第9話:完璧な大人はおらず、人生は不条理
要が友里のお見舞いに行けたのは、事故から二ヶ月近く経ってからだった。要は友里の家には何度も遊びに行ったことがあったため、自ら電話をして、友里の母親にお見舞いに行きたいと申し出ていた。要は非常に行儀がよく、学校進度にともすれば遅れがちな友里の宿題を手伝うことも多かったので、友里の母親からは非常に覚えがめでたかったから、友達の中でも一番先に連絡すると約束してくれた。友里の母親は要が大体一人で夕飯を食べていると聞いた日から、飯田家の教育実態を察することとなった。
ある日学校から帰ると、友里の母親から、個別の面会が出来るようになったという電話があった。と同時に、友里が半身不随になり、意識はあるものの、全身に麻痺が残って会話もスムーズに出来ないと告げられた。更に、回復の見込みは生涯に渡って、ほぼないとも付け加えた。クラスのみんなでお見舞いの色紙を書いていた時には、ぼかされていた事実だった。言葉を失った要に、友里の母親は現実を告げたことへの後悔を滲ませた。
「ごめんね、要ちゃん」
「友里ママが謝らないでください。私が何度も会いたい、会いたいってせがんで、面会を許してくれて、ありがとうございます」
友里の母親は少し言葉を詰まらせてから、ゆっくり息を吐いた。
「本当に、要ちゃんはしっかりしてるから……いえね、何度かうちでお夕飯食べた時あったでしょう」
友里の家は定食屋だった。友里の父親が主に調理をして数名の従業員を抱えるほどの規模で、友里の母親は人手が足りない時に入るくらいだったが、京子が作らないようなもの、肉豆腐や丸々肥えた鰊の一夜干しなどが、素晴らしく美味しかった。要は家庭の味というものを親友の家で初めて知った。友里の母親は続けた。
「その時に、何となくは、要ちゃんのお家の話聞いているけど……パパもママもすっごく忙しいみたいで、悪い言い方すると、ちょっと放っとかれてるみたいで可哀想でね。要ちゃんはひとりで良くやってると思うのよ」
友里の母親は友里に似て、裏表がない人だった。要は、自分が憐れまれていることにひどく恐縮した。
「そんな。友里が大変な時だから、私のことはどうでもいいです」
「要ちゃん……」
友里の母親の声が、電話越しでも震えているのが分かった。
「要ちゃん、自分のことどうでもいいなんて、言っちゃダメよ。どんな子だって、どうでもいいなんてこと、ないんだから」
電話を切った後しばらく、要は友里の母親の言葉を思い、心を悩ませていた。だが、すぐに塾に行かなければならなくなった。要の日々のスケジュールにおいて、熟考は問題を解く時にしか、許されない行為だった。
要は面会の前日の夜、ほぼ眠れなかった。事故直後はすぐにでも会いたい気持ちでいっぱいだったが、詳細な容体を聞いた今、会いたい気持ちより戸惑いが勝っていた。ベッドの中でレイダーを抱きしめて、明日どんな態度で友里と会えばいいのか、何て声を掛ければいいのか、ずっと考えていた。身体が不自由になって、どんな気分なんだろうか。自分だったら、何もかもに絶望してしまっているかも知れない。身体は面会出来る状態になっても、誰とも会いたくなくて、自分から面会を拒否するかも知れない。要は怖かった。明るくて、体を動かすことが好きだった友里が今どうなっているのか、どんな思いでいるのか、自分にどう接するのか。何時間も頭をぐるぐると回し、要は気付いた。親友の容体が不安なのではなく、友里を見た自分が傷付くことを恐れているのだと。そして同時に、それは人生が変わってしまった友里に対して失礼で臆病な感情だということも、強く感じた。大きな自己嫌悪の波。疲れ果てた要の小さな身体は疲労の波に呑まれ、東の空が白ばむ頃、ようやく眠りについた。
塾がない木曜日は、いつも友だちと遊ぶ日だった。だから、面会もこの曜日になった。
入院先は東京でも有数の小児科専門の大病院で、バスで向かうことになっていた。友里の母親とバス停で合流した。友里の母親は気さくに笑いかけ、バスの席に座るなり、巾着袋からたくさんアメを取り出して渡してくれたが、表情は疲弊しきっており、深い悲しみの痕が顔の皺として刻み込まれていた。以前の気さくな雰囲気はその純粋さを失い、何とか絞り出している様に感じられた。友里ママはどれくらい泣いたのだろう。要は貰ったカリカリ梅を噛まずに、上顎と舌で圧迫して、不条理な悲劇の重さに耐えていた。
要は、自分が生まれた時を除けば総合病院に行ったのは初めてで、入院患者のお見舞いも初めてだった。病院の大きさと、無機質でありながら限りなく刺激を与えないように作られた雰囲気に逆に圧倒されてしまった。吹き抜けになっている受付で多くの人たちが呼び出しの順番を待つ姿は、以前テレビで見た大聖堂でのミサのようだった。怪我や病気という悪魔を退ける力が、この白く大きな建物の中に潜んでいると、要は一種の感銘を受けた。
友里の病室は上階の個室だった。要はエレベーターに書かれた各病棟の名前を一生懸命読もうとしたが、専門的な診療科の名前はほぼ読めなかった。病室には、友里の母親が先に入った。中には有里の姉・浩美がいた。要は緊張してドアを閉め忘れ、自動で閉まった音に思わず身体を強張らせてしまった。
「要ちゃん、よく来てくれたね」
「浩美ねえちゃん、こんにちは」
浩美にきちんと頭を下げてから、要は恐る恐る、友里の方に体を向けた。
真っ白なベッドの横に、大きな機械。モニターやチューブ。要はそれが友里の生命を維持するために必要なものだと瞬時に悟った。そしてそれに繋がれている友里。下半身は布団で隠され見ることができなかったが、頭や腕も包帯やギブスで固定されており、遮光カーテン越しのぼんやりした陽射しの中で、友里の顔と指先だけが浮かび上がっていた。
友里の顔は左側が耳の方に引っ張られるように引き攣り、上向きだった鼻がひしゃげていた。割れた唇は半開きで、視神経にも影響が出ているのか、黒目はまぶたの上の方を行ったり来たりしていた。これが友里だと言われなければ彼女だと分からないかも知れないと思い、要はゾッとした。事故の恐ろしさと、自分が薄情に思えたから。
「ほら友里、要ちゃんが来てくれたよ。前からすごく来たがっていたんだよ」
母親が友里に寄り添い、声をかけた。
要はビクッとした。友里は、相変わらずただ目を動かし続けるだけだった。友里の姿に怯えている自分を見抜かれてしまう気がして、要はすぐに顔を伏せてしまった。とにかく、ショックだった。要は友里の姿にショックを受けた自分を隠したくて、必死に頭を働かせて、慌ててリュックの中からクッキーの菓子折りを取り出した。
「すみません、これ、お見舞いです」
頭を下げて箱を差し出す要に、友里の母親も浩美も、何も言えなかった。そして、ゆっくりと友里の母親が要の正面に行き、箱を受け取って、要の頭を撫でた。
「要ちゃん、これ、自分で用意してくれたの?」
友里の母は、見舞いに要の両親が一切関わっていないことを知っていた。何度か京子に連絡を取ったことがあったが、彼女は子どもの社交どころか子どもそのものに興味がないようだった。そして要の父が要の学業以外のことに感知していないことも知っていた。
「友里が好きって言ってました。でもこれは……ネット限定なの」
要はそう言って、チラリと友里を見たが、微動だにしなかった。笑うことも、話すこともない。これは友里なのだろうか。見た目が変わり、喋らなければ、私はこの人を友里だと思えないなんて。要は本当に恐ろしくなった。親友なのに。
「わざわざネットで注文してくれたのね」
「食べられないかもと思ったけど、賞味期限、来年まであります」
友里に意識はあると分かっていても、要はどう話しかけていいか分からず、友里の母親に説明していた。
「ほら、友里。よかったわね。うちじゃあんまり高級スイーツなんて買わないから」
友里の母は渡されたクッキーを友里の目の前に持って行って見せた。要は、本来なら、自分が直接友里手渡すべきだと分かっていた。でもどうやって腕をギプスで固めた友里に渡せば良いのだろう。どんな表情で、視線を交わすことの出来ない顔を見て話せば良いのだろう。友里に向き合うのが怖い。自分が来たいと言ったくせに、要はどうしたらいいか分からなくなっていた。
その様子を察してか、浩美がそっと要の肩を抱いて言った。
「友里もね……今日要ちゃんが来るって言って、すごい緊張してたんだよ。でも、言うことあるんだよね、友里。決めたもんね」
要は一体何のことだか分からず、自分が何か悪いことをしたのではないかと慌て、浩美の顔を見た。浩美は少々痛んだ長い黄色の前髪の奥で、やつれてはいたが確信を得た笑みを浮かべた。それは遠い昔、苦しい船旅を経て異国に宝探しや留学をした昔の人を思わせるような顔だった。要はその表情に、事故に対する悲しみや苦痛や憤り以外の何かを感じ取って、背中を押されるように、そっと、友里に近付いた。友里の顔が露出している側に、そろそろと回りこみ、置いてあった丸椅子に腰掛けた。
「友里……」
友里の指がピクリと動いた。反応したのだ。友里は私を分かってる、要はそう感じた。もう一度浩美の方を振り返ると、浩美は微笑みながらゆっくりと頷いた。要は、ようやく友里に話しかけた。
「友里、来たよ。クラスのみんな、心配してるよ。私も……」
その時、友里の唇が僅かに上下した。友里が何か言おうとしているのだ。しばらく音の伴わない動きが続き、微かに声が漏れた。
「か……」
「か、要だよ。ようやく来れたよ」
要は友里が今何を考えているかを知りたくて、音になる前からその唇から言葉を引きずり出したかった。友里は、何を言う気なんだろう。入院している間、何を考えていたんだろう。こんな風になって、友里はどう思ってるんだろう。
「かなめ……」
友里の目が一生懸命要を探していた。見ようとしているのだろう。要は唇を結んでたくさんの言葉を口の中で抑えながら、友里の言葉を待った。
「と……」
「と」
要は友里の声を反復した。言葉を、鼓膜で受け取るだけでなく、自分の心に染み渡らせるように。
「とも……」
「とも……友?」
友里の指が、もどかしそうに動いた。要はその指をそっと、両手で包み、身を乗り出した。近くで見ると、友里の肌が火傷で変質してしまっているのが分かった。要はそれに抵抗を感じたが、その気持ちに一蹴をくれてやり、耳を友里の口元に近付けた。
「とも、だちで……いて、ね」
その言葉を聞いた瞬間、要の顔の筋肉が歪んだかと思うと、目頭がどんどん熱くなってきて、口元が緩んだ。そして、泣いた。涙が止まらなかった。何か返さなくては、と思っていても、出るのは嗚咽だけで、言葉が出なかった。うまく話せない友里が、頑張って話してくれたのに、要の方が言葉を発することができなかった。頭を正面に固められた友里は、要がベッドに頭を埋めてしまうとその表情が見えなかった。だから浩美が再び肩を抱いて、友里に要の顔を見せてやった。
「友里……ごめんね。わたし、何もできなくて」
要は泣きながら、謝っていた。要が友里を車で轢いた訳ではないのに、自分が普通にしているというだけで申し訳なくなってしまったのだ。
「いいんだよ、要ちゃん。それより、友里はまた要ちゃんと遊んで欲しいんだよ」
要は頭を何度も縦に振った。そして、視点の合わない友里の目を見据えて、答えた。
「友里と私は、ずっと、友だちだよ。事故なんて、関係ないよ」
友里の顔の筋肉が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのだ。要は、ますます泣いた。さっきまで遠慮と恐怖心からそっと触れるにとどめていた友里の手を、言葉にならない思いがせめてそこからでも伝わらないかと、今は強く握りしめていた。
「事故で、どうなったかと、っ、思って。ひっ。友里がいなくて、すごく、寂しかったよ」
しゃっくり交じりに話す要の姿を見て、友里の母親は「要ちゃん、ありがとう」と言ってそっと頭と背中を撫でてくれた。友里の母親も泣いていた。浩美は涙を堪えていた。要はそれを見てまた涙が出た。友里の家族は、要とは比較にならないくらい辛いはずなのに、要が友里の友だちだからという理由で、いやそれ以前に、子どもがこんなにも泣いているということが可哀想で、ごめんね、とまで言ってくれた。
「か、なめ。また、きて、くれる」
「来るよ。またすぐ。友里もお大事にしてね。欲しいものとかあったら言ってね、持ってくるから。またね」
要が浩美と一緒に病室を出る頃には、瞼がほぼ開かないくらい腫れていた。友里の母親は夜まで友里に付き添い、浩美が要の家の最寄りのバス停まで送ってくれることになった。病院のコンビニで浩美がペットボトルのジュースを買ってくれた。
「これで瞼冷やしなよ。帰ったら、その顔ビックリされるよ」
要は浩美の手鏡で顔を見て、自分の顔に笑った。そして、投げやりに言葉を漏らした。
「ママたちは帰って来るの遅いからその頃には治ってるよ。友里にはお姉ちゃんがいていいなあ」
バスが来て、二人席に並んで座った。浩美は、聞いちゃいけないことだったらごめんねと前置きした。
「要ちゃんにもお姉さんがいるって言ってなかったっけ」
「あ。うん。二人いるよ。お父さんは違うけど」
「その二人とは仲良くないの」
「うーん、まず、あんまり会ったことがないんだ。お母さんも会わせてくれなくて、お姉ちゃんたちのこと聞きづらいし」
「そりゃそうだよね。ごめん、変な話して」
「ううん。大丈夫。それにその人達は……悪い人じゃないと思う」
「あんまり会ったことないのに分かるの?」
「会った時優しくしてくれた。それにパパとママが最低だもん。それよりはマシだよ」
浩美は苦笑いをした。小さいながらに苦労としている要を可哀想に思いながら、彼女を否定する気にはならなかった。
「うちも親父が厳しいからね。私が店継がないで美容師になるって言ったら殴られたし。友里なんてバカだから、テストのことでいっつも怒られてたし」
「そうだったんだ」
「だから逆に姉妹で連帯感が生まれたのはあるかも知れない。うちが姉妹で仲良いのは親父が厳しかったのが理由かなって思うよ」
要は以前のビデオ通話のことを思い出した。義理の姉の電話番号は鍵付きの日記帳に控えてある。浩美は一息吐いてから話した。
「うちのお母さんからちょっと聞いたんだけどさ……要ちゃん家、結構放任じゃない」
「放任っていうか、私のことどうでもいいんだよ」
「ぶっちゃけ、それ私も感じる。いや、ごめん。人様のお家のことだから偉そうなこと言えないけどさ。でも要ちゃんってすごマトモじゃん。グレたっておかしくないのに」
「グレるってどうやるのか分からない」
梅干しの様に顔をしかめた要に、浩美はカラカラと笑った。
「そうそう、そういうとこ、真面目だしね。でもやっぱ親のこととかがしんどくなってくると、グレたりする子もいるわけ。そのお姉ちゃん達は、お母さんが同じじゃない。お母さんとどうやって付き合って来たかとか、機会があったら聞いてみれば」
「そっかあ、なるほど」
「親っていうのは、環境の一つなんだよ。動物も厳しい環境で生き抜くために、保護色があったり、殻を持ったりするじゃない。でも人間にはそれがない。何でか知らないけど、人間の赤ちゃんは親が必要な状態で生まれちゃうもんだから、過酷な親の元に生まれ落ちると大変なんだよね。あと親は上手く育てられてると思ってても、子ども側がそう思ってなかったり」
「うん」
「要ちゃんには、お母さんという環境を大人になるまで生き抜いたお姉ちゃんが二人もいるんだよ。確か私より年上だよね。大人はクソも多いけど、いい話をしてくれる人もいるよ」
「浩美ねえちゃんは大人じゃないの」
浩美は黄色の髪に触って、毛先の状態をチェックしていた。
「大人っていうのは、いろんな意味があるよ。私は二十才にはなったけど、まだ全然大人じゃないと自分では思ってるよ」
「何それ。大人って、自分で決めていいの」
「いろんなことを自分で決めることができる。それは大人のいいところだね」
「え、やっぱ浩美ねえちゃんは大人なんじゃん」
要は口を尖らせた。いやいやごめん、と頬を突かれ、要はぼすっ、と浩美に凭れ掛かった。
「ちゃんとした大人ってそういないよ。悲しいことに、百パーセント完璧な大人なんて、いないのかも知れないね」
この週の日曜、要は塾の全国模擬テストを受験することになっていた。受験票に、希望する私立中学の名前を提出することになっていたが、要がそれを渡された時には、父の字で第三志望までぴっちり埋まっていた。
それまで要は習慣として勉強、だけではなく、日々の生活全般をこなしていたが、親友の悲劇と出くわしてからは、その習慣に疑問を抱くようになってきた。それまで要にとって塾に行くことは服を着たり歯を磨いたりすることと同列だったが、徐々に生活のあらゆることに疑問のグラデーションがついたのだ。歯を磨くことは、疑問色なし。歯を磨かないと痛い目を見るのは自分だから。だが、週四日の学習塾通いや自分に対する親の態度は、大分暗色の項目だった。塾での学習はその必要性が明確でなかったし、少なくとも、通っている当人の要にはそれが説明されていなかった。そうした懐疑は、要が知りもしない学校の名前が書かれた受験票を目にした時に頂点に達した。
「京子、今週要の試験だから、連れて行ってやってくれよ。会場は東陽町の方だから」
夜の九時、その日は珍しく家族三人がリビングに揃っていた。食卓に並ぶのは主にデパ地下グルメという京子らしいメニューだった。
「いいわよ、その日は空いてるから。帰りに何か食べて帰りましょうか。でも東陽町ってあんまり行かないのよねえ」
京子と出掛けるのは久しぶりだが、要は一向に嬉しくなかった。要には、実の両親は世間一般で言われるところの「親」というものと違っているのだと、友里の家族と話して一層強く感じられた。だから、友里のお見舞いに行った話も一切しようと思っていなかった。だが、どうも久しぶりに「家族団欒」をエンジョイしたいらしい京子が話しかけて来た。
「かなちゃん、今日お友だちのお見舞いに行ってきたんでしょう。どうだった」
要はただでさえ重い箸を必死に動かして文句を言われない程度の量を胃袋に収める作業に必死だったが、一層胃が重くなった。
「どうだったって言われても……」
「感想はないのか」
感想。この男は親友のお見舞いを映画か何かかと思っているんだろうか。要は、疑問というものが蓄積し過ぎて怒りになってきているのを、既にはっきりと認識していた。大体、友里の名前も覚えてないくせに。
「友里に『ずっと友達だよ』って言った」
「そうなの。友里ちゃんとすごい仲良いものね。離れてても友情は変わらないわよね」
近くにいても親子だって感じられないこともあるしね、という言葉は、ポタージュと一緒に飲み込んだ。
「俺の大学の教授にも、車椅子の人がいたが、立派にやっていたからな。事故に遭ってもめげずに生きるというのも立派なことだ」
「パパ、ちょっと質問なんだけど」
父親のあまりの浅薄なコメントに、要は耐えられなくなって口を挟んだ。
「どうした」
「この第一希望の所に書いてあるきちかわがくえんって、どんな学校なの」
「よ、し、かわ学園だ。いい学校だぞ。今のお前じゃ御三家は難しいだろうが、ここなら国立の推薦枠も少しはあるしな。うちの会社の常務のお嬢さんはここの出身で、一橋大学に入った」
「あらそうなの。どこにある学校なの」
どうやら京子さえも詳細を知らないようだった。
「八王子だ」
「通学路がつまらなさそうだけど、誘惑が少なくていいわね。変な人に絡まれたらかなちゃんが大変だし」
「パパ、ここ私が通うの」
「そうだ」
「じゃあ何でパパが決めたの」
「お前にはどんな中学が良いかなんてわからないだろう」
「パパには分かるの」
優一は露骨に嫌な顔をした。
「お前は最近反抗的だ。親に向かって何て言い方をするんだ」
「だってパパは私立中学出てないじゃん」
要はこの歳にして、父親の弱点となるポイントを抑えていた。
「おい。何だその言い方は」
「まあまあ、二人とも。いいじゃない、まだここを受けると決まったわけじゃなし。試験なんて、お試しでしょう。志望校も参考までに結果に反映されるだけなんだから。かなちゃんだって、特にこの学校に行きたいってところが、今あるわけじゃないんでしょう」
それは事実だった。志望校どころか、受験を意識したことさえほとんどなかった。要は黙って、残りのサラダを口に押し込んで、ごちそうさまと呟いてから気不味い食卓から離脱した。
「かなちゃんはお友だちが事故に遭って辛いのよ。あなたも勉強勉強って、そればっかり。かなちゃんの気持ちにもなってあげて」
「お前だって、その見舞いにも付き添わないで要を一人で行かせただろう。子ども一人で他所の家に世話させて。その家が変な家だったらどうするつもりなんだ」
「しょうがないじゃない仕事があるんだから」
要は自室に戻った。そして受験票を塾用のリュックに入れた。レイダーを抱きしめて、ベッドの上にしゃがみ込んだ。
パパもママも、最低だ。うちは最低だ。でも、もっとひどいことがこの世にはある。だから、私は耐えなきゃダメだ。
「レイダー、私頑張るよ」
いつもは励ましてくれるレイダーも、何とも不可解な表情をしていた。要は横になった。身体がひどく重たい。
どれだけ辛い境遇にあったとしても、この世で自分が一番辛いわけではないという自覚は、人生で味わう悲劇の一つだ。要は既にそこに陥っていた。テストに役立たないこうした理解力が備わっていた故に、要は人生という不条理の上を歩まねばならぬ悲しみに気付いてしまった。
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