記憶という本に、失敗が書かれる。それもまた、本の一文である。

 ふたりは、窓ガラスの前に立った。


 その窓ガラスは、景色を写す現実の窓とは違い、鏡のように坂春たちを映す。


 鏡は突然ゆがみ、黒く染まる。


 そこに、小さな男の子の姿が現れた。


 鏡の中にいる男の子は、坂春の顔を見て、不安そうな表情をしていた。




「ダイジョウブダヨ。坂春サンハ、怖イノハ顔ダケダカラ」

 さらっと余計なことを言うタビアゲハに対して、

「この怖さがニビルなかっこよさを引き立てるのだが」

 坂春は怒る様子を見せなかった。


「……おじいちゃん、ボクのこと、こわくない?」

 鏡の中の男の子は、恐る恐る確認するようにたずねる。

「ああ、昔から変異体は見慣れているからな。勘違いが起きないようにたずねるが、俺が見ているおまえは昔の姿のイメージで、実際のおまえは新聞紙に包まれた本の姿をしているんだな?」

 坂春の言葉に、男の子は安心したように頬を緩めてうなずいた。


「……あの、おじいちゃん、お願いがあるんだけど……」

 そこまで言ったものの、男の子は次の言葉を出さなかった。

「私ガ説明シヨッカ?」

 声をかけたタビアゲハに対して男の子がうなずくと、タビアゲハは坂春に「チョットマッテネ」と言い残して立ち去った。


 しばらくして、タビアゲハは一冊の絵本を持って戻ってきた。


「……その本」

 坂春は、本を指さす。


 その絵本の表紙には、ピンクのリボンをつけた熊のキャラクターが描かれていた。


 坂春の反応を感じて、鏡の中の男の子はそっぽを向いた。

「コノ子、好キナ女ノ子ガイルンダッテ。女ノ子トオ話ガシタクテ、図書館が夜中ニ女ノ子ガ好キナ本……エット……コノ絵本ヲ体ノ中ニ入レチャッタンダッテ」

「……」

 男の子の目から、涙があふれ出る。

「ダケド……後カラ考エテ、女ノ子ガ悲シムカモッテ考エテ……返ソウト考エタ時ニ、図書館ニ大人タチガ入ッテキチャッテ……」

「要するに、人前で動いては騒ぎになってしまうから、返したくても返せない……ということだな?」

 男の子は、静かにうなずき、涙声を出す。


「……あの子と一緒に話したかった……それだけなのに……でも、もしも出会えても……怖がって逃げちゃうよね……そうだとわかってて……いじわる……しちゃった……」


「……そうとは限らないだろう」


 坂春はガラス越しに、手のひらを男の子の額に当てた。


「いじわるは、嫌な気持ちにさせようとしてするものだ。おまえはただ、あの子とお話をしたかった。だからいじわるとはいわん」

「……」

 瞬きをする男の子に対して、坂春はある方向を見た。


 5つの本だけが置かれている、本棚だ。


「あの本棚の本……あれはどんな内容なんだ?」

「……ボクの……思い出……」

「やはりな」

 目線を男の子に戻す坂春。

「おまえはまだ若い。だから、今回の出来事はしっかりページに書き込んでおくんだぞ。同じことを繰り返していたら、それこそいじわるになっていくからな」


 なでるようにガラスに付けている手を回す坂春。


 鏡の中の男の子は、涙を拭いた。


 話が一段落ついたところで、タビアゲハはふたりにもう一度絵本を見せてほほ笑んだ。

「ソレジャア、返シニイコッカ」

「そうだな……しかし、どうやってここから出るんだ?」

 周りを見渡しながら坂春がたずねると、鏡の中の少年は顔をあげた。

「ボクが出したいって思ったら、出せるよ」

「……下手したら、永遠に閉じ込められそうだな」






 図書館の外と内を仕切る自動ドア。


 そこから、家族連れと思われる男女と、女の子が出てきた。


 図書館で泣いていた、女の子だ。


 女の子の手には、本を入れるバッグ。


 ピンクのリボンを付けたクマの表紙がはみ出ていた。





 笑顔で帰る親子を見つめながら、坂春とタビアゲハも自動ドアから出てきた。


「アノ子、スゴク喜ンデイタネ」

「そうだな……それはいいとして、本当に来るんだろうか?」

 最後まで親子を見つづけるタビアゲハに対して、坂春はスマホの画面を見ていた。

「来ルッテ……今日中ナノ?」

「ああ、それもあと数分らしい。たまたま近くにいたということだが……」




 その時、広場の前でオートバイが止まった。


 乗っていた運転手はヘルメットを脱ぎ、坂春たちの元に走ってきた。




「えっと……顔面の怖いじいさんに、黒いローブを着たヤツ……ふたりともバックパックを背負っている……間違いねえな」


 金髪に学ランという目立つ格好をした運転手は、ふたりの特徴を口に出していた。


「おまえが運び屋か?」

「ああ、“化け物宅配サービス”の運び屋だ……ん? なんかどっかで見たことがあるような……」

 運び屋である、高校生と思われる年齢の少年は、坂春の顔を見て眉をひそめた。

 タビアゲハも少年の姿を見て首をかしげていたが、坂春は特に反応しなかった。

「まあいいや。確か配達物……じゃなかった、俺のバイクに乗せる客は変異体だったよな?」

「ああ、体を新聞紙で隠しているから、問題は起きにくいだろう」


 坂春はバックパックから、新聞紙に包まれた本を取り出した。


「よし、これを近くの“変異体の巣”に届ければいいんだな?」

 紙とペンを挟んだクリップボードを坂春に渡し、本を受け取る運転手。

 坂春はクリップボードに挟まった紙にペンで記入しながら答える。

「ああ、本来は図書館の中で隠れていたが、この子が見つけてしまってな。この調子では一般人に見つけられるかもしれんから、ひとまず安全な変異体たちの集落……変異体の巣に届けてくれ」

「まかせろ、俺がすぐに届けてやるぜ」


 本にも語りかけるように誓った運転手は、坂春からクリップボードを返してもらうと、バイクを置いてある方向に走って行った。




「…….結局、本ハ借リナカッタネ」


 去って行くバイクを見送りながら、タビアゲハがつぶやいた。


「ああ、運び屋のいる位置によって配達時間が変わるんじゃあ、返却期限に間に合わなくなる恐れがあるからな」


「デモ、後悔ハシテナイデショ?」


「まあな」


 タビアゲハは後ろを振り向いて、図書館を見上げた。


 窓に映る、本棚を見るように。




「直前ニ気ヅイテモ、気ヅケズニ失敗シタッテ、記録ノ本ニハシッカリ残ッテル。ソレヲ忘レナイヨウニスレバイインダヨネ」

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