先行きが見えない
先行きが見えないメイラーとアイシャの旅がはじまった。まず彼らはブラプール地方でいちばん大きなバローゲイトという街を目指した。川沿いにあり森林に囲まれた地方都市だ。バローゲイトへはラクスフェルドの北にある山地を西へ迂回し、整備された街道を北上すればよい。林業によって栄えた都市で、もとは自然崇拝のドルイドたちが住んでいた土地である。それをかつてのオーリア神聖王国時代に、異教徒たちが強奪したといういわくがあった。
旅の滑り出しは悪くなく、道中は滞りなかった。丸三日をかけてバローゲイトに到着すると、メイラーとアイシャは宿を取って街中にある木工職人の組合を訪ねた。
組合員の名簿を見せてもらい、コーエンの名を探すと、あった。しかしそれは棺職人ではなく家具職人として登録されている。組合の古株に棺の件を話すと、おそらくそれはコーエンの父親だろうと教えてくれた。
「そういえば──」
アイシャは思い出した。
「ファムケは、アーミテイジの血を吸ったのが三〇年前だと言っていた」
「ならば、奴の棺を作ったコーエンは現役を引退するころか。辻褄は合うな」
とメイラー。
コーエンはバローゲイトの郊外に住んでいるという。組合員にオリオン銀貨を見せると、正確な住所も教えてくれた。ふたりはすぐにそこへ向かった。
バローゲイトの郊外には森から切り出した木材を貯木するための土場があり、周辺に木工職人の工房や住まいが寄り集まる場所だった。森を開拓したその村落で、メイラーとアイシャはコーエンの工房を探した。まもなく見つかったそこは、このあたりでも規模の大きな工房である。工房というよりは、工場といったほうがふさわしいと思えた。職工を何人も抱えているらしく、丸太を組んで作った工場の内や外で、見るからに荒っぽい男たちが働いていた。
現在、この工場はコーエンの息子が親方となり仕切っている。彼と会い、コーエンの棺の話を持ち出すと、相手は快く迎えてくれた。父親が手がけた棺の出来に感銘を受けた客だと勘違いしたようだ。メイラーとアイシャはそれに調子を合わせ、コーエンがどこにいるかを訊ねた。すると、とうに本人は隠居生活に入っているとのこと。工場の裏にいるはずだから、話し相手にでもなってやってくれと言われた。
メイラーとアイシャは工場の裏手に回った。そこには日当たりのよい場所で安楽椅子に座るコーエンの姿があった。やっとで見つけた尋ね人は、予想よりもかなりの高齢だった。髪は白くなってほとんどが抜け落ち、皺と染みだらけの老いさらばえた容貌である。メイラーの胸に、一抹の不安がよぎった。
ふたりが近づいてもコーエンは振り向きさえしなかった。メイラーは安楽椅子の隣で屈み込み、彼に声をかけた。
「ご老人、少しよろしいか。われらはラクスフェルドから参った者です」
コーエンは凍えるように身体を震わせてから、ようやくメイラーたちのほうへ首を回した。
「ほお、それはわざわざ──」
呂律があやしいながら、なんとか話ができそうな様子にメイラーはひと安心した。
「あなたの作った棺について伺いたい。レッドシェラックのニスを塗って、レリーフで飾られた赤い棺です。われらは、その作製を依頼した人物を捜しています。なにかご存じないだろうか」
コーエンはひと呼吸おいて、口をもごもごさせたあと、
「レッドシェラックか。たまに酔狂な貴族が、そんなような棺を作れと言ってきたことがあったかもしれんなあ」
「貴族というと、ブラプールの領主の方かな?」
「いんや、ブラプール伯はずっと昔、代が替わってすぐに身を持ち崩したんじゃよ。その遺領は分割されて、いろんな貴族に買われちまったんだ」
「では、その新興貴族の誰かのために、レッドシェラックの棺を作ったんですな?」
「かもしれんが、どこの誰とかはおぼえとりゃせんよ。わしゃあ何十年も、棺だけを数えきれんほどこさえたからなあ」
「顧客の台帳などは? それらしきものがあれば助かるのですが」
「いやあ、わしのやっとった当時は、その日暮らしの商売でなあ。細々とした記録はつけてなかったよ。すまんなあ」
ここまで辿ってきた手がかりが、肝心なところで途切れた。メイラーは固めた拳を口元にあてて、くやしそうに呻いた。すると、彼の隣にいたアイシャがコーエンに訊いた。
「コーエン殿、ファムケという名に聞きおぼえはないか?」
「はあ?」
老人は耳に手をあてて顔をしかめた。アイシャはコーエンの耳元に顔を近づけ、いくらか声を高くしてもういちど同じ質問をした。
「ファムケ、女の名前か……ああ、そりゃハスラム卿の妾だな」
コーエンの言葉に、はっとなるアイシャとメイラー。
「ハスラム卿とは?」
膝を乗り出すメイラーに、コーエンは遠い目をしてなにかを思い出すべくやや間を置いた。
「えっとなあ、さっき言った、ブラプール伯の遺領を買ったひとりだ。葡萄酒の醸造でひと財産を得た地主じゃったなあ」
「その妾がファムケなのですか?」
メイラーの問いにコーエンは大きく肯いた。
「性悪な女でなあ。ドルイドの子孫だとか、妖術を使う魔女などと取り沙汰されたこともあった。その妖術で男爵を虜にしたあげく、正妻を呪い殺したとかなんとか」
「それは、いつごろの話です?」
「いつって、もう三〇年以上も前の話だよ」
メイラーとアイシャが互いの目を見交わす。そして、急にコーエンが大きな声を出した。
「そうじゃ、思い出したぞ。ハスラム卿の領地だったノルトの村だ。たしかあそこに、赤い棺を届けたことがあった!」
「ノルトの村──」
メイラーがつぶやく。ノルトとは聞きおぼえのない地名だった。どうやらこのあたりの近隣らしいが。
「バローゲイトの北にある村だよ」
横からそう言ったのはコーエンの息子だった。耄碌した父と客がどんな様子か、見にきたのだろう。いつの間にかメイラーとアイシャの背後で話を立ち聞きしていたようだ。彼を振り向き、メイラーが訊いた。
「遠いのか? 距離にしてどのくらいになる?」
「さあて、四〇レウカほどかな。馬なら二日だ」
どうやら終着点が見えてきた。メイラーとアイシャはコーエン親子に手厚く礼を言うと、すぐに宿へ引き返して出立の準備に取りかかるつもりだった。だがその去り際、コーエンの息子が、ふとふたりを呼び止めた。
「あんたら、ノルトへいくのかい?」
「ああ。そのつもりだ」
「余計なことかもしれんが、あそこにはなにもないぜ。森が深くてほとんど開墾されてないし、村もずいぶん前に廃村になったはずだ。それに──」
口ごもるコーエンの息子を、メイラーは怪訝な表情で促した。すると彼は、
「へんな噂を耳にするんだ」
「どのような?」
「あのあたりへ近づくと、神隠しに遭うってな。まあ、おれは信じちゃいないがね。だけど噂が立つってことは、なにかあるのかもしれない」
それを聞いたメイラーは、フードの下からおだやかな表情で相手に微笑んだ。
「そいつは気味が悪いな。だけど、おかげでなんとしてもそこへいかなければならなくなった。あらためて礼を言うよ」
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