山百合と青リボン

只の葦

第1話 つまらない女


 私は彼女が好きだ。それは分かっている。分からないのは、今まで心の中で何度同じことを唱えたかってことと、彼女が私のことをどう思ってるかって事だ。


 彼女は私の彩りだから。




 当時の私は、隣町にオープンしたショッピングモールを狂ったように物色していた。

 私の住む町やその周辺の地域に、年頃の乙女が遊ぶような場所など逆立ちしても見つからず、あるのは山と川と、寂れた商店街だけ。加えて、つまらない学校でのつまらない人間関係にうんざりしながら、青春を湯水の如く垂れ流していた。「絶対に都心の大学に進学してこんな田舎からはおさらばしてやる」と意気込むものの、一向に勉強をしようとしない私を嘲笑うかのように、いや、こんな私でも優しく包み込むかのように、隣町にショッピングモールがオープンしたのだ。


 しかもこのクソ暇な夏休み初日にときたもんだ。


 そのショッピングモールは、真っ白な外観にフルーツバスケットのロゴを付けた三階建ての建物で、中にはアパレルショップに本屋、フードコート、ホビーショップ等々、小学生の頃に行った都心の博物館並みに見るもので溢れかえっている。この場所に出店するにあたって、周囲の商店街組合と大分揉めたらしいが、私からしてみれば、商店街をぶっ潰してその上に建ててもらいたいくらいだった。


 私はモール内を駆けずり回り、這い回り、踊り狂った。テナントを端から端まで見ると、その翌日には逆回りで端から端まで見て回った。


 通販サイト中だけにしか存在していなかった沢山のオシャレな服に、長すぎるつけまつげ。選り取りみどりのファンデーション。宝石のごとく輝くリップに、まさしく宝石をぶら下げたアクセサリー。雀の涙ほどしか無い私の小遣いでは、殆どのものに手は出なかったが、まるで遊園地にでも来ているかのような幸福感に満たされていた私には、ウインドウショッピングだけで十分だった。あんなにも毛嫌いしていた田舎者感丸出しである。


 それでも私から退屈さを奪ってくれるならなんでも良かった。


 ともあれ片田舎にやっと誕生したショッピングモールであるから、店内は町内外の人間たちでごった返していた。見れば私と同じ、県立山百合高校の生徒なんかもチラホラ見える。できれば誰とも遭遇したくない。向こうにしたって、楽しい休日に私なんかと会いたくないだろうし。なんてつまらないことを考えている。


 特に青リボンには注意が必要だ。山百合の制服は紺色のセーラー服だが、胸に付いたリボンの色が学年によって違う。青リボンは私と同じ二年生の証だ。私からすれば敵と味方を見分ける目印の役割を果たす。


 青リボンは全員敵だ。


 つまり、私の味方は一人もいない。



 早速目の前に青リボンが2つ現れた。反射的に近くの柱に身を隠す。下手な尾行よりも酷い隠れ方だった。みっともないやら、恥ずかしいやら。

柱の影からチラリと様子を伺ってみる。


「げっ……」


 あれは二条 玲子にじょう れいこだ。モデルのようなスラっとした体型に、サイドダウンにした黒髪、道行く人が振り返る美人だ。本当に同い年なんだろうか。私は無意識に、最近気になり始めた腹部に手を当てていた。隣にいるのは紀伊野 亜香里きいの あかりだ。二条と一緒に居れば誰でもそうなるが、幼い雰囲気の子だ。少し抜けているというか天然な性格で、私から言わせれば、元気なバカと言ったところだ。それでも頭に乗ったお団子ヘアーは可愛らしく、胸なんか二条より全然ある。私の中では十分すぎる美人だ。今日は取り巻きを連れていないらしい。仲良く腕を組んで有名コーヒーショップの新作を飲んでいる。そう言えば一階に店があった。私も後で買いに行こう。でも今は、二条に会わないことの方が重要だ。あいつから何かされたことは無いが、それでも会いたくない。あいつは自分の二年三組のみならず、他のクラスにも幅が利く、二年の中で最大の派閥を仕切る女だからだ。空気を作り出せる女、それが二条という存在だ。


 スクールカーストなんて本当に下らない。そう思っているのはきっと私だけじゃない。それでも私達はそれを作り出し、それに支配され、その生きずらさにどこか安心を見出す。孤独に耐える強さも、孤高に立つ勇気も私達にはない。どこまでも臆病で無知な子供だ。


 それにしても、紀伊野が二条とあんなに仲が良いとは知らなかった。少し二人に興味が湧いてきていた。紀伊野はただの取り巻きの一人と言う認識だったが、二人きりで休日を共にするほどの友情があったとは驚きだ。


「友情」


 この言葉には何の価値もないことを私は知っているはずだ。あの二人も今日はたまたま予定が合っただけかもしれない。もしくはこれから取り巻き達と合流するのかもしれない。そう思うと興味は一瞬で削がれ、二人とすれ違うようにして柱から離れた。


 結局のところ一番気にしてるのは私自身だ。クラスで孤立してることなんて何ともない。寧ろ、厄介な人間関係から解放されて清々している。そう自分では思っているつもりでも、こういう場面で心の弱さがありありと見える。もっと全力で買い物を楽しみたいのに、視界に山百合の制服が写るとそそくさと場所を移動する。フードコートではスマホを見ながら顔を隠す。あいつらは学校でも休日でも、私から居場所を奪っていく。そして、何も言わずにそこを譲る自分自身にも腹が立つ。

 

 あーあ、なんてつまらないんだろう。私の人生の何もかもがつまらない。


 こんな人生いらないだろ。




 夏休み三日目はバケツをひっくり返したかのような土砂降りだった。ウインドウショッピングにもいい加減飽きてしまったが、他にすることも無いので、今日も今日とて隣町に向かって歩いていた。傘をクルクルと回し、早速退屈になり始めた夏休みを思いながら水たまりを蹴飛ばした時、視界に人影が現れた。


「やばっ!」


 気付いた時にはもう止められなかった。私の足は勢いよく水たまりをすくい上げ、放たれた水は人影に綺麗に吸い込まれていった。不幸なその人物は全身びしょ濡れだ。


 しかも山百合の制服を着ている。最悪だ。この土砂降りは神様からの忠告だったに違いない。大人しく家にいるべきだった。


「うわ!ごめん!」


 間髪入れずに謝罪の言葉が口から飛び出す。どうにか穏便に済まさなければ。しかし相手から返事はない。これは相当に怒りを買ってしまったのかもしれない。傘の角度を上げて見ると、その子は頭をもたげて、髪が胸の下あたりまで垂れ下がっている。この絵面だけ見たら完全にホラー映画だ。全身から負のオーラが出ている。


 しかし、私の最悪はまだ終わらなかった。髪に隠されていてすぐには気が付かなかったが、その子が身につけていたのは青リボンだった。紛うことなき敵の証。どうやら私は、あの群雄割拠の女子グループどもの誰かに喧嘩を売ってしまったようだ。


 今度こそ最悪だ。もう私の青春は終わったのではないだろうか。いや、初めから私に青い春などやってこない。



 「青」は私の色じゃない。



 いや待て、何かおかしい。見ればこの女、傘を差していないではないか。つまり私が雨水を浴びせる以前から、この女は頭からつま先までびしょ濡れだったのだ。


 なあんだ、じゃあ私悪くないじゃん。


 まったくもって悪くないわけがないのだが、私はそう思うことにした。


「ちょっと大丈夫?こんな雨の日に傘も差さないで何してるわけ?びしょ濡れじゃん。」


 青リボンを目の敵にしながらも、ここで強く出れないところが私の情けないところだ。だが彼女は私の言葉に全く反応を見せず、顔を上げることも無いまま立ち去ろうとした。確かに私なんかと関わりたくないのは分かるが、ここまで露骨に無視されては流石にムカッとした。

 明らかに嫌なことがありましたって言うような雰囲気を醸し出しておきながら、いざ誰かに心配してもらえれば平気で無視をする。そうやっていれば他人の心を惹き続けられると思っていのか知らないが、そういう幼児みたいな、いわゆる「かまってちゃん」が鼻につく。はっきり言えばウザイ。


「ちょっと!」


 通り過ぎていく彼女の背中に向かって声をかけると同時に腕を掴む。こいつの顔が見てやりたくなった。性格が悪いのは承知の上だが、無視してきたこいつも大概だ。 雨に打たれたって心は清らかにはならないんだよ。




 一瞬、同じ保育園に通っていたアキちゃんのことを思い出した。元気で明るくて、友達も多かったアキちゃん。困っている子を放っておけないアキちゃん。でも、泣いてうずくまっている同級生に対してあの子が、「大丈夫?」と声をかけながら、泣き顔を覆っている手を無理やり引き剥がそうとしていたことを私は忘れない。アキちゃんは優しいのではなくて、可哀想な子が見たかっただけだ。


 今の私がやっていることはアキちゃんと同じかもしれない。無視してきた相手に無理に関わろうとしている。余計なお節介よりもタチが悪い、ただの嫌がらせかもしれない。それでも私はこいつの顔を見たい。世界で1番不幸ですって顔がどんなもんか見せてみろよ。


 私が腕を掴むと、今更私に気が付いたかのように体が跳ねた。ゆっくりと振り返りながら、髪に隠されていた顔が露わになる。


 その目には生気がなく、せっかくの化粧もぐしゃぐしゃだ。掴まれた腕を振り払う素振りもない。

 何でお前がそんな顔してるんだ。自分が世界の中心みたいに振舞ってたお前が、この世が終わったみたいな顔をしてるんだ。




 「紀伊野……?」


 それは紛れもなく、紀伊野 亜香里の顔だった。

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