第14章 女の子はボールにもたれかかる。

女の子は涙をつける。旅の果てに見つけた、安心して寄りかかれるボールに。



 ビルの建ち並ぶ街並みに囲まれた公園の中には、噴水がある。


 噴水の前に置かれている1台のゴミ箱。


 そのゴミ箱を、ある人影が中身をあさっていた。


 まだ10歳にも満たない女の子に見える。しかし、その腕は膨らみがほぼなく、骨のシルエットに当てはまりそうだ。

 白色を下敷きにところどころが茶色く変色したワンピースを着ており、その前髪は顔を多い被さり、後発は肩まで伸びている。腕を動かすと、髪から白いフケが舞い落ちていく。


 突然、女の子は右の方向に倒れた。あさっていたゴミ箱とともに。


「あ……」


 その側に立っていた男性が、倒れた女の子に目を向ける。

 女の子はゴミの上でうつぶせになったまま、動かなかった。動くほどの力も残っていないのだろうか。


「……まいったな。ちょっと急いでいたら肩にぶつかってしまった」


 頭をかくこの男性、歳は30代と思われるだろうが、顔が怖い。

 黄色のコートを羽織り、頭はショッキングピンクのニット帽を被っている。


 男性は申し訳ないようにうごかない女の子を見つめていた。しかし、面倒くさいという心境もあるのか、辺りを見渡している。


「……」


 周りには誰もいないことを知った男性は、見なかったようにそっぽを向きながら、その場から離れようとした。




「……変異体……」




「!!」

 女の子のか細い声は、立ち去る男性を引き留める効果があった。

「どうして……死なないと……いけないの……?」


 まるで問いかけているような女の子の声を、男性はこれ以上背中では聞かなかった。



 女の子の目を覚まさせたのは、コーンの甘い香りだった。


「……?」


 白い壁の側に置かれていたベッドの上で体を起こした女の子は、ゆっくりとしていながらも、その匂いの元を探すように辺りを見渡した。


「!!」


 ベッドの側に置かれたテーブルの上に置かれている物を見て、女の子は目を見開いた。

 甘いコーンの香りは、コーンスープの湯気の匂いだったのだ。その側にはごまドレッシングのかかったレタスとトマトのサラダ、それに唐揚げを載せた皿。その隣の皿にはバターの乗った食パンが2枚。それとコップ1杯の水がある。




 女の子はまずコップを手に取り、中身の水を3秒で飲み干した。


 続いて、食パンを口の中に放り込み、熱々のコーンスープを喉に流し込む。


 その後、用意された箸には手を伸ばさず、レタスに伸ばす。


 ドレッシングが手についていてもお構いなしに。


 その勢いでトマトを食し、唐揚げも口に入れる。




「……」




 唐揚げだけは、喉を通さなかった。

 口からこぼれ落ちた唐揚げの断面を、女の子は何かを思い出すように見つめる。




 その時、扉からノックの音が聞こえてきた。

 ベッドの反対側の扉から入ってきたのは、顔の怖い男性だ。ベッドの上の女の子と、皿に残されていた唐揚げに目を向けている。

「もう起きていたのか」

 男性に聞かれても、女の子は警戒しているのか何も言わなかった。

「……これを食ったら、早くここから出て行くんだな。もし長居するようなら……警察に突き出す」


 警告するように女の子に話した後、男性は扉を開けたままこの部屋から立ち去った。






 しばらくしてから、女の子は唐揚げを残したまま部屋から出た。


 廊下を通っていると、まるで屋敷のように広いホールの2階に出てくる。


 階段を下り、1階の玄関と思わしき両開きの扉のノブに手をかける。




「……?」


 女の子は、玄関のノブをひねったまま何度も引っ張った。しかし、両開きの扉は隙間ひとつ開けようとする様子はなかった。


 その女の子の後ろに、野球で使う大きさの白いボールが転がってきた。


 ボールは自分で動けるのか、女の子の靴のかかとから、右の肩まで登ってきた。




「モウ帰ッチャウノオ?」




 ボールが出した声は、女の子にとってどこか懐かしい響きだった。


 女の子が後ろを振り向くと、その勢いでボールは床に落ちる。


 ボールは階段の影に向かって転がって行く。


 女の子が追いかけて階段の影に向かうと、階段の裏に扉があることに気がついた。






 扉の先は、暗闇に包まれた階段が広がっていた。


 その階段を、ボールは自らの体を光らせながら階段を下りていく。


 女の子も、暗闇に視界を覆い尽くされないためにボールの後を追う。




 階段を下りた先も暗闇が狭い廊下を包んでいる。


 階段から下りた勢いでボールは弾み、廊下の中を駆け抜けていく。


 やがて、光の漏れている部屋に飛び込んでいった。


 その後を追って女の子が部屋に入り、


 しばらくしてから、ニット帽の男性が部屋に入ろうとした。






「おいっ! 長居するなと……」


 男性がその部屋に足を踏み込む直前、それをふさぐように大きな透明のボールが部屋の入り口の前まで転がってきた。

「チョット待ッテネエ。私ハコノ子ノコトヲ聞キタイノ。アナタモ聞キタクテ連レテキタンデショ?」

 奇妙な声に男性は反論するように口を開けたが、言っても無駄だと考えたのか、何も言わず閉じてしまった。

「ゴメンネ。コノオジサンハチョット心配性ナノヨオ。ダケド、私ヲ匿ッテイル、イイ旦那デモアルノ」

 部屋の中の女の子は声の主に顔を向ける。その足元には、色とりどりのボールが囲んでいた。


 声の主は部屋の中心を陣取っている、巨大な白色のボールだ。大きさは足元のボールはもちろん、部屋をふさぐ透明のボールよりも大きい。


「ネエ、アナタノ名前、教エテクレル?」

 巨大なボールはブヨブヨと体を震わせて声を出す。

 その側で女の子は胸に両手を添えているものの、そのボールに対しては恐怖心や警戒心を抱いている様子はなかった。

「……は……」

 一文字だけを口にして、いったん深呼吸をする。


晴海はるみ……」


「晴海チャンネエ……オ腹好カシテイタミタイダケド、ドコカラ来タノ?」

「……」

 巨大なボールが興味があるようにたずねると、“晴海”と名乗った女の子は黙ってしまった。

 その様子を部屋の入り口から見ていた男性はため息をついた。

「わざわざ心の中が読めるから、聞く必要なんてないだろ」

「マアイイジャナイ。ドンナ声デ答エルノカ、興味ガアルンダシイ」

 心の中が読めるという言葉に、晴海は背筋を伸ばした。それに対して、クスクスという笑い声が、ボールの体を揺らす。


「緊張シナクテイイノヨ。アナタハ、私ノコトガ怖クナインデショ? 大好キダッタオ母サント、一緒ダッタンダカラア」


 その言葉は、心の中の奥深くに突き刺さったように晴海の胸を締め付ける。


 思い出したくない思い出を必死に押さえつけようとして、晴海は自分の頭を抱える。


「忘レヨウトシテ、トニカク歩イテキタンダヨネエ。デモ、ズットフサイデイテモ、タダ苦シイダケ。一度ハ開ケテモイインジャナイ?」


 巨大なボールはまるで子供を抱くように、ボールの一部と晴海の顔をくっつけた。


 晴海は体を震わせながら、地面に膝をつく。


 ボールの表面に、小さなしずくが付着した。

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