掌のとびら

乃南羽緒

母を亡くした女性の話

 大学を卒業後、仏壇屋に入社しました。

 入社理由をよく聞かれるんだけど、これといったりっぱなものは特になくて、ただ人事のお姉さんがやさしかったとか、仕事でお寺訪問できるなんて素敵だな、とか。かろうじてりっぱな心意気といったら、たいせつな人を亡くした方の哀しみに寄り添えたらいいかな、くらい。

 それも、他人の人生譚を聞くのが好きだからって理由付きなもんですから、たいしてやさしいもんでもないです。


 入社して一年とちょっと経った夏のころ。

 二十代後半の若い女性がひとり、ご来店されました。

「お仏壇とお位牌が欲しい」

 って。

 聞けばお母さまを亡くされたんだとか。

 こんなに若くして母親を亡くすなんて、自分なら考えられないです。だけれど彼女は見た目も男勝りというか中性的で、接客中もたいへん気丈にふるまって、決して高額ではないけれど、お仏壇もお位牌も、くわえてお供え物までたくさんご購入くださった。

 この会社では、契約が決まることを「ご縁をいただく」って言います。

 でもそれはいやらしい言い換えでもなんでもなくて、ここで働いているとほんとうに「ご縁」なんだと感じ入ることもよくあったから、言い得て妙だとおもったものでした。

 で。

 別日、対応したわたしが納品に赴くことになりました。


 お仏壇やもろもろのお仏具を載せて納品車を走らせて。

 東京の下町は道が狭くって、運転を恐怖とするわたしはもう嫌で嫌でしかたなかったんだけれど、納品業務自体はとっても好きだった。だからなんとか人を轢かず、車も傷つけることなく納品場所までたどりつきました。

 東京ってね、車を一時的に駐車するのも一苦労なのね。

 ちかくにコインパーキングがないわりにすぐ駐禁とるもんだから、見つからないように小道にいれて、手早く済ましてはやくもどろうっておもってました。


 古びたアパート群のひと部屋、決して裕福とは言えない場所だったけれど、下町らしい情緒あふれる場所でした。部屋はきちんと片付けられていて、ミニマリストというかんじ。お仏壇を抱えて狭い玄関を通った先のところに見慣れた祭壇がぽつんとひとつ。

 白布で飾られた飾り棚には、力なくわらう女性の写真とご遺骨、白い三具足。お葬式のときに支給される後飾りです。ちなみに三具足っていうのは、仏教における故人への供養のための三種の神器。香炉、花立、火立(燭台)のこと。

 香炉の香りでおのれを清浄し、火立に灯る炎から受ける仏の智慧を道しるべとし、花立にさす花から仏の慈悲といのちの儚さを学ぶ。もちろんほかにもいろいろ意味はあるのだけれど、基本的にはこの意味合いなんだそうですね。

 さて、その白具足も四十九日までしか使えませんから、こうして四十九日に合わせて具足やお仏壇を新調するものなのです(もちろん仏教式の供養に限りますけれど)。四十九日とか諸々についてはネットにもたくさん情報ありますからここで言うことじゃないですね。


 お仏壇はここに、とひとつの棚を指定されました。

 最近はむかしの田舎にどーんと置かれるようなものではなくて、棚上にちょこんと置けるサイズも数多くあります。これは余談ですが、以前深川町にある深川資料館に行って、江戸時代当時の長屋を見たら、部屋のひとつに棚上に置くタイプのお仏壇が飾ってあってびっくりしました。

 当時もこのサイズのお仏壇があったんだなあ、なんて感慨深くて。

 話をもどして、場所の指定をうけたわたしはさっそく、青布団にくるまれたお仏壇を取り出して、外も中も軽くお掃除して丁重にお飾りをしていったわけです。

 御本尊はもちろん、具足や仏飯器、高坏にはつくりもののお供えを添えて、スタンダードなお参りの場所が完成。もちろん本位牌もネ。


「いまはまだ、白木位牌にお母さまの御霊がいらっしゃいますから。お寺様にお経をあげてもらって本位牌に移してくださいね。御本尊さまへのお経もそのときいっしょにあげていただいてください」


 そんな説明をしたような気がする。

 女性はなおも気丈に「はい、はい」なんて冷静に聞いてくださって、中には不遜な態度をとるお客様もいるなかでとっても安心したのをおぼえています(なんてったってわたしってばいやな気分になるとすぐ顔に出ちゃうから!)。


 さいご、わたしたちはお経をあげます。

 今度お寺様にあげてもらうからいいんじゃないの? なんて思われるかもしれませんが、このお経はわたしたちのせめてもの気持ち。お仏壇設置のためにさわがしくしてごめんなさいね、ゆっくり休んでくださいね、なんて。

 そんな気持ちを抱えながらお経をあげる社員が全員か、と言われたら否だけれど、いつもお調子者の先輩社員や、イケイケゴーゴーの店長だって、納品の、この瞬間はみんなおなじ気持ちになる。


「摩訶般若波羅蜜多心経──」


 からはじまる般若心経。

 ちなみにこれは、このときのお客様が曹洞宗の方だったからです。もちろん浄土系の方でしたらほかのお経をあげるように訓練されていますよ。日蓮宗の方にもね。


 でね。

 この納品時のお経ってふしぎなんです。

 こちらが黙々と納品作業をするなか、どんなに騒がしく家族同士で話していたって、明るいテレビ番組を見ている人だって、

「お経をあげますね」

 と言ったら、みんなテレビも消して、導師であるわたしたちのうしろや横に正座して、一様に合掌礼拝されるんですから。

 そして、どんなにあかるく振舞っていた人だって、お経が中盤にさしかかると、だんだん鼻をすする音まで聞こえてくるんです。そしてお経が終わったらみなさんかならず「ありがとうございました」って、深々と頭を下げてくださる。

 ありがとうと言うべきはこちらなのにね。ほんとうに不思議なお仕事だとおもったものです。


 で、そのお母さまを亡くされた気丈な女性もね。

 やっぱりお経が後半にさしかかったときに、すこし泣き出してしまった。あげ終えて「ありがとうございました」って言ったら、彼女は初めて感情をすこし見せてくれたんです。

 遺影には、まだ亡くなるには早すぎる面影。

「まだお若かったのに」

 って、その涙につられてすこし涙ぐんでしまったわたしが言ったら、女性は遺影を見つめて泣きながらほほ笑んで言ったのでした。

「でも──弱い人だったから。いずれこうなるかもと思ったことは、ありました」

 と。

 そのときはじめて、(嗚呼、じぶんでいのちを)と理解したのです。

 よほどご遺族の方がフランクでない限りは、こちらから死因を聞くのははばかられますから、当然聞いてはいませんでした。人生経験の浅すぎたわたしはこのときことばに詰まってしまって、もうなにも言えなくて。結局「また遊びにきてくださいね」なんてご挨拶しておうちを辞したのです(幸運にも駐禁は無事でした)。


 それ以来、女性はけっこう頻繁にお供え物や造花、お線香を見に来てくださって。

 いつも言葉は少なかったですけれど、ご挨拶もくださって。あのお経をあげたあと、憑き物が落ちたかのような涙がとっても切なかったので、わたしにとっては一生忘れられないお客様となったのでした。

 

 でもね。

 わたしも、だてに生きてきたわけじゃありません。身内を亡くした経験もありますから、やっぱりお経の力っていうのを感じたこともあるわけで。


 お経の力──というより、合掌の力でしょうか。

 よく右手は仏様の世界で、左手は我々俗世を意味するといいます。合掌して世界を一体にすることで故人との対話の機会を得るのですね。

 これって、べつにスピリチュアル的な意味で言ってるわけじゃないんです。


 人が亡くなるって物理的に大変なことなんです。

 役所に死亡届を出さなきゃだし、お葬式、お通夜の手配に死亡通知を知り合いに出す人だっている。銀行や携帯の契約もなくさなきゃだし、とにかく遺族は半ば悲しむ暇もなく対応に追われてしまうのがいまの世の中。

 お通夜、お葬式、火葬のときにお別れをして悲しみには暮れるけれど、その悲しみをほんとうの意味で乗り切れるにはあんまりにも忙しくて、その人との死を向き合う時間なんか、関係が近ければ近いほどとれないものです。

 四十九日までにお仏壇、位牌を用意して、お墓がある人は納骨手配もね。

 そんななかです。


 ようやく四十九日も目前となって、あらかたの対応も落ち着いてきたころにね。ちょうどお仏壇という、故人様と向き合う場所がおうちにできた。写真に話しかけていただけの日々から、ようやく故人様の居場所がきちんとできた。

 すると、なんでかとってもホッとするんです。

 ホッとしたのもつかの間、お経をあげるでしょ。そのときにいっしょに合掌するとね、むこうの世界とつながるとかスピリチュアル的なことではなくってね。

 自分の内側にようやく目を向けられるようになるんです。

 故人が亡くなってはじめて、張りつめていた気が抜けて、ただ意味もわからないお経をBGMに目を閉じて、自分と向き合う。するとね、とたんにたくさんの思い出が自分のなかに湧き上がってくるんです。

 記憶って不思議なものでね。

 イヤ~なこともたくさんあったはずなのに、結局自分のなかに残るのって楽しかった思い出ばっかりなんですって。


「ああ、あの人あんなことして楽しかったな」

「こんなこと言ってくれてうれしかったな」

「たくさん愛してくれたな」

「この人と、出逢えてよかったな」


 そんなことをね。

 じんわりと心が想うんです。そのとき気付くんです。この人が亡くなって自分はとっても悲しいんだって気付けるんです。

 わたしも、まだ亡くなるには早いだろうって年齢の叔母が亡くなったとき、仏壇にお経をあげながら涙をこらえたものです。あったかくて愛しい想いばっかりがわきあがって、胸を占めて、もうたまらないんですから。


 だから、合掌できる場所って、たいせつなんですよね。

 仏壇じゃなくてもいい。神棚なんかなくてもいい。ただ、日々の喧騒のなかで一分でも立ち止まって、おのれを見つめてあげる時間をつくってほしい。

 きっとみんな頑張って生きてるんだから。

 生きることって大変ですもの。みんな、一生懸命この地に踏んばって、こらえてるんです。


 わたしが小説を書くのは、がんばっている人にことばを届けたいからです。

 がんばってきた人たちのことも知ってほしいからです。


 自分は頑張ってない?

 いやいや。いま生きてるじゃないですか。がんばってるんですよ。

 いまがツラい?

 だいじょうぶ、生きてりゃ気づけば乗り越えてる。


 何度でもいうよ。生きるって、たいへんなんですよ。

 でもなかなか、悪いばかりじゃないもんで、楽しいこともあるもんですよ。

 死ぬのはわるいことじゃない。

 命がなくなることがすべて不幸なわけじゃない。


 ただ、生きていないと分からない楽しさがこの世にあるから、ぜったい。

 少なくともわたしは、それを骨の髄までしゃぶりつくすくらい、知ってから死ぬのもわるくないかなとおもってる。どうせ親が生きてるうちは死ぬわけにいかないですからね。


 だからいまは、自分の心が躍らないことはもうやってません。

 わがまま? あたりまえだ。

 自分のままで生きていかないでなにが人生だ。


 今後とも、気ままに書きます。

 どうぞよろしく。





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