化生との婚姻


 樺冴の屋敷で人が集まるときは、いつもこの一番広い和室が使われていた。総勢八名の比較的年若い男女が部屋の後方半分にぎゅっと寄り集まっている。彼らが招集されたのは、ある問題についての意見交換のためだった。


 中心にいるのはガタイの良い少年だ。筋肉質な体躯に不機嫌そうな顔が乗っかっている。いつもならウェーブがかった黒髪がもっさりと目元まで隠しているのだが、今は前髪をゴムでちょんまげにされて露出していた。


 濃いクマで縁どられた眼光の鋭さを見るに、彼の本意ではないらしい。彼の傷を看たおかしな少女に「目ガ悪くナるまス!」と無理矢理結ばれたのである。


「で、俺は結局どっちなんじゃ。人か? 鬼か?」


 これが問題の根幹だった。

 緒呉おくれという小さな里で行われた大規模な呪術実験。それは人を鬼へと変貌させるためのものだった。鬼の集落で唯一人間として鬼と交わり続けた小里家の末裔である小里おざとひいらぎもまた、一度は鬼へと変化した。


 だが柊は浄眼じょうがんによる正体看破と、呪術を加速させていた結界の破壊により鬼化が緩和され人間へと戻った。


 一方、国によって保護された他の鬼化住人は、同じ条件下にあった者も完全な人間には戻れていない。体の変質もそうだが、一番は頭蓋骨のたわみによる脳へのダメージが大きいと考えられている。


 そのいずれも柊には見られない。このことから二つの可能性が推測されている。


 小里家が特殊であるからこそ、人間に戻れた特異事例である可能性。

 もう一つは、人間に戻れたというひいらぎの認識そのものが間違いで、鬼のまま外見だけが人に擬態している可能性だ。


 とはいえ、鬼と化した時の腕力や再生能力は、今の柊には使えない。人間に戻れたと考えるのが妥当だ。


 だが万が一にもまた自分の意思と関係なく身体が動き始めることがありえるならば、今度こそ殺すしかなくなる。


 ひいらぎは当事者であるからこそ、そこをはっきりさせておきたいらしい。そのためにこの場が設けられた。


 柊の問いに反応したのは二人の少女だ。


「マッドのお調ベニは人デござまス」


 金色の髪をカチューシャで押さえ瓶底メガネをかけている、白衣の少女が部屋中を走り回りながら声を上げた。緒呉から連れられて来た柊を治療したのもマッドだ。おかしな喋り方で奇行も目立つが、頭の回転の速さは確からしい。彼女がこう言い切るならば、それは科学側の総意とも言える。


 眠たげに柱を背もたれにしている樺冴かご深月みつきが続けて答える。


「呪術的には……鬼を継承した人間、かなー」


 各分野の専門家二人が自身の見解を告げた。だが当の柊には伝わっていないらしい。かぶりを振って舌打ちを洩らす。


「ちっ、じゃからどっちなんじゃ。意味が分からん。学がない阿呆あほうにも分かるように話せ」


 どうやら彼が欲している答えは明確な断言であるらしい。だが少女二人は説明の不足と受け取ったようだ。


「深月ち、どんナ感ジ?」


「んー、考え方としては異類いるい婚姻譚こんいんたんだねー。人と、人ならざるモノが結婚する物語の総称。異類とはすなわち怪物、妖怪、幽霊、あるいは神。そーいった存在との間に子をもうける話は、それこそ神話の時代から存在するの。ひいらぎ君たち小里おざと家は代々鬼と交わってその因子を引き受けてきた人間の家系。小里はちょっと特殊みたいだけど、考え方はここから繋げていいと思う」


 深月の解説に心ひかれたのか、マッドが駆けまわるのをやめて畳の上に正座する。


「興味深キしカの山ウさギ。モち餅モチ鏡ッと詳シく」


 深月は頷き、ピンと伸ばした人差し指で円を描いた。


「異類婚姻譚で知名度高いのは民話系かなー。その中で有名なのはえーっと、つる女房とか」


「つるにょうぼう? なんじゃそれは」


「鶴の恩返しの原型だよ」


 渋い顔のひいらぎに答えると、今度は脇から奈緒なおが首をひねった。


「あれ~? 深月先輩、あれって子供どころか結婚もしてなくないですか。鶴を助けたのってたしかおじいさんだったような」


「原話だと一人身の若い男で、結婚はしてるよー。子どもはできてないけど。民話に下ると、子どもどころか婚姻そのものから逃げるパターンが多いんだー。何かの困難を異類に解決してもらう代わりに女を差し出す約束をするけど、女が約束を破って実家へ逃げ帰るみたいなパターンが増えるんだよねー」


「あっ、小さいころ絵本で読んだことあります。枯れた田んぼを前に困ってるお爺さんがいて、そこに蛙が現れて田んぼに水を引いてくれた。お爺さんは代わりに三女を蛙の嫁にするって約束するんだけど、娘さんは嫁入りの時に蛙を騙して逃げ帰ったって話でしたよね」


「それも民話における異類婚姻譚の代表格だねー。少しずつ細部の違う似た話が全国にあるよ」


 にこやかに昔話を語る少女二人に対し、ひいらぎはやはり不機嫌そうだ。


「逃げ出すなら俺には関係ないじゃろ。小里は鬼から逃げられなかったんじゃ」


「そうだねー。小里は実際に子孫を残して、その性質を現代にまで伝えてる。だから考えるべきは民話型じゃなくて神話型だと思う。でもこっちはあんまりみんな馴染みないと思うんだよねー。一般にも知られてるのって『近江国おうみのくに風土記ふどき』の羽衣はごろも伝説くらいかな」


 羽衣伝説は天女にまつわる伝説である。


 水浴びをしている天女に見惚れた男が羽衣を隠してしまう。天に帰れなくなった天女は男の妻となり子をもうけるが、隠されていた羽衣を見つけると天に帰ってしまった、という物語だ。


 神や天に関わる存在と人との婚姻譚の中では比較的有名であり、子供向けの絵本としても親しまれている。


 そう簡単に説明した深月に、また奈緒が問う。


「神話の婚姻譚って民話と何か違うんですか?」


「一番は、異類との婚姻を忌避きひしてないとこかなー。神話だと、異類との間に残す血縁って優れたものだっていう前提があるの。だから受け入れる。民話で人間側が逃げ出すようになったのって、たぶん動物とか鬼との婚姻を邪淫と定める仏教の教えが広まったからだと思うんだよねー。仏教説話を元にした『日本霊異記』にもそういう話が収録されてるし。まー、それは置いといて」


 我ながら話が脱線したと気づいたらしい。柱にもたれるのをやめ、背筋を伸ばす。話が本題に近づいてきたようだ。


「異類婚姻譚の最古とされてるのは、『古事記』の三輪山伝説。簡単に説明するとー……。美人の娘にかよって来る謎の美男子がいたの。娘はやがて男との子どもを身ごもり、それで両親は男の正体を知ろうと男の衣に糸を通しておいた。男が帰ったあとその糸を辿っていくとそこには三輪山の神が居た、っていう話。男は神様だったんだねー。

 これは人間である活玉依毘売いくたまよりひめと神である大物主神おおものぬしとの子どもである、意富多多泥古おおたたねこの出自を示す話でもある。神の血筋である意富多多泥古おおたたねこを大神神社の神主にすることで流行してた疫病が収まったって伝えられてるんだー」


 説明をいったん切る。ひいらぎは膝の貧乏ゆすりに全身を揺らしながら眉間のしわを断層のように深めた。


「分からんのじゃが。それが俺とどう繋がるんじゃ。そのなんとかネコは神の子どもで、小里は鬼じゃぞ。全然違うじゃろ」


「そうでもないよー。神道の人たちが聞いたら怒るだろうけど、私たち呪術者としては神も鬼も大差ないんだよねー。

 意富多多泥古おおたたねこは神の子だけど神としては登場してないの。神の子であっても神になるわけじゃない。これは神から人への力と性質のみの継承を意味してる。小里が鬼の力を宿しながら、今も人として存在するのと同じように」


 自身の話題を出され柊が口を閉ざす。アカデミックな部分については理解できておらずとも、何かを察したらしい。深月は柊の求める答えを提示した。


「柊君はベースが小里の“人間”であったから、鬼に変化しても人に戻れた。引き継いだのは因子──力であって、鬼という存在基盤じゃなかったってこと。柊君は正真正銘の人間だよー。ちょっと他人より鬼っぽいってだけ」


 視線を合わせて言い切る。柊は眉間に深々としわを作って目を閉じてしまった。どうやら今の話を頭のなかでどうにか整理しようとしているらしい。


 部屋の中に沈黙が満ちる。そんな粗暴な少年の代わりに口を開いたのは、今まで黙して話を見守っていた真信だった。


「国に保護された緒呉の人達が人間に戻れてないのは、ベースが鬼だから?」


 質問は最低限だった。いつもの真信と比べてもテンションが低い。鬼になってしまい未だ戻れない緒呉の住民への同情、というわけではないようだ。彼の目にはどこか探るような色があった。


 深月はその視線にちょっと悲しそうな唇の形をつくり、同じように短く頷く。


「だと思う」


 二人の会話はそれでお終いだった。周囲のメンバーが何事かと騒めき始める。仲の良い二人のどこか冷えたやりとりに困惑を隠しきれない。


 その空気で平然としていられるのは、この屋敷に来て日が浅いひいらぎだけだった。


「おい、深月とそこの金髪メガネ」


「マッドのことであリ糸車?」


「は? まぁお前じゃ。なぁおい、俺は人のままでも、鬼の力が使えるのか」


「ソれは──」


「可能性はあるよー。人の理性を保ったままあの鬼の腕力と再生力が発揮できれば、確かに戦力になるねー」


 頷く深月に、マッドが間に滑り込む。


「ニゃにゃにゃにゃ、危ナいコとは駄目ぬデす」


 仰向けの状態で手をクロスさせ大きなバツを作る。柊はその顔を上から覗き、分厚い眼鏡の奥にある瞳を睨みつけるように見つめる。


「なら尚更なおさら、力貸せ。アンタ頭が良いんじゃろ。俺だけじゃたぶん、すぐ暴走して終いじゃ。なんとかしてくれ」


「マっちゃんの言うとおり危険だと思うよー? また鬼の意識に呑まれないとも限らない。双子ちゃんがいないから、元に戻してあげれるかも約束できない」


「それでもじゃ。

 真信らの言い分聞いてりゃ分かる。菖蒲しょうぶちがやが頼ったのは伊佐いさ尚成たかなりじゃ。あいつには俺も小さい頃から何度か会ってる。アイツは嘘をつかない。信頼できる。じゃが、尚成たかなりがいるんは危ない組織なんじゃろ。俺はそんな奴ら名前も知らんかった。接点はお前らしかないんじゃ。正直、お前らが何なのか、何をしようちしてるのかは理解できん。じゃがお荷物になる気はにゃあ。命張って助力する。じゃから、俺をここに置いてくれ。仲間に入れてくれ」


 柊が額を畳みにこすりつけるようにして頭を下げた。ほとんど土下座の体勢だ。だが場の人間たちは沈黙したまま応えない。戦闘訓練も受けていない者を引き入れられるほど、樺冴家の状況は甘くないからだ。


 特に帝の譲位宣言があってからは働きづめだった。屋敷への襲撃こそないものの、呪術者界隈の動きが著しい。真信と深月はつい数十分前に山向こうから帰って来たばかりだし、奈緒が屋敷にいるのも、捕虜から情報を引き出す手が足りず助っ人で来ていたからだ。


 源蔵の指示するまま怪しげな業者と個人を捕まえること、たった一週間で二十四件。普段の六倍は仕事をしている。朝廷から深月の行動が常時許可されている九州区域内だけでこれだ。日本国内を俯瞰して見ればもっとだろう。混乱と呼んでも差し支えない慌ただしさだ。


 その情勢の中にあって小里おざとひいらぎをどうするのか。皆の視線は自然と、最終決定権を持つ少年へと集まる。


 真信は考え込むそぶりを見せてから目の端を引き絞った。


「キミが命をかける必要はないよ。キミはあくまで被害者だ。進んで危険を冒すことはない。僕らも菖蒲しょうぶさんとちがや君のことは優先して気にかけるようにしておくから、キミは日常に戻るんだ。柊君の今後は保証すると源蔵げんぞうさんも──」


「いらん!!」


 真信の言葉を柊の野太い怒号が遮った。柊は息を荒げたまま膝立ちで真信へにじり寄り、正面から真信の顔へ眼光を向ける。


「あいつらが俺を邪魔じゃ言うて逃げ出すのはいい。じゃが、危ないとこで危ないことすんのは駄目じゃ。骨折ってでも連れ戻す。たとえそうじゃなくても、俺は、あいつらにもう一度会わにゃならん。兄としてたった一言、言わなきゃいけないことがあるんじゃ」


「柊君……」


 怒りとも悲しみとも取れない瞳のゆれに真信は息を呑んだ。悔いるように唇を噛む柊の肩に手を伸ばす。柊がその手を掴み、眼前に掲げた。


「それに俺の手はもう、緒呉のやつらの血で汚れてる。今更じゃ、真信。今更なんじゃよ」


 喉の奥からうなるように吐き出されたのはそんな言葉だった。聞く者によっては平穏な人生への諦めと捉えられる。意識がなかったとはいえ同じ地域に住む知人たちを手にかけたのだ。罪悪感にさいなまれ自棄やけになっても仕方がない。


 だが間近で彼の表情を見ていた真信には分かった。彼の目頭ににじむのはそんなものではない。大事な物のために、それ以外を理不尽に壊す覚悟だ。被害者に甘んじる目ではない。加害者の立場に自らの意思で上ろうとしている。


 その意思を受けとった真信は、柊の熱いほどの視線に頷きで返した。



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