公爵令息は幼なじみが愛おしくて仕方がない3(リオルク視点)
『秋に入学をして、早いもので、もうすぐ四月ですね。ルスト学園で迎える春は初めてです。うわさによると、食堂から眺める庭園の薔薇はとてもきれいだとか。この学園はどの花壇もよく手入れをされているので、春が待ち遠しいです。
そういえば、リオルク様はどのお花がお好きでしょうか。男性はあまり、花には興味がありませんか?
暖かい季節になると、ベンチで昼食をとるのも人気だそうなので、一度お弁当を申請してみたいです』
ディティの書いた文字を、俺は何度も目で辿っていった。
彼女らしい柔らくて愛らしい文字につい頬が緩みそうになる。登校時に日記帳を受け取って、読みたいのをぐっと我慢していた。
さすがに教室で読むわけにはいかない。可愛いディティの文字を堪能するのは俺だけの特権である。とはいえ、教師たちは彼女の書いたレポートを読むのか、と思うとなにやらむかむかしてきた。
生徒会室に一人きりであることをいいことに、俺の頬はだらしなく緩み切っている。
最初こそ、ディティは交換日記に戸惑っていたが、最近ではずいぶんと砕けた文面になってきた。
どうやら、ディティの友人がアドバイスをしているらしい。毎回ではないけれど、お題を与えてもらっていると言っていた。
今日のテーマはなんだろう。花か。それとも春か。それとも単にデートのお誘いか。
これはもう、暖かくなったら、一緒にお外で昼食を食べるしかないだろう。学園内で景色の良い場所を探しておかなければならない。
そういえば、寮内で誰かが話していたのを思い出す。学園の敷地内で、あまり人に見つかりにくい場所三選だか五選だか声高に言っていた。人目につかない場所でディティと二人きり……。
自制心が効かなくなる自信しかない。どうして自分はまだ十八歳の学生なのか。さっさと大人になってディティを妻にしてしまいたい。
いや、そもそもどうして俺は今年卒業なのだろう。
ディティと同じ学園に通えなくなるではないか。今さっきと真逆なことを真剣に思い悩むくらいに、俺は恋という熱に浮かされている。
……とりあえず、日記の返事を書こう。好きな花、か。花を愛でる趣味は無いが、ディティが好きだという花ならば全力で好きになるし、何なら、実家の庭の植物をディティの好みに総入れ替えしてもいい。これを口実に今年の夏は彼女を領地の屋敷に招こうか。
好きな花について書くつもりが、いつの間にか花ばかり愛でてしまうと悲しくなる的な、嫉妬心丸出しの文面になっていたことはご愛嬌だ。
俺は手帳からあるものを取り出した。彼女の写真である。
写真ほど素晴らしい文明の利器は無いと思う。これまで肖像画でしか残せなかった愛おしい人の姿を、まるで現物をそのまま写しとったかのような形で手元に残せるのだ。
ディティの愛らしい姿を眺めることが、最近の俺の日課だ。
「あら、リオルクいらしたの」
かちゃりと扉が開き、入ってきたのは生徒副会長のアマリエだった。
均整の取れた容姿は、しかし眉一つ動かさずにこちらにちらりと視線をやったあと、彼女の定位置に着席をした。
「ああ」
「仕事熱心……というわけでもなさそうね」
俺の手元にあるのはディティの写真である。書類仕事をしていたわけでもない俺を、彼女にしては珍しくじっと見据えている。
「さすがに教室内でだらしのない顔を見せるわけにはいかないからね」
「……写真?」
「ああ。先日一緒に撮ってきた」
「記念日でもないのに?」
誰かの誕生日や入学卒業などという節目の日に家族や親しい人と写真を撮る、というのが近年生まれた習慣だ。
俺の卒業時にもう一度ディティと写真館に行くのもありだ。次はどんなドレスを贈ろうか。
「婚約者なのだから、互いに写真を持っておくのは不自然ではないだろう?」
少し言い訳がましいのは、自分がディティに執着をしていることを自覚しているからだろう。これが恋というには深すぎる想いであることを、俺は自覚している。俺はずっと、彼女だけを見つめてきた。出会ったときから、俺の魂に深く刻み込まれたのだ。
アマリエはそれ以上なにかを言うわけでもなく、ぼんやりとこちらを見つめている。
「そういえば、ディ……、いやフレアの様子はどうだ? 俺は寮内のことまでは把握しきれない。何か不自由そうにしていることはないか」
「……特に変わったことはないわ」
「そうか。きみのことは信頼している。何事にも公平だからね」
彼女はこの学園の模範生だ。生まれがそうさせるのだろう。
伝統ある公爵家の娘として生まれ、それにふさわしい教育を施され育ってきた。
出会ったときから彼女は公正明大で己の感情よりも、自分の言動が周囲にどう影響するかを考え、行動する娘だった。
「……ありがとう」
少しだけ間をおいて、呟いた彼女は珍しく少しだけ眉の形が乱れていた。
雑談が途切れた。元より、俺たちは仲良く話をする間柄ではない。
ディティ以外の女性と仲良くするつもりもない俺は、たとえ同じ生徒会のメンバーであっても深入りすることはなかった。
それはおそらく彼女も同じだろう。世間話で時間を無駄にすることを嫌う性質なのか、彼女も俺に余計な口を利くことはない。
会話は主に生徒会の運営、たまに授業やレポートの進捗具合など、本当に同級生の範囲から逸脱しないものばかり。
俺たちが黙々と書類に目を通していると、扉を叩く音が聞こえ他の生徒会のメンバーが入ってきた。
「リオルク先輩、卒業パーティーの予算表、概算を見積もってみました」
俺たちの卒業後生徒会長に就任する後輩から手渡された書類にざっと目を通す。
この学園の生徒会は代々指名制だ。大抵は、有力な家の子息子女が選ばれるが、辞退することも許されているため、女性が生徒会のメンバーに入ることはまれだった。
女性の大学入学が認められたご時世ではあっても、上流階級内では女性は良き妻、良き母に、という風潮は根強い。生徒会は目立つと思われているのか、女子生徒に打診をしても辞退されることのほうが多い。
俺としては、生徒会の男女比を半々にしたいところだが、こればかりは難しい。
「こことここ、少し甘いから詰めるように」
「はい」
後輩に指摘をすると、彼は頭に手をやり、がっくりと項垂れた。
「リオルク先輩のようになりたい……」
「俺だって去年の今頃は先輩にダメ出しをされていた」
「嘘ですよね」
「いや、本当だ」
「本当ですか、アマリエ先輩」
「さあ、どうだったかしら」
アマリエは素っ気なく呟いた。彼女は自身の仕事に没頭している。
彼女は数少ない、生徒会の仕事を引き受けてくれた女子生徒でもある。学園で彼女に憧れる女子生徒は多いと聞く。卒業後はおそらく、社交界の中心的存在になるのだろう。
「それと、来期の通年度予算と各クラブからの要望書の選別を――」
「メモ、メモとりますから」
彼への引継ぎも兼ねて色々と指示を出し、教室を出るころにはすっかり遅くなっていた。
寮の門限ぎりぎりの時間だ。
「そうだ。リオルク先輩はバルツァー嬢を卒業パーティーに招待するんですか?」
校舎を出て、時計塔を潜り抜けたところで後輩が尋ねてきた。好奇心を隠しきれていない様子は、子犬のようでもある。愛嬌のある男なのだ。
「もちろん。ほかにだれをパートナーにするというんだ?」
「いやあ、ほら。先輩めちゃくちゃ硬派でしたから。女性嫌い……いえ、ストイック? まさか婚約者とはいえ、あそこまでデレデレに溶けるとは……。まあ、わかりますよ。確かにフレアディーテちゃん、可愛いですよね」
「フレアディーテちゃん?」
「ひぃぃ! す、すみません。バルツァー嬢ですよね」
聞き捨てならない読み方に、俺の声が絶対零度になった。後輩は、俺の怒りを正しく読み取ったらしい。きちんと訂正をした。
「だれだ、俺のディティを勝手に呼ぶのは」
「いえ、ほら。彼女は、あのバルツァー家の娘さんですから。色々な意味で目立っていたというか」
それはおそらく、ディラン氏の持参金発言のことを指しているのだろう。
娘馬鹿なディラン氏は余計なことを言ってくれたものだ。確かにディティは可愛いし、親として何でもしてやりたいのは分けるけれども。
彼の持つ財産はけた違いなのだ。その彼がディティの結婚祝いについて言及をすれば、金目当ての野心家が見逃すはずないのだ。
「それに、フレア……っとと、バルツァー嬢自身、とても愛らし……いえ。なんでも。なんでもありません」
「余計なことは言わない方がいいよ。俺は自分で言うのもあれだけど、寛大ではない」
後輩に向けて笑顔を作ると、彼は涙目になった。
ディティが俺の婚約者だと宣言をしても、まだ彼女に邪な気持ちを持つ輩がいるのか。彼女は気が付いていないらしいが、惚れた欲目を抜きにしてもディティは大変に可愛らしい容姿をしている。アマリエのような鋭い美ではないが、そっと包み込み隠しておきたくなるような愛らしさがある。
それを知るのは俺だけで十分なのに、俺はもうあと数か月でこの学園を卒業しなければならない。いっそのこと留年でもするか。ディティと一緒に卒業しよう。そうだ、それがいい。
「では、わたくしはこれで。ごきげんよう」
いつの間にか、男女それぞれの寮への分かれ道へと到着をしていた。
俺たちはアマリエに分かれの挨拶をして、男子寮へと向かう。
「俺はてっきりリオルク先輩はアマリエ先輩をパートナーにするものだと思っていたんですけどね」
アマリエが遠ざかっていくのを見ながらの発言である。
「それはない」
「だって、婚約者だって噂あったじゃないですか」
生徒会長と副会長。何かと一緒に過ごすことが多いせいか、俺たちの間に特別な何かがあるのでは、と周囲が憶測をしていることは知っていた。
俺はアマリエに対して特別扱いをした覚えはない。
彼女もまた、俺に対して何かを思うことは無いだろう。彼女は公私をわきまえている人間だ。
「周囲が勝手に騒いでいただけだろう。俺は一度も肯定したこともない」
「それはそうですけど……。否定もしなかったじゃないですか」
「噂の段階で俺から断れば彼女の名誉が傷つくだろう。こういうのは事実を伝えれば自然と消えていく。俺としては早くディティとの婚約を発表したかったんだが、色々とあってね」
本当ならディティの入学と同時に婚約までこぎ着けたかったのだが、いかんせんディラン氏との賭けがあった。ディティとの約束の期間も残っていた。
「いや、あの婚約発表もびっくりでしたけどね」
「ともかく、ラングハイム家とは何もない。彼女も卒業をすれば、すぐに婚約するだろう」
「え、なにか知っているんですか? 我が学園の氷の姫君が誰かのものになるのは悔しいですけど、まあ仕方がないですね」
「俺は知らない。ラングハイム家とは普通程度の付き合いだ」
「そうですかあ」
「当たって砕けるのも自由だ」
「先輩、何気にグサッとくる一言を」
「さっさと帰るぞ。本気で飯抜きになる」
俺たちは適当に話ながら寮の玄関扉を潜り抜けた。
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