あらあら、違うわよ、楽園っていうのは、本当はこうでございますよ?」と、強制的に夢から醒める気分というか。


 なんかこう――。

 宇宙船にのせられた地球人が、つれていかれた先の宇宙人世界にビックリしてる気分でもある。

 住んでいる世界が違うのは理解したけど、なんなら宇宙も違うのでは――。


 ふと、足音が近づいてくる。

 やってきたのは、品のいいおばあさんだった。


「いらっしゃいませ。いつも天ちゃんがお世話になっています」


 お座敷の入り口で深く頭をさげてくださるものだから、つい、わたしは土下座した。

 宇宙の作法がわからないのである。


「いえいえいえ、こちらこそ」

「若いのに、しっかりしたお嬢様。どうぞ膝をくずして、ゆっくりされてくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 膝をくずす――って。

 楽にしてくださいっていう意味で、よかったっけ?

 わたしの宇宙にはなかった言葉だった。


 天狗さんが、「おれのおばあちゃん」と紹介してくれる。

 わたしのことも紹介してくれた。


「おばあちゃん、倉の整理を手伝ってくれてる方だよ。園分寺大学の一年生で、かがみ餅子もちこさんっていう方だよ」

「まあ、鏡餅子さん。縁起がいいお名前ね。はじめまして」


 おばあさんはわたしを向いて、ぱっと目を輝かせた。


「我が家の倉に入ってくださる方のお名前が鏡さん、だなんて、きっといいことが起きるわね!」


 かなりご機嫌だ。

 天狗さんが、興味深そうに尋ねた。


「鏡さんっていう苗字って、縁起がいいの?」

「鏡っていったら、ほら、神社の御神体になっているところもあるでしょう? 日本の神様はマレビト神だから――」

「マレビト神って?」

「ずっとそこにいらっしゃるわけではなくて、時々訪れていらっしゃって、ご神体の鏡や、ほかの依り代にお宿りになって、見守ってくださる神様のことよ。つまり、鏡っていうのは、神様が宿るものなのよ」

「へえ。――あ、そういえば……」


 天狗さんはなにかを思いだしたようにこっちを向く。

 でも、天狗さんが口を挟む間もなく、おばあさんは話を続けた。


「鏡餅もそうよ。お正月に飾るでしょう? あれは、お正月に各家にいらっしゃる歳神としがみ様のためのしろなのよ」

「そうなんだ?」

「ええ、そう」


 おばあさんは、皺に飾られたつやつやの顔に満面の笑みをたたえた。


「『鏡餅』って呼ぶけれど、鏡を使っているわけではないでしょう? それなのに『鏡』って呼ぶのは、あのお餅が、神様のための鏡、つまり、依り代だからよ。わかりやすくいうと、神様のためのお座布団っていうところかしら? 神聖なものなの」

「知らなかった。最近じゃ、スーパーで手軽に買える鏡餅も増えたし、餅つきもしないしなぁ」

「気持ちだからね。時代によって変わるのは仕方のないことよ。神様を迎えたいっていう気持ちが変わらなければいいのよ」


 おばあさんは、にこりと笑った。


「そういうわけで、鏡さん。あなたは、鏡餅みたいに、幸運を運ぶお方なのかもしれないわね。ほら、東北のほうには、家の神様のザシキワラシ様がおられるでしょう? ザシキワラシ様がその家にいるあいだ、その家は大いに栄えて、去ってしまわれると零落してしまうとか。鏡さん、天ちゃんを、今後ともどうかよろしくお願いいたします。――お茶をお持ちしますね。ゆっくりくつろいでいってね」


 そういって、おばあさんが品よく座敷を後にするので、わたしはまた土下座した。

 鏡っていう苗字をものすごく褒めていただいたけど、たまたまその名前の家に生まれただけだし。

 それに、天狗さんにお世話になっているのはこちらなので。

 ただのバイトです、わたし――。

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