第5話

 また、彼と会える週末が来た。


 ゴールデンウイークが過ぎた、土曜日の夕方。窓から見える、緑が生い茂る道が、鮮やかに揺れて、私の視力を上げていた。


「先週ぶりだね、元気してた?」

「平日は元気なんか無いよ」

「そっか」


 車で家まで迎えに来てくれた彼は、私を心配そうに覗いていた。

 元気にしていたか、と聞かれて、元気にしていたとは言えない。体調がとか、体がとかではなくて、私は、ただ、社会で生きられない辛さを抱えて日々藻掻いている。


「でも、麗に会えば元気」

「なら、よかった」


 彼はいつもの瞳のまま、安心した表情で落ち着いて答えた。


 そう、彼がいれば、私は自分が生きていて良いと思えるのだから。


 車の中で流れる優しい音楽は、今日も私を特別な世界へと連れて行ってくれた。

 同じ景色も、彼とこの車と、この曲なら、全て麗しいものに、変わっていく気がするのだ。


「ねえ、今日はどこに行くの?」


 高速道路に入ったところで、私は尋ねた。


「ただドライブするだけ、ダメ?」

「ダメじゃない、よき」


「よきって返事、なんかよき」

「よきよき」


 なんか良く分からない、お互いの面白い返事に、くすりと笑っていられた。

 今日はただドライブするだけ、でも、ただのドライブではない。


 特別なドライブ。


 出来たばかりの新しい高速道路へ入ったり、行ったこともない道を、ただただ、ふたりで走っていた。


 やがて、日は地球の底に隠れて、私たちの大好きな輝く夜が来た。

 都内のビルの間をひたすら走っていた。


 笑って、しょうもない事を言う彼が、面白くて、笑顔が止まらなかった。


「んじゃ、これから赤い橋ね」

「よきよき、よきかな」

「まだ言ってんの?」


 彼は笑って、私を見ていた。


 私の言葉が移ったまま、さらに車を走らせた。


 そして、また今日も、あの、特別な橋へ向かう。

 アクアラインを渡って、洋楽を優しく奏でながら、この赤く目立つ車で、前に歌い走る。


「私この曲好き」

「お、気に入ってくれて嬉しい」

「うん、よきかな」

「まだそれ言うか」


 今日の言葉ブームは「よき」らしい。その言葉はしばらくお互いから離れてはくれないだろう。


「なんか英語の意味は分かんないけどさ、洋楽って心が落ち着くんだ」

「え?英語詳しくないの?」

「詳しくないよ」


 彼は英語が話せると勝手に思っていた。

 でも、そういう訳じゃないそうだ。


「てっきり知っていて、流していると思った」

「この瞳だから?」

「それもある」


 彼の瞳は、この国の瞳ではない。だから、私はどこかの国からやってきたか、両親どちらかが、この国とは違う、素敵な人なのかと勝手に想像していた。

 

「俺ね、両親を知らないんだ」

「え?」


 彼が突然言ったひとことは、私の中に深く入り込んだ。


 簡単に聞いて流せるような、言葉ではなかった。


「日本で生まれたけど、施設で育った」

「そ、そっか……」


 私がした「そっか」の返事から、車の中で優しい洋楽だけが流れていた。


 なんて返せばいいか、言葉は見つからなかった。でも、彼の言葉は、深く受けとめた。ひとことに彼の人生全てを感じてしまうような、重みがあったからだ。


 彼はきっと、私なんかよりも、普通になれなくて、苦しんで生きてきたのかもしれない。誰かよりだとか、比べるだとか、人生にはないけれど、私とは違う、彼の藻掻いた世界はたくさんあっただろう。


 私は彼の生きてきた人生を、一生懸命考えた。彼がきっと抱えて進んだ人生を。




 気が付けば、ふたりで口を閉ざしたまま、アクアラインを渡り終えてしまった。


 すると、彼が言った。


「でも、そんな特別な俺だから、君に出会えた」


 夜景を映す麗しい瞳で、運転をする彼は、前を見つめて優しく、言ったのだ。


「特別は、ダメじゃない」




 私はまた、今日、彼を知った。

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