陰と陽


 町はずれに立つ大型ショッピングモールに少女たちの姿はあった。


 金髪を犬のしっぽのようになびかせる少女と、眩いLED電球に照らされ赤毛が一層静脈血めいて見える少女の二人組。先導するマッドに手を引かれ赤毛の少女がつんのめる。


 今日は珍しく、奈緒はただの付き添いだった。マッドが屋敷の外に出るのは珍しい。この変人が何の目的で外に出たのか、興味を持った奈緒は異を唱えず手をひかれるままにしている。


 マッドはいくつかの高級店を冷やかした後、香水専門店へ向かっていた。モールに到着してすでに二時間が経過しているが、まだ何も購入していない。並ぶ商品を凝視したり撫でたり、あるいは店員から新商品や人気商品のパンフレットをせしめるばかりだ。


 瓶底メガネをサングラスに替え、服装も小綺麗なものに着替えているから、店員は何の疑いもなくマッドに商品説明をしてくれる。それでも、マッドが何かを買おうとする素振りはなかった。


 最初からウインドウショッピングが目的なのかもしれない。到着した香水店でも、マッドは並ぶ瓶を遠目に鼻を軽くひくつかせるだけだったから。


「マッドさん、これは四日後のパーティーになにか関係あるんですか?」


 何も買わずに店員を振り切って店を出るのを心苦しく感じる派の奈緒がついにそう質問すると、マッドは眉間にしわを寄せたまま答えた。


「奈緒ちー。社交界は鈍間の化物オンパレードナイトなリセば。準備万端ツル千年デなキャ取っテ食われるガオチおチ眠れぬストレスフルぎャば」


「へ、へぇ~……」


(いつも以上にマッドさん節がフル回転ですね~。まあ、これは彼女なりの準備なのかも。なんの役に立つのかは分かんないけど)


 奈緒ととりとめのない会話をしながらも、マッドは棚の試嗅瓶に鼻を近づけるのを繰り返している。彼女は鼻も良いから、蓋を開けずとも匂いが分かるようだ。だが続けざまに多くの種類を嗅いで気分が悪くはならないのだろうか。


「マッドさんはどうして私を連れてきたんですか? 真信先輩とかと一緒のほうがマッドさん的には楽しめたのでは」


「マッドは貧弱、お一人散策禁止デすゆえ。お暗い顔引キ連れテも気ガ滅入る滅法デすな」


「確かに、最近みんな思い詰めた顔してますもんね~。緒呉で何かあったんでしょうか」


「行っテない組ニは分カリカねるご事情デすカな」


「あはっ、行ってない組いえ~い!」


「いえーイ!」


 意味のないハイタッチを交わして店を離れる。さすがのマッドも店の香水を全て嗅いだせいか「嗅覚死ニますた……」と弱ってしまったので休息が必要だった。


 自販機横のベンチに腰掛け、野菜ジュースをマッドへ差し出す。研究以外に力を注ぐ彼女を始めて見た。実家からの指示はマッドにとって──いや、夜香やかふみかにとって重要なものであるらしい。


 自由人な彼女にもそういう当たり前な感覚があるのは意外だったが。


「みなさま辛気臭い顔デ曲ガったお鼻モばく転三昧」


「まあ、緒呉に行ってない──当事者じゃないからこそ気づくものもありますね。みんな変ですけど、一番心配なのは静音さんかな~。思いつめてる空気あるのに普段通りに振る舞ってるのが逆に」


姐御あねごの目つキ悲しいなのデす。平賀デああいウ眼よく見まスた。おどおドゆラゆラ。真信サマと近くナい」


「そうなんですか? それは確かに静音さんらしくないですね、いつもは真信先輩第一主義みたいなとこあるのに」


 傍から見ていても静音の真信への献身は明白であった。異常といってしまうには純粋すぎて、余人には口出しできない確固たる完成された忠義に見える。


 それが揺らぐとは、いったい彼女の心中で何が起きているのだろうか。


「深月先輩も考え込んでる時間が増えましたし。二人ともどこか違和感があるというか。あ~、原因が分かんないからフォローのしようもないですよ、まったく。真信先輩が悩んでんのは十中八九妹さんの件ってのは分かるんですけど。どうなんですか、マッドさん。たしか妹さんと面識ありましたよね」


 奈緒も永吏子えりこと会ったことはあるが、接触が短時間だった上に正体を知らなかったから“ヤベえ奴”くらいしか印象がない。


 平賀で暮らし、永吏子が幽閉される原因となったであろうマッドならもっと彼女のことを知っているのではないか。期待と共にマッドを振り仰ぐが、


「あの子ヤバデす」


「……………………ん? だけ? あ~……ですねぇ」


 深く頷くだけのマッドに、奈緒はそれ以上何も言えなかった。






 自称主治医マッドから夏休みの日課に定められたラジオ体操を終える。一番だけで絶え絶えになった息を整えていると、それを見計らったように後見人が訪ねてきた。そろそろ現れるだろうと予想していた深月は、いつものように白スーツの男を客間へ通す。


「最近へーんな視線感じるけど、あれおじさん? 緒呉おくれでも帰るとき感じたんだけど」


「なんのことだ。私の視野は狗神とのえにし由来、かの呪詛が満ちるこの地のみの技とお前も知っているだろう」


「…………それもそーか」


源蔵の否定にあっさりと引く。分かっていたことだ。それでも確認をしたのは、屋敷にいる時に感じる奇妙な視線がどうにも気味悪かったからだ。


膝に乗ってきた三毛猫を撫で、意識を切り替える。


「で、おじさん何しに来たの」


「相も変わらず冷たいものだな。他の面々は?」


 源蔵が紙袋から小さな箱を取り出す。いつもこの男がお茶請けに持ってくる饅頭まんじゅうだろう。深月はその手の平に収まる小さな楕円形の包み紙に手を伸ばしながら答える。


「真信は二階の掃除中で、マッちゃんは奈緒ちゃん連れてお買い物。静姉しずねぇはみんなを連れてお仕事だってー」


 だから周囲に人はいないと視線を投げかける。源蔵はいつの間にか用意されていた麦茶を口に含んで菩薩ぼさつのような笑みを浮かべた。


「ではいつも通りといこうか。今回、私は会場に近づくことができない。お前と違って私は公に顔を知られているからな。皇嗣殿はどうやら狗神関係者と接触したくはないらしい。私が出張って下手に刺激するわけにもいかんだろう」


「じゃー、私も名前は伏せたほうがいいねー」


「そうすべきだろう。とはいえお前も、写真等で顔は割れているはずだ。そこでマッド君──夜香やか家の威光を借りよう。彼女と共に居れば、余計な詮索をしてくる無粋者もいないはずだ。彼女のような立場のものがこちら側に居てくれるのは、幸運だったな」


 心底からほっと息をつく。深月はその態度に眉をひそめた。


「マッちゃんのことも知ってて真信引き入れたんじゃないの?」


「まさか。夜香やかふみかは完全なイレギュラーだよ。まさに棚からぼた餅というやつだ。まぁ、だからこそ今回、私の耳に届かないはずだったパーティーの存在を知れた。夜香やか家様々だ。これは真信君の人徳のおかげだね」


 おどけるように肩をすくめる。その仕草で深月は余計に、源蔵の言葉が本当かどうか分からなくなった。相変わらず信用ならない後見人だ。だがそれはいつものことなので、深月は気にせず本題を進める。


皇嗣こうし様は何を考えてるんだろう。ただのパーティーじゃないよねー。表の著名人だけじゃなくて、有力な呪術関係者がみんな招待されてるんだから」


「呪術社会の今後について触れないはずがないな」


「だろーね。それに私たちは仲間外れなわけかー」


「確実に何かある。狗神を避けるということは恐らく継承──神器に関することだろう。我々にどんな影響があるか、深月はそれを見極めて来なさい」


「言われなくても」


 当然のように応え、二つ目の饅頭を口に放り込む。すると源蔵はニコニコと残りの饅頭を深月の前へ滑らせてくる。


「ところで、私の土産は美味しいかな? 美味しいだろう、美味しいはずだ」


 笑みの脅迫に圧されつつ、深月は無意識に頭へ浮かんだ言葉を口にした。


「そりゃ美味しい。これだけお高くて不味いなんて悲しいだけだし」


 ため息をついて饅頭に手を伸ばす。だがその手は男に阻まれてしまった。強く掴まれた手首に痛みが走る。抗議しようと顔を上げると、源蔵は青い表情で座卓の木目に目を落していた。


「──っ。その返しはなんだ。なぜあいつと同じ言い回しをする」


 食いしばった口の端から低い呻き声に似た言葉が漏れ出る。だが深月には源蔵の問いに思い当たる節がない。


「……え? おじさんどーしたの。私なにか気に障るようなこと言った? ……あれ、そもそも私、何か言ったっけ……?」


 つい数秒前のことが頭から抜けている。思い出そうとしても薄い蜘蛛の巣を引っ掻くほどの手ごたえしか得られない。むしろ思考の空白に触れようとすればするほど、発したはずの言葉は遠くなっていく。


 そうやって困惑する深月の様子に冷静になったようで、源蔵が手を放した。疲れたように眼を細め腰を上げる。


「………………いや、なんでもない。気にするな」


 険しい表情のまま客間を出て行く。三毛猫が見送るようにその後を追う。


 後見人の脳裏に古い友と繰り返したやりとりが浮かんでいたことなど露知らず、


「…………んー?」


 深月はわけが分からないまま畳に寝転がった。

 



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