03.流れ者と灯台の魔女

 さざ波立つ午後三時。顔に張り付く黒髪を払い、先ほど釣って来たばかりの魚を生け簀に落とす。

 腹が黄色くぼてっと油の乗っていそうな小さな魚と、背びれが中指程もある上に尾びれが鋭利に尖った魚。

 ――今日はたったの2匹か。この小さいのは素揚げにして、大きい方は三枚におろして干物にでもするか。こいつ食べるところあるのかな。


 島の最南端にある灯台に住む魔女は、罠を使って漁をする。多く捕れた日は市場に卸し、少ない時は自分で食べる。

 罠が壊れれば町へ修理のために町に行き、ついでにパンと缶詰をまとめて買って、また灯台に籠る日々を何年も過ごしていた。


 近くに友人はいない。魔女というだけで皆気味悪がって、この灯台に近づくものはほとんどいないが、それで結構。

 人付き合いが苦手だし、そもそも一人でいるのが好きなのだ。誰かに干渉されることに比べたら、孤独に生きていくのなんて取るに足らないことだ。

 いや、孤独ではなかったな。なぜか灯台に住み着いて私に懐くウミネコがいる。名前は付けていないが、やたらと自分に懐いている。


 今日も今日とて貝拾い。魚は飽きた。大きな貝を捕って炭火で焼いて、晩酌のつまみにしよう。

 散策しながら浜辺を歩いていると、灯台から少し離れた場所でウミネコが鳴きながら上空を旋回している。

 何か生き物が挙がったかなと思い確認しに行くと、小さな船が打ちあがっているのが見えた。

 これは好機、金目のものが無いか物色しようと近づくと、船の上に一人の男が転がっていた。


「げ、死んでるのか? もしもーし」


 返事はない。生死の確認をしようとさらに近づいてみると、浅い呼吸音が聞こえてきた。

 ――生きてる。


 よく見ると肌は浅黒く焼けているが、漁師のように筋肉質ではない。端正な顔立ちで、どちらかというと海よりも森の方が似合いそうな男だった。船の上には男の荷物と思われる大きなザックと、海水を吸ってふやけた食べかけのパンと、雫の様な形をした弦楽器が転がっていた。

 楽器を手に取ろうとした瞬間、男がガバっと起きて、魔女の腕を掴んだ。


「おい、俺の楽器に触れるな」


 魔女は驚き一瞬硬直したが、すぐに掴まれた腕を振り払った。そして男を睨みつけながらフンと鼻で笑う。


「お目覚めか。遭難したなら助けてやろうと思ったが、元気そうで何よりだ。じゃあな」

「あ、おい待ってくれ! ここはどこだ」

「……島の名前は知らん。ただ、ここは最南端の灯台のある浜だ」

「そうか……」


 男は憔悴しきった顔で、一度は起こした体をまた横たわらせた。相当衰弱しているらしい。

 魔女は男が寝息を立て始めたのを聞き、船に転がっていたザックの中から男者の上着を引っ張り出し男の腹にかけ、灯台へと戻っていった。


「邪魔するぞ」

 灯台の地階、木製の扉をキイという音を鳴らしながら、浜辺に打ちあがった男が入って来た。

「よく寝られたか」

「ところどころ虫に食われた。あんた、ここに住んでるのかい」

 男の腕には赤い発疹がちらほら見える。あれは蚊ではなくスナホリムシの噛み痕だろう。放っておけばすぐに治るはずだ。

「灯台の管理を押し付けられた不憫な魔女さ。アルビーナと町の人間に呼ばれている」

「そうか。俺はシリウス。旅芸人をしている」

「なるほど、それであの楽器を大切にしているのか」

「あぁ、だが海水を吸ってダメになっちまった。修理をするか、買い替えるか……なんにせよ失ったものは大きいな」


 あの楽器は木製だった。水を吸ってしまうと音色が変わってしまうのだろう。男は生業を失い、途方に暮れている。


「あー、その……アルビー」

「……なんだ」


 突然愛称で呼ばれアルビーナは動揺したが、平静を装いマグカップに入った茶を啜った。


「図々しいのは重々承知なんだが、その、食い物を分けてもらえないか」

「あぁ、かまわないよ。今用意してやる。そこに座って待っていろ」

「……恩に着る」


 アルビーナは野菜を細かくすり潰し濾して煮詰めたスープに、ほんの少しバターを溶かし、細かく切ったパンを入れる。その上にチーズを乗せ、オーブンに入れて焼き目を入れる。

 ついでにローズマリービネガーで漬け込んだ夏野菜のピクルスも一緒に小皿に取り分けた。

 出来上がったものをテーブルに並べ、シリウスと対面の椅子に腰を掛ける。


「どうぞ、熱いから気を付けて」

「良い匂いだ……感謝する」


 頬を蒸気させながら、スープから漂う香りを肺一杯になるまで吸い込むと、胸の前で手を組み、神々への祈りと感謝の言葉をボソボソとつぶやいた。

 そしてスプーンを手にとりスープを掬って口元に運ぶ。


「う……まい。うまいな」

「しばらく食べていなかったのだろう? 胃に負担の少ないものを使ったパン粥だ、ゆっくり食えよ」

「あぁ、ありがとう。本当に……ありがとう」


 シリウスはひと口啜るたびに大粒の涙をこぼした。そんなにうまいかこのスープは、と驚いたが、考えてみれば無理もない。

 事情は分からないが、遭難し、食事もろくに摂れず瞼と頬が窪むほど衰弱し、陸地に辿りついたと思ったら名も知らぬ島だったのだ。

 不安と焦燥と、色んな思いの入り混じった涙なのだろう。

 アルビーナは先ほどまで読んでいた本に目を落とし、シリウスの涙は見えないことにした。


「馳走になった。本当にうまかった」

「それはよかった。そうだ、湯あみの支度をしてやるから流してこい。お前匂うぞ」

「す、すまない。お言葉に甘えさせてもらうよ」


 シリウスが湯あみをしている間、小さく歌声が聞こえてきた。

 それは風の無い夜の海のように、静かで穏やかで、もう少し聞きたい、そう思わせるような魅惑的な声だった。


 その晩シリウスは、久方ぶりの安心できる寝床で就寝した。


 翌朝、朝食を終えてから、伸びきったシリウスの髪を整え、髭を剃った。


「見違えたな。なかなかの男前じゃないか」

「ははっ、そうかい? 俺の様な流れ者に女は見向きもしないけどな」


 シリウスは旅芸人をしながら、一人で各地を回っていたらしい。大陸から東の国へ船で移動する途中、嵐に遭い船が難破したそうだ。他にも4名乗組員がいたが、皆荒れた海に呑まれ、シリウスだけが命からがらこの島へたどり着いたという。


 正午前、まずはここが世界地図のどのあたりにある島なのかの確認と、今後どうするかを決めるために、シリウスを町へ案内することになった。

 町に行く前に、島で一番大きな港にある漁業組合に立ち寄り事情を話すと、奥から組合長が姿を見せた。軽く挨拶し、シリウスが浜に打ちあげられた経緯を話す。その間アルビーナは、捕った魚をいつも買い取ってくれる問屋の主人に声をかけ今日の釣果について談笑する。


「なるほど、この島の場所は大体わかった。恩に着るよ」

「かまわんさ。ところで兄さん、夕べは灯台に泊ったのかい? 何もされなかったかい?」

「どういう意味だ?」

「あの女は魔女だぞ。毒を盛られたり目玉をえぐられたり――」

「あははは、そんなことないさ。彼女は俺の命の恩人だ。素性も知らぬ男にうまい食事と寝床を用意してくれたぞ」

「そりゃ兄さん、安心させてから食っちまうつもりなんだよ」

「なんだ、誰か食われたことでもあるのか?」

「昔あの魔女に惚れた男がいてな、灯台に行って一晩過ごしたら、まるで廃人のようになって帰って来たんだよ。そいつの仲間の話じゃ、魔女に精魂吸われたんじゃねえかって話だ」

「ふうん……」

「他にも色々あってなぁ、誰かが無くしたもんをよく持ってくるから、あの魔女が盗んでるんじゃないかとか、口をきくと翌日体調くずしたりな。関わるといつもろくな事がないからってよ、あの灯台に閉じ込めてんだってよ」

「面白い話だな」

「真に受けてねえな。まぁいいさ。せいぜい魂抜かれねえように気をつけな」

「ご心配ありがとう。肝に銘じておくよ」


 問屋の主人と楽しそうに話しているアルビーナの元にシリウスが戻ってくると、主人に別れの挨拶をし、今度は町に向かって歩き出した。


「組合長とずいぶん盛り上がっていたじゃないか。シリウスは人当たりがいいんだな」

「盛り上がっていたというより……まぁ、そうだな。そんなことより、昼飯はどうする」

「せっかく町に行くんだ。何か美味いものでも食べよう」


 町に着いた二人は早速屋台通りへ向かった。大きな魚の刺さった串焼きや、大きな鍋で煮込まれた豆のスープ。野菜と焼いた肉が挟まれたパンにカラッと揚げられたドーナツ。どれも食欲をそそる物ばかりで目移りしてしまう。

 食べたいものを全て買い、広場にある噴水に腰かけ二人で次々に口に放り込む。


「へぇ、全部美味いな」

「そうだろ? この町はとにかく飯が美味いんだ」

「町並みも綺麗だし、いいところだな」

「うん。割と気に入ってる。私は気に入られてはいないようだがな」

「……そうか」


 腹ごしらえを終えた二人は、ぼろぼろになってしまったシリウスの服を慎重するため、服飾店に向かう。

 その道中、こちらを指さしながらひそひそと話す者を何人も見かけた。


「シリウス、すまないな」

「何がだ?」

「私と共にいるせいで、噂話の餌食にされてしまっているみたいだ」

「あぁ、そんなこと。何の問題も無い。噂したい奴にはさせておけばいいさ」

「……強いんだな」

「これでも世界を練り歩く旅芸人だ。心臓には無数の毛が生えているんだよ」

「それはそれは、心強い」

「俺は夕べ、人生の伴侶に出会えたからな。おかげで更に図太くなったよ」

「大丈夫かお前。いくらなんでも惚れっぽすぎるぞ」

「俺は大真面目だ。君は美しい」

「ふん、私の夫になるのなら、まずは綺麗な服を着てもらわないとな」


 ははっと控えめに笑うアルビーナに目を奪われる。

 切れ長の目つきのせいで、無表情でいると端から見ると怪しげで周りを威圧しているように見えてしまうから、変な噂がたてられるんだろう。

 シリウスは、この街の魔女への処遇に苛立ちを感じていた。まだ一晩しか共にしていないが、こんなに心優しい魔女に出会ったのは、長い旅の中で初めてだった。誰も寄り付かぬ灯台へ追いやり、妙な噂話を立て遠くから指を差す。それが当たり前で、アルビーナも受け入れている。

 ――この島の空気、自分とは違うものに対する人間の視線が、とにかく気持ち悪い。


 しばらく歩いてから、シリウスははたと気づいた。

「なぁアルビー」

「なんだ?」

「俺、金持ってないぞ、ザックの中に置いてきちまった」

「問題ないよ、蓄えはあるんだ」

「いやいやいや、それじゃあさすがに甘えすぎだろう」

「気にすることはないぞ? 金を持っていたって使い道があまりないからな」

「そういう問題じゃないんだよ……あ、そこの君!」


 シリウスはギターを抱えて歩く少年に声をかけると、何やら話し込み、その少年のギターを手に取り道端に座り込んだ。


「突然どうしたんだ?」

「ないものは稼げばいいのさ。そこで見てな」


 そう言ってシリウスはポロン、とギターを軽く爪弾いた。持ち主の少年に声をかけ、少年が持っていた小さな機械に耳を当て何かを調節しているように見える。ギターのケースをパカっと開け、アルビーナにウィンクをした。

 そして、コホンと一つ咳払いし、弦に指を落としギターを鳴らし始めた。その音は一つ一つが弾むように滑らかに生み出され、美しい旋律を奏でる。

 町行く人は足を止め、その演奏に耳を澄ませる。中には目を瞑り、酔いしれるように聴き入る者もいた。

 ひとつ曲を終えると、聞聴いていた人たちは次々にギターケースへ小銭を投げ入れた。

 ――シリウスは、これを生業にしているのか。


 シリウスは興が乗ったのか「それではもう一曲」と言い、アルビーナを手招きする。戸惑いながらシリウスの元へ行くと、観客がざわめき始めた。

「あれ、灯台の魔女よね」

「卑しい魔女だ」

「また男をたらしこんでいるのか」

「見てみろよ、あの目つき」

 普段は遠巻きに聞こえてくる中傷が、今は目の前で直接的に投げつけられる。

 アルビーナは平静を装っているが、かすかに唇が震えているのがわかる。

 ――違うんだアルビー。俺は君に辛い思いをさせたいわけじゃない。


 夕べ聞こえてきたアルビーナの歌声を思い出しながら旋律を奏でるシリウス。アルビーナはそれに気づき、驚いたように目を見開きシリウスを見ると、シリウスは口だけを動かし「歌って」と告げた。

 アルビーナは冷や汗が首を流れるのを感じた。こんな聴衆の前で歌うなんて、しかも自分を忌避しているような人たちの前で、そんなこと、とてもじゃないけどできない。


 ところが、シリウスの演奏はどんんどんと加速し、その場の空気を圧倒していく。立ち上がり、体を揺らし、つま先でリズムをとりながら聴衆の心を囃し立てる。そして一番盛り上がったところで、スッと音が消えた。

 突然訪れた静寂に、聴衆が息を飲むのを感じる。風がさっと通り抜け、アルビーナの髪がふわりと持ち上がる。


 ――さあ、歌って。


 背中を押された気がした。


 アルビーナは大きく息を吸い込み、腹の底から声を響かせ、空気を震わせる。それに合わせてシリウスは再びギターを掻き鳴らす。

 先ほどよりも艶やかなギターの音色に、聞いたことのない言語で歌声をのせて更に音の厚みを増していく。


 正午の太陽が一番高く上る時間帯。日差しが照り付ける道路から、陽炎がゆらりと浮かぶ。それを上回る熱気が聴衆を覆い、二人の音楽はその場の空気を一つにまとめあげていた。

 聴衆の手拍子や合いの手が、心地よくアルビーナをラストへ導く。


「……はっ」


 曲が終わると、再び静寂が訪れた。

 シン……

 聴衆はただじっと、アルビーナを見ている。

 ――逃げ出したい。

 そう思い、踵を返しそうになった時。


 パチパチーー

 シリウスにギターを貸した少年が興奮した様子で手を鳴らす。すると、つられたように一人またひとり、まばらだった拍手が積み重なって、一際大きな波のように響き渡った。

 称賛と喝采が二人を包み、小銭がどんどん投げ込まれていく。

 アンコールをせがむ者や、もう一曲歌ってくれという声まで聞こえた。


 そんな中アルビーナはジッとうつむき、たまらず走り出した。

 シリウスは驚き、ケースの中に溜まった小銭をバラバラっと懐にしまい、聴衆に挨拶をしてからアルビーナを追いかけた。


「おい! アルビー!」

 呼びかけてもアルビーナは止まることなく走り続ける。この先は灯台だ。元来た道を全速力で駆け戻っている。

「待てって!」

 ようやくアルビーナの腕を掴みグッと引き寄せると、振り向いたその瞳には雫が溜まっていた。

 胸を押さえて、その雫が零れないように堪えている。

「アルビー……」


 シリウスはアルビーナの両肩を押さえ、少し屈んで顔を覗き込む。

 その顔はアルビーナとは対照的に、心なしかニヤついているように見えた。

「どうだ、今の心境は」


「……最高に、気持ちよかった!」

 アルビーナは袖で涙をぬぐって、ニカっと笑ってみせた。



 その後二人は、定期的に町に降りて演奏をした。毎度大勢の聴衆に囲まれ、とんでもない数の投げ銭を稼ぎ、魔女の歌う曲は瞬く間に島中に広がった。

 その頃にはすっかり魔女の悪い噂話は消え、魔女のレシピで作る薬を売るほどに、人々の輪に溶け込んでいった。

 シリウスは灯台を訪れた人にギターを聞かせ、人々に囲まれながら穏やかに微笑むアルビーナをいつまでも見つめていた。


 人々は魔女の歌を愛し、また、魔女の心と島の人間の心を溶かした流れ者の旅芸人を愛した。


 二人が守る灯台は、闇を進む道しるべとしていつまでもいつまでも輝きを失うことは無かった。





 fin…


――――――――――――

5月16日「旅の日」

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