巣へ注ぐ熱湯よりは生温く


「以上が皇嗣の発表と、この一週間の出来事だ」


 パソコンを閉じる。見せられたのはここ数日間のニュースと、皇嗣こうしがあのホテルで行った演説の録画映像だった。


 前者は一週間という時の流れを証明するもの。そして後者は、深月に自分の立場を分からせるためのものだろう。


 録画には通信が切れた以降の部分も含まれており、アカデミスタと彼らが雇った傭兵達が流れ込んできたところで途切れていた。そこまでの情報をもとに深月は思考を整理する。映像に加工がないという前提での話になってしまうが、そもそも機械に疎い深月には見せられたものを疑うという概念がない。


 今後の方針を決めるに際し重要なことがいくつかある。


 一つ、現帝の崩御がアカデミスタの企みであること。

 二つ、皇嗣の呪術素養ではやはり呪術の軸としての役割は果たせないこと。

 そして何より重要なこと。──三つ、呪術存亡の解決方法が二つあり、どちらも樺冴深月カミツキ姫が深く関わること。


「うーん、樺冴かご家ってずっと闇闇あんあんのうちにやってきたはずなのに、いつの間にか国難の渦中かー」


 解決策の一つ目は、紛失した神器を探し出すことだ。真物の神器が三つ揃えば、皇嗣の素養でも無事に帝を継承できる。呪術や科学のいざこざ問題はひとまず先送りにできるだろう。


 そしてもう一つは、いにしえの呪具をすべてこの国から消すことだ。


 話しかけられたと思ったのか、深月の独り言に伊佐いさ尚成たかなりがテーブルのお茶請けをいじりつつ律義に反応する。


「そうだな。俺らイナーシャは呪術をこの国から消したい。だが、消したときのデメリットについて考えないわけじゃない。呪術の秩序が失われればアカデミスタみたいな奴らに悪用されかねないしな。よしんばそっちをどうにかしても、今度は呪具が残される。恨みだのけがれだのにまみれた呪具は存在そのものが災厄であり禁忌だって聞くぜ。封印やらなんやらで少しずつ呪詛を散らすしかないモノからそれが消えれば……最悪、富士山が噴火したりする?」


「うーん、するかも」


「だよなぁ。だから現帝がまだ帝の地位にいる間に呪具をすべて消すしかない。だが無理に消しても反動がえげつない。ってわけで、皇嗣こうしは君が使役する狗神との対消滅を狙ってんだよな。その狗神も負けず劣らず、無秩序の世にはなったら駄目なやつだろ? これを機に負債は両方消し去りたいんだと」


皇嗣こうしの本命は?」


「対消滅のほう。なんたって、現帝が退位宣言をしてくれたおかげでタイムリミットができちゃったからな。ゆっくり神器の行方ゆくえを追ってる場合じゃなくなったのさ。ってことで狗神の協力は不可欠。だから君が超重要人物なのは間違いない」


 国に眠るすべての呪具を消し去る。その呪詛総量は現在の狗神に残された呪詛とほぼ同等との計算だ。ぶつけて対消滅をうながすのは最善策に見える。


 だが樺冴かご家の狗神は、使うほどに使役者の精神を喰らい削る諸刃の剣だ。皇嗣の案を実行するとすれば、深月の精神は確実にもたないだろう。


 かといって、正式な形で皇嗣に帝を継いでもらうには、百年ほど前に紛失した二つの神器を探し出さねばならない。


(神器の行方なら心当たりがあるけど……)


 脳裏に源蔵の菩薩ぼさつめいた笑みが浮かぶ。深月はあの笑みを幼少期からずっと胡散臭うさんくさいと思っていたが、やはりあの男の言葉は嘘にまみれていたのだろう。


 樺冴家が秘蔵する神器は精巧なレプリカだと源蔵から聞かされていたが、この期に及んでそんな言葉を信じていられるほど呑気でいられない。紛失した時期を考えるに、樺冴の初代が盗んだ神器こそが真物だったと推測できる。それを当事者であった源蔵が知らぬはずがない。知っていていけしゃあしゃあと嘘を吐いていたのだ。


 恐らくだが、狗神の副作用も、神器の行方の手掛かりも、知っているのは源蔵と深月の関係者だけだ。皇嗣こうしも知らないだろう。情報は交渉の鍵となる。今ここで何をどこまで開示するかで、深月の命運が左右される。


 頭脳労働は私の役割じゃないんだけどなーなんて思いながら、疲労を感じた深月はソファに軽く身を沈めた。スウェットに包まれた自分の手足と、その先にテーブルを挟んで座っている少年みたいな姿の中年男が目に入る。


 胡散臭いといえば、目前の男もそうだ。


「仮にあなた達の言葉を信じるなら、イナーシャは皇嗣こうし様と繋がっているはず。なのに私は物理的な手枷も足枷もないままにこうしてソファの上でくつろいでる。おかしーよね。本当なら私はあなた達の手で皇嗣こうし様の御前にでも引っ張り出されてなきゃいけないのに。どうしてそれをしないの? まるで皇嗣こうし様から、カミツキ姫をかくまっているみたい」


 最後は声に挑発を交えて探りを入れる。

 尚成たかなりはニヒルに口角を上げた。


かくまうか……。言い得て妙だな。確かにイナーシャと皇嗣こうしの協力関係を考えれば、君の言う通りにすべきだ。けどそうすると君は牢に繋がれて、運ばれてくる呪具じゅぐを破壊するだけの非人道的な毎日を送ることになる。そんなの嫌だろ? なにより非効率だ。けど皇嗣こうしは効率よりも確実性を取る安定指向のお人でね。俺と彼はそこで意見が分かれてるわけ」


「ふーん、思ったより対等にやってるんだ。やっぱりあなたがイナーシャの統率者なんだね」


「……おっと。口を滑らせたな、こりゃ。もっと驚き桃の木! って感じのタイミングでカミングアウトしたかったんだけど。歳をとると口元がゆるくなっていけない」


 おどけて肩をすくめる。それが図星を突かれた焦りの表れなのか、彼本来の性分なのかまでは深月には見抜けなかった。


「まーいいよ。演説の内容はひとまず信じておく」


「おっ、いいの? 俺は嘘が嫌いだからな。誓って本当さ。誓約を交わしたっていいぜ」


「呪術を嫌ってる相手にそんなことさせるわけないでしょう。皇嗣こうし様が呪具の回収を進めてるならイナーシャが求める交渉の内容も想像がつく。けどその前に、一つ教えて」


 あのホテルでの一件から一週間が経過していると、伊佐いさ尚成たかなりは言った。


 言葉の真偽を探る。自身の感覚を信じるならば、男の言葉は嘘だ。今の深月には昼寝から目覚めた程度の倦怠感しかない。この身体が一週間も寝たきりだったはずがないのだ。だがそうなると……。


「私はこの一週間、何をしていたの」


 口にした瞬間胃の辺りがずしりと重くなったのを感じた。どうやら自分で思っていた以上に避けたい話題だったらしい。知りたいのに知りたくない、矛盾した感情の原因は分かっている。嫌な予感が──身に覚えがあるせいだった。


 意を決した問いはしかし、薄ら笑いで流される。


「そうだ、ここが何処どこかまだ言ってなかったな。ここはイナーシャの本部だ。郊外の地下深く、呪術を滅ぼさんとする者達の隠れ家。そして俺らの家でもある。ま、おやつでも食ってゆっくりしていって」


「どーでもいいから質問に答えて」


「沸点低いな。キレやすい若者ってやつ? いやぁ君って本当はわりかしせっかちなタイプなんだ。昨日までとは別人だ」


 決定打を口にされ深月の肩が震えた。この一週間、自分がただ寝ていただけでないことは察していた。


 双子も伊佐いさ尚成たかなりも、目の前の人間が本当に深月なのか、確かめるような言動を取っていたから。


 深月の意識が無い間に、この身体で存在がいる。これは比喩ではない。ここ最近、意識が飛ぶ瞬間や身に覚えのない場所に移動していることが時折あった。それはほんの数秒のことだったが、ホテルに入ってから、その時間が伸びつつあった気もしていたのだ。


 深月はもう一度、体を見下ろす。普段の深月ならしない服装スウェットに包まれている。それだけで全身が自分のものでない気がしてくる。無意識に握っていた手を開くと、その指先は微かに震えていた。


 心理的な動揺が外に出てしまっているのを見て、さらにショックを受ける。意識が内に閉じようとしたとき、優しい声音が降った。


「君の怯えは分かるよ。自分じゃない自分が自分を動かしてるなんて気味が悪いよな」


 共感を伴った響きに深月は顔を上げた。男の瞳からはふざけた調子が鳴りを潜め、代わりに痛みを引きずったような慈悲がにじんでいる。胡散臭い印象しかなかった尚成たかなりがそんな表情を浮かべるのが意外で、深月は身体の震えを忘れた。


 茫然ぼうぜんと見ていると、視線に気づいた尚成たかなりが一変して強気で意地の悪い笑みを浮かべる。


「でも俺は正直な大人だから、現実を突きつけていこう。といっても昨日までの君が何者なのか俺らもよく分からないんだけどな。ほとんどずっと寝てたのは確かだし、起きててもぼんやりしてて最低限の食事入浴排泄だけ自動でやってる機械かって感じだった。夢遊病者かとみんなが思ってたくらいだ。

 けど双子ちゃんたちには別のモノが見えてたらしくてさ。子供って得体の知れない相手でもすぐ仲良くなるよな」


「仲良く……してたの?」


「らしい。俺らが交流に気づいたときにはもう口止めされた後だったから詳しくは教えてくれないんだ。探りは自分で入れてくれな」


 尚成たかなりが諦めたみたいに息をつく。


が何者かは分からないが、あの子らが口約束を守ろうとする程度には人間味のある相手らしい。毎朝のラジオ体操も一緒にしっかりやってたし」


「それ自我強くない?」


「俺もそう思ったさ。あれは紛れもない、人間だ」


 言いながらお茶請けから麩菓子ふがしを取って口に放り込む。包装を破くその指はどこかで見たのとそっくりに歪な形をしていた。

 頭に情報をいっきに詰め込んだ深月は、もう何が何だかよく分からなくなってしまう。


 眉間にしわを寄せる深月へ尚成たかなりはチョコパイを差し出して、なぐさめるように微笑んだ。


「俺たちは別に君をいじめたいわけじゃない。むしろ助けたいと思ってる。俺たちイナーシャは呪術被害者の互助組織だ。そして君は狗神に振り回されて理不尽に人生を消費されてる呪術の被害者と言える」


「私はどっちかというと加害者だけど」


 踏みつぶされたありへ落とすような温度の憐憫れんびんにむっとして深月は言い返す。非難の視線を向けられた尚成は、受け取ってもらえないチョコパイを自分で食べながら飄々ひょうひょうとどこ吹く風だ。


「被害者が加害側へ回ることはよくある。洗脳の結果だったり、被害を反転させ──やり返し──て自分を守っていたり。はたまたしまった結果だったり。俺たちはそういう子も例外なく助けたいのさ。この理念は立ち上げ当初から変わらない。他人ひとを傷つけることでさらに自分を傷つけている哀れな子たちも含めて、全ての被害者への救済に動いてる。だから君も例外じゃないぜ、カミツキ姫」


 尚成たかなりがおもむろに立ち上がり、机を迂回うかいして深月のかたわらへやって来た。反射的に距離を空けた深月にそれ以上は近づかない。どころかソファに座りもしなかった。

 男は冷たい床に膝をついていびつな手を伸ばす。


「狗神の副作用については


「えっ……」


「そのうえで言わせてくれカミツキ姫。いや、樺冴かご深月みつき


 無慈悲に感じる冷たい瞳の色の中にもやはり、あの憐憫れんびん一滴ひとしずく混じって見えた。


「この国のために犠牲になってくれ」


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