姿を隠してまで、化け物の少女は旅をする。 目的もなく、ただ味わうだけのために。

 カランカラーン




 喫茶店【化物】の扉が開き、ふたりの客が入店した。


「ん……ああ……客か……」

 カウンターの席に座っていた男性はふたりの客を見ると立ち上がり、けだるそうな足取りでカウンターの向こう側に回った。他に店員がいないのを見ると、彼がここの店主なのだろう。

「なんだか落ち着いた雰囲気のあるお店だ」

 ふたりの客のうちの老人……坂春は店内を見渡しながらつぶやいた。

 それに合わせてもうひとり……タビアゲハも触覚を動かす。


 店内は木製の壁に床、適度な長さの木製カウンター席と日曜大工で作ったようないくつかの座敷、それをほんのりと照らすオレンジ色の照明……

 いわゆるクラシックタイプの内観だ。坂春の言うとおり、落ち着いた雰囲気がある。


 ふたりがカウンター席に座ると、店主はおしぼりをふたつ、彼らの目の前に置いた。大柄な体格を持つその店主、その顔面の凶悪度は坂春といい勝負である。

「注文が決まったら……声をかけてくれ……」

 メニュースタンドを指さすと、店主はカウンター席から少し距離をとった。

 坂春はメニュースタンドを手にとって目を細め、しばらく無言でにらんでいた。この表情なら、店主に一歩リードしている。

「今日のおすすめは“ケチャップのきいたオムライス”か。でも朝からはちょっとキツいかもしれん……」

「……」

 横からタビアゲハがのぞこうとしたとき、「よし」と坂春はうなずいた。すぐに引っ込むタビアゲハ。

「辛子マヨネーズのサンドイッチセットとアイスコーヒーを頼もうか」

 まるで常連客のように人差し指をたてる。

「わかった……その隣の……おまえは……?」

「……」

 タビアゲハは必要ないと答えるように横に首をふる。

「冷やかし……か……?」

「……!!」

 先ほどよりも早いスピードで首をふる。

「なるほど……このおじいさんの……つれか……それなら……外で待ってても……いいんだぞ……?」

「……」

 今度は首を振らなかった。

「すみません、こいつは……」

「変異体……なんだろう……?」







 店主がほほえむと同時に、後ろから何かが現れた。




 それはチョコレート色をした尻尾のようなもの。




 先っぽはとがっており、まるで鋭利えいりやりのようだ。







「モシカシテ……アノトキカラワカッテタ?」

 横に揺れる店主の尻尾を触覚で追いかけながら、タビアゲハがたずねる。

「あの時って……なんだ……?」

「朝ニ店ヲノゾイテイタンダケド……」

 タビアゲハは後ろのガラス窓を指で指した。

 店主の反応は首をかしげる程度だった。

「さあ……気づかなかった……私は……変異体が食事を必要としないとわかっていたから……おまえが変異体と……きづいた……」


 グリリリュウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ


「そんなことよりも、早く作ってくれないか? 餓死まではいかないが、このままでは居眠りしてしまうぞ」

 ウトウトする坂春のマブタは、今にも落ちそうだった。

「ああ……わかった。最近は味も……あまり感じなくなっているが……こうして堂々と……尻尾技を披露できるな……」




 そう店主が言った直後、尻尾はカウンターの下に下がった。


 尻尾はすぐに現れ、後ろの棚になにかを置いた。


 サンドイッチに使う、パンだ。


 さらに尻尾はカウンターの下にある食材を取り出していく。


 その間、店主の手はコーヒーメーカーを動かしていた。


 変異体のような尻尾と人の手、それらが効率よく、見事な連携を魅せていく。




 やがて、坂春の前にアイスコーヒーと辛子マヨネーズのかかった5切れのサンドイッチが並んだ。

「うむ、ようやく腹を落ち着かせることができる」

 坂春は黒いアイスコーヒーをストローで数量ほど吸い上げた後、サンドイッチの1切れを手に取り、前歯で半分ぐらい食いちぎった。


 頬を動かす坂春の横顔を、タビアゲハは表情を観察するように眺めていた。

 まだ疑問が晴れていない様子で、店主は首をかしげながらタビアゲハを見た。

「さっきから……気になっていたのだが……なぜそうやって……じっと見ているんだ……?」

 タビアゲハは店主の方を向き、ちょっとうつむいて頬を指でなでた。

「坂春サン、スゴクオイシソウニ食ベテイルナッテ思ッテ」


 その隣の坂春は特に気にすることもなく、3切れ目に手を伸ばす。


「それに……どんな意味が……あるんだ……?」

 質問を続ける店主。

「意味ハナイケド……ナンダカ、充実シテイルヨウニ感ジル」

「それは……どういう……」

 タビアゲハは指をおろし、顔を上げた。




「……私、コノ姿ニナル前ノコトハ覚エテイナイ。ダケド、ナニカヲ見ルコトガ、スゴク幸セニ感ジテイタ。ダカラ、世界ヲ見テ回リタイッテ思ッタ。タブン」




「……」

 4切れ目のサンドイッチを手に、坂春はタビアゲハを見つめた。


「サッキ公園デ、ハトガ私ノ前ヲ飛ンダ時ニ気ヅイタ。ナントナクダケド、自分ノ目ノ前デ起キタコト……自分ノ触覚デ感ジテ、驚イタ……ソノ感触ガ、スゴク暖カクテ、ズット大切ニシタイ……ソノ時ノ感情ハ、一瞬ダケ体ヲ流レテ一瞬デ消エルカラ」


「つ……つまり……どういうことだ……?」

 店主は理解できないのか、首をかしげる。

「ダカラ……エット……ソノ……」

 次の言葉を探しているのか、タビアゲハは髪をクルクルと指に巻き付けながら、触覚をあちこちと動かしている。


 その隣で、坂春は「なあ」と話しかけてきた。

「俺の食べたサンドイッチは、どんな味がするんだ?」

「エ?」

「さっきまで見ていただろう? 俺がサンドイッチを食べているところを。もしかしたら、俺が感じている味を表情でわかっているかもって思ったんだ」

「……」


 タビアゲハはまぶたを閉じ、しばらく首をひねった。


「スゴクオイシイ……ダケジャナクテ、ナニカガ惜シイミタイナ感ジ……舌ノ先ヲ少シ出シテイタカラ……辛イカ……苦イ?」

 その言葉に、坂春はこっくりとうなずいた。正解のようだ。

「その通りだ。というわけでマスター……」

 坂春は最後のひと切れであるサンドイッチをもって店主に見せた。

「この辛子マヨネーズのサンドイッチ、辛子マヨネーズが多くないか?」

「そうか……? すまないが……それが普通なんだ……こんどはメニューに注意書きを……書いておく……」






 しばらくして、坂春は辛子マヨネーズ(かけすぎ)のサンドイッチを完食させることができた。


「コーヒーの方はなかなかうまかったな。ごちそうさん」

 財布を取り出す坂春、席を立つタビアゲハ、ふたりの背中に背負っている黒いバックパックを、店主は見つめていた。

「どうかしたか?」

「あ……ああ……ちょっと気になってな……その……リュックサックが……」

「バックパックッテ言ウノ。コレ」

 バックパックを背負い直して解説するタビアゲハに、店主は「そうか……」といい、せき払いをする。

「おまえたちは……その……旅をしているのか……?」

「まあ、そんなところだ」

 坂春の言葉に、店主は少し考えるようにうつむき、すぐに顔を上げた。


「もしいいのなら……この話を……別の変異体に……話してもいいか?」


「……というと?」

「この店を開いたのは……私の尻尾がまだ……隠しきれるころだ……他の変異体は……どのように生きているのか……情報を交換する……場所を作りたかった……変異体の客は……おまえが始めて……だけどな……」


 タビアゲハと坂春は互いに顔を合わせ、うなずいた。


「匿名にしてくれるなら、かまわんぞ」

「そうか……どんなのがいい……?」

「そうだな……俺はナイスミドルな色男で安定するが、タビアゲハは……」


 坂春は目をつむり……ニヤリと頬を緩めた。


「化け物バックパッカー」


 そう言い残し、坂春は出口の扉を開いた。


 カランカラーン


 タビアゲハは店主に向かって手をふった後、坂春の後を追いかけていった。




 ビルの立ち並ぶ街の中、タビアゲハは坂春にたずねた。


「ネエオジイサン……バックパッカーッテ、ナニ?」


「あまり金をかけない旅行者のことをよくバックパッカーって言われるんだ」


「ソレジャア、ドウシテ私ハ化け物バックパッカーナノ?」


 坂春は立ち止まり、ほくそ笑んだ。


「バックパッカーの目的は人それぞれだが……その中のひとつに、特に目的を持たず、さまざまな文化に触れ、現地の人と交流する……旅自体が目的だという話を聞いたことがある。タビアゲハの話を聞いていたら、そんなことが思い浮かんだだけだ」

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