第2話 bourree

六月

新緑の匂いが立ち込めるキャンパスの並木道を心持ちワクワクしながら俺は一人で歩いていた。すると後ろから声がかかる。


「あれ、カナタじゃない?」


振り向くと新緑の季節にぴったりの緑地に黄色い線が入ったチェックのシャツを着たミーアが一人で歩いて来た。


「ミーアか。一人か?」


「・・・そうだけど」


「そうか、人付き合いも大事だぞ」


「カナタと一緒にするな。私はたくさん友達いますから!カナタこそいっつも昼はイーサンといるみたいだけど授業とかどうしてるの?友達作りなよ」


俺はさして気にもしていない事を突っ込まれ少し心外ではあったが軽くかわすことにした。

「俺はいいんだよ。カタチだけの友達ごっこなどに興味はない」


ミーアが俺の横に並んで歩調を合わせて歩く。


「そんなことよりカナタがこの時間に学校に来るなんて珍しいね。朝弱いからって一限ほとんど取ってなかったんじゃなかった?なんか受けたい講義でもあるの?」


「塚原教授って知っているか?文化人類学の教授で年齢はおそらく100歳近い。平均寿命100年とも言われる現代において100歳超えなど珍しくもないが、今尚先鋭的な著作を発表し続ける生ける知のフロンティアだ。歳を重ねるごとにむしろその思想は過激になっているが、その語り口はウィットに富んでいてしなやかで、どこか人間存在に対する諦念めいたものを感じさせる。それだけじゃない。俺が塚原教授にこだわるのには別の理由がある。今から60年ほど前に解散した伝説のカルトバンド「Green Out」のリーダーにして鍵盤奏者だったのが塚原教授だ。このバンドの素晴らしさを語るのには1時間では足りないが、あえて一言に凝縮するなら、美しさと獰猛さが同居してはいるがバランスを崩して発狂するスクリャービンのピアノに強烈なブラストビートからの混沌に突入していく、、」


横目でチラとミーアの方を見たが明らかに興味のなさそうな顔をしているのでこの辺でやめておくことにしよう。


「なんだかよく分からないけどすごい教授なんだね。カナタがそんなにご執心になるなんて。講義の内容はよく分からなかったけど私も来年は塚原教授の講義取ってみようかな」


「是非そうしたまえ。手始めに教授の代表作の本を貸してやる。デジタルではなく紙媒体だぞ。喜べ」


「紙かよぉ。手が疲れるんだよねぇ」


辟易した顔のミーアと別れて俺は講義のある第2講堂に向かった。


講堂に入ると俺は中央の前から3列目の席に腰を下ろした。間も無く塚原教授が入ってきて空中に表示される端末を操作しながらおもむろに話し始めた。


「今君たちの端末にアンケートを送りました。内容は『異性と付き合ったことがあるか』と、それに関連する質問3点です。もちろんプライベートな内容なので答えたくない場合は答えなくて結構です。実はね、このアンケート毎年行なっているんです」


教授は一呼吸置くと手元のタブレット端末に板書し始めた。タブレットに書かれた文字は即座に講堂の大スクリーンに反映される。


「今の若い人達の中には知らない人もいるかもしれないんだが、21世紀の中頃まで世界人口は増え続けていたんです。それも爆発的にね。そのまま人口は増え続け、人類は危機的状況に陥ると色んな識人が予想していたのだけど、21世紀の後半に入ると先進国の後進国に対する投資開発競争が激化してね。結果として世界中の至る所に電気、水道、交通、ITインフラが整備され、だいたい時を同じくして世界人口の爆発は止まりそこから緩やかに減少に向かった。実はこの人口減少という現象が最初に認知されたのがここ日本でね。出生率の低下は20世紀末にすでに始まっており、21世紀初頭には日本人口は減少に転じ、それと同時に社会構成員の高齢化が問題となった。

大体同じような現象が時間差で世界各国で始まってね。人口減少の原因については諸説あり、社会環境の変化から環境ホルモンによる影響など様々な憶測が飛び交っているがここでは割愛させていただく。

斯くして人類全体の問題となった人口減少、出生率の低下だが各国政府が一丸となってもその問題は容易く解決できる問題ではなかった。女性が子供を産み、育てやすい環境を整えても歯止めが効かない。却ってジェンダー団体から「女性は子供を産むためだけに生まれてきた訳じゃない」などと反発を受けたりもした。そもそも社会構造そのものが子供を必要としない新しいフェーズに移行していたんだね。」


「これに危機感を抱いた学者や有力財閥がイギリスに拠点を置いて人口胚、人口子宮の研究が本格的に始まる。もともと技術的には21世紀中頃にはすでに実用化できるレベルに達していたが倫理的な問題で研究が進んでいなかった分野だ。研究は順調に進み数年後にはイギリス国内で臨床試験が行われる。そこで誕生したのがウェインとジューリア、生身の母体を使わずに誕生した新しい人類。新しい人=HomoNovumと呼ぶ人もいるね。

この技術の画期的なところは、十分な遺伝子サンプルさえあれば例え男でも、IPS細胞を使って人口胚を生成でき、同性間でも子供を作ることが可能となったことだ。もちろん女性の遺伝子からIPS細胞を使って精子も生成でき、女性同士でも子供を作ることが可能となった。

日本でもこの技術を使って人口を安定的に増やすための法整備が行われた。最初は高齢により出産を諦めていた夫婦にのみ限定的に認められていたが、今では自然出産による母体へのダメージを回避する名目で若い男女の夫婦にも人工子宮を使った人工出産が認められるようになった。

さて、君たちの中には『人工出産で生まれたよ』、という人はどれくらいいるかな。分かる範囲で結構、手をあげてくれるかな」


構内がざわつきだす。

実のところ、俺は両親から自分が「自然出産」で生まれたのか「人工出産」で生まれたのか聞かされていない。よってこの問いには答えられない。

気になって構内を見回すと半数以上の学生の手が上がっていた。

同じように教壇から構内を見回しつつ塚原教授が話しを続ける。


「大体6割くらいが人工出産で生まれた、という感じかな。私がなぜ冒頭で「異性と付き合ったことがあるか」というアンケートをとったのか、ここから話が繋がってくるのですが、今や性別は生殖活動を行う上で関係なくなってしまった。一般に男性の方が女性より腕力がありますが、これもパワードスーツが補ってくれることにより男女差は無くなってしまいます。「性差」というものがテクノロジーの進歩により駆逐されようとしている中、男女、異性との関わりも大きな変革が生じています。

とりわけ新しい世代、若い君たちが異性間でどのような関係を築いているのか、というのが私の長年の研究対象でね。素直に『私の長年のフィールドワークに君たちを巻き込んでごめんね』と言えば良いのだけどこの歳になると謝り方もすっかり」


濃密な90分の講義が終わり席をたつ学生のざわめきが講堂を満たしはじめる。塚原教授もタブレット端末に板書したデータを大学のサーバーに送り終え講堂を出ようとしていた。俺はこの機を逃すまいと教卓に近づき教授に話しかける。


「塚原教授、お疲れ様です。もうお体の方は大丈夫ですか?」

教授は綺麗な白髪に整えられた白髭を蓄えた顔に柔らかな笑みを浮かべて気さくに返事をしてくれた。


「ああ、ちょっとした検査入院でね。新学期から休講にしてしまいもう6月だ。君は一期生かね?」


「はい。今年度入学した一期生の羽山と言います。実は以前から教授の著作のファンで、この大学を選んだのも教授の講義が受けられると思ったのが動機の一つなんです」


「そいつは嬉しいねぇ。この老いぼれの思想、哲学が若い人にも受け入れられるのは」


メディアなどで見る教授の写真より幾分頬が痩せこけて見える。俺は教授の体調を考慮してあまり長話にならないよう伝えたいことを手短に纏めることにした。


「実は自分音楽をやってまして、教授が以前やっていたバンド『Green Out』にもとても影響を受けているんです。Green Outは活動を休止して随分経ちますが教授はもう音楽はやられないのですか?」


教授の顔がやや綻び喋り出そうとした刹那、別の男子学生が横から話に割って入ってきた。

「あんたGreen Outを知っているのか?同世代で知ってる奴に初めて会ったよ。あ、すいません、会話に割って入ってしまって」


そう言い教授に軽く会釈をして話を続けた。

「自分はトビアスと言います。一期生です。自分も音楽をやっていて先生のファンなんです。半世紀を経た今でもなお古さを感じさせない、聞くたびに新しい発見がある。もう一度先生の作る新しい音楽を待ち望むファンは結構いますよ」


二人の学生に褒めそやされ、困惑とも微笑ともつかない複雑な表情を浮かべて塚原教授が返答する。

「別に音楽を辞めたわけじゃないんだがね。ただ公の場で発表するのをやめただけであって。今はね、招待制のオンラインサロンでのみ作品を発表しているんだよ。以前は君たちのように音楽のことで私を訪ねてくる学生がいてね。彼らにも刺激を受けてクローズドの音楽サロンをやっているんだ。ここ最近は音楽で私のところに来る学生もいなくなっていたが、よかったら君たち二人もサロンに入らんかね?」



俺とトビアスと名乗る男はなんとなく顔を見合わせて、歓喜のうちに返事をした。

「はい!ぜひよろしくお願いします!」


「若い新メンバーの加入は大歓迎だよ。ぜひサロンに新しい風を吹き込んでくれたまえ。後で君たちの学生IDに招待コードを送るからよろしくね」


そろそろ次の時限を気にしなくてはならない時間だ。俺は少し早口に切り出した。

「すみません、あと一つだけ。実は自分学内で音楽サークルを作ろうとしてまして。お忙しいのは重々承知なのですが、もしよければ教授にもなんらかの形で参加していただけないかと」


「もう私も歳だからねえ。あまり大した関わり合いはできないが微力でよければ応援はさせてもらうよ。もう部室は確保できたのかね?」


「いえ、まだ決まっていなくて。勝手に研究棟の休憩室を溜まり場にしちゃってる状態なんです」


「それなら案内したいところがある。今日の昼休み少し時間作れるかね?」


「はい、もちろんです」


「では12:05に3号館の前に来たまえ。それじゃあ次の講義の準備があるのでこれで失礼するよ」



教授が去り俺とトビアスは次の講義が同じ7号館だったのでそこまで歩きながら話をした。

「改めて、俺は羽山、一期生です。今音楽のサークルというか同好会を作ろうとしていて、もしよかったら一緒にどうですか?」


「いや、悪いんだけど俺は学内で内輪だけのサークルごっこをやるつもりはないんだ。今学外でバンドのメンバー探している。そっちの方がより才能のあるやつに巡り会えるだろ」


滅茶苦茶感じが悪い。なんなんだこいつは。きっとリアルでは友達いないんだろうな。精神衛生上そう思うことにしよう。


「そうか、そりゃ残念。ちなみにパートは?なんの楽器やってるの?」


「ギター。というか作曲がメインかな。実はそっちでちょっと小遣い稼ぎをしてる。羽山はそういうのやらないの?」


「商業用に合わせた曲作りってのが嫌でね。俺にとって音楽は自分の哲学や美意識が反映されたものだと思ってる」


ちょっと気取りすぎたかな。初対面の人間と話しているとペースがつかめなくて困る。

そんな俺の困惑をよそに相変わらずマイペースに話すトビアス。


「俺は分けて考えるようにしている。商業用に作っているのはあくまで仕事でありビジネスだ。そこには自分の美意識なんて反映させる必要はない。大事なのはクライアントが何を望んでいるか、それをいかに汲み取れるかだ。それとは別に自分のやりたい音楽、作りたい音楽を作る。商業用にうける音楽を作るのは実は結構技術がいる。技術がなく作れないのを隠す言い訳で『自分のやりたい音楽しか作らない』とか言ってる奴が多いよね」


明らかに喧嘩を売ってきている。でもここまで話してきてわかったが多分こいつには自覚はない。自然に喋ってて敵を作るタイプだな。そう考えるとそれほど感情的にならずに済む。


「確かに商業用の音楽を作るのには技術がいる。でも技術だけならAIでいくらでも代用できるだろ。わざわざ人間がやりたくない音楽を作る必要性はあるのか?」


「少なくとも歌ものに関してはまだ需要があるよ。AIやアンドロイドの技術が進んでも人間の発声器官をそのまま移植されたAIはまだない。生身の体を持った人間がその身体感覚を生かして作った『歌』にAIはまだ追いついていない。特に割り切れない微妙な節回しなんかは人間でないと書けない」


なるほどね。そういえば未だにアイドルの楽曲は人間のプロデューサーが作っているのが多い。人間が歌うことを前提に作る曲なら人間が作った方が合理的ってことか。いや、自然的って言った方が良いのか。なんにせよもうこいつとも会うこともないだろう。いや、会うか、同じ大学なら。中途半端な知り合いを作ると楽しいキャンパスライフを狭めてしまうよ。


「じゃあ俺は721教室なんで」

そう言って俺はトビアスと別れた。


そして12:05。教授に指示された3号館に向かうとなぜかトビアスが来ていた。あれ?教授に呼ばれたのは俺だけじゃなかったかしら?突っ込む暇もなく教授が現れた。


「二人ともお待たせ。昼食の前に君たちにいいところを案内するよ。期待していたまえ」


教授に案内されるまま俺たち二人は正門からまっすぐのびる学内のメインストリートを左手奥に回り、研究棟が立ち並ぶやや古い造りの校舎が並ぶ一画に出た。

「こっちの方の校舎はなんというか趣がありますよね」

俺は歩きながら好奇心を抑えられない子供みたいにキョロキョロ見回した。

「この辺のは50年くらい前に建てられた建物だからね。しかし今向かっている校舎はなんとそれより古い20世紀に建てられたものを今でも改修を重ねて使っている歴史的にも価値の高い建造物だよ」


そう言って塚原教授に案内されたのは蔦に覆われた5階建の建物で、とても改修の手が行き届いているとは言い難い恐ろしく古びた建物だった。入り口は両開き手動の扉。建物の中に入ると少しカビ臭い匂いがする。蔦に覆われた窓のせいで廊下も薄暗い。

映画の中でしか見たことがない旧世界の「学校」という感じだ。


俺たち3人は塚原教授を先頭に校舎1階の廊下を左奥に進む。たどり着いた突き当たりの部屋は他の教室とは明らかに扉の厚さが違う。

塚原教授がジャケットのポケットから何やら銀色のものを取り出した。

「これ、何かわかるかね?」

子供のような笑みを浮かべて話し出す教授。

「鍵だよ。今じゃどの施設の扉も鍵といえば生体認証のオートロックだ。こいつも絶滅危惧種ってやつだな」

取り出した鍵を扉の鍵穴に差し込んでガチャリとドアを開く。

中は二つの区画に分けられていて奥の部屋は透明なガラスで仕切られている。手前の部屋には少しレトロな電子機器やモニタースピーカーに大きなミキサー卓、奥の部屋にはグランドピアノ、ドラムセット、アンプ、マイクスタンドが並んでいる。そう、ここは録音スタジオだ。俺とトビアスは秘境にたどり着いたトレジャーハンターのように目を輝かせて辺りを見回す。


「気に入ってもらえたかね?見ての通り録音スタジオだ。今となってはレアなヴィンテージ機器も取り揃えてある。実はこの大学にも50年くらい前に音学科があったんだよ。これはその名残でね。私がこの大学に来た40年くらい前にこの校舎の取り壊しの話が上がったんだが、貴重なヴィンテージ機器の流出を防ごうと私をはじめ元音楽科の教授たちが立ち上がってね。ロビー活動や署名運動の甲斐あってなんとか予備の研究棟として存続することになったんだ」


自慢げに話す塚原教授の存在もそっちのけで珍しいヴィンテージ機器を物色する。トビアスは奥の部屋に入ってピアノを弾きだす。あいつピアノも弾けるのか。

「このピアノ、ちゃんと調律されてますね。他の機器もメンテナンスされている感じがする。今でもこのスタジオ使われているんですか?」


「ほとんど私しか使っていないがね、一応メンテナンスはやっているんだよ。7、8年前までは軽音部があって私が顧問をやっていたんだ。その時は隣の教室も合わせて部室として使っていたが、新入生が入ってこず軽音部が廃部になってからは専ら私かオンラインサロンのメンバーがたまにここを利用するくらいだ」


こんなに希少価値の高い機材が揃っている録音スタジオなのにあまり利用されていないだなんて勿体ない。有り体な感想が口から漏れる。


「そこでだ、君たち音楽サークルをやるんだろう?ここを部室として特別に貸してあげるよ」


「本当ですか!助かります!他のメンバーも喜びますよ!」

俺は感極まって教授の両手を自分の両手で挟みながらお礼を言う。


「ただし録音スタジオ内は喫煙NGだ。発見次第利用停止にするからね、肝に命じておくように。たむろするのは隣の空き教室を使いたまえ。申請はこっちで話を通しておくから教務課からメールが来たら署名して提出しておいてくれ。それと合鍵をもう一本用意しておくから来週の火曜日以降私のもとにきたまえ」



次の週の火曜日、俺はイーサン、ミーア、テオを連れて我らが部室となるあの蔦に覆われた秘密のスタジオに向かうため、合鍵を受け取りに塚原教授を訪ねた。


「あれ?!合鍵ならさっき君らのサークルのメンバーの子に渡したぞ。この間一緒にいた子」


なにぃ!?トビアスか!あの野郎、人を出し抜いて我が同好会のメンバーでもないくせに一足先にあのスタジオを占拠する気か。


「え、何?もう一人同好会のメンバー増えたわけ?やったじゃん、晴れて正式に同好会として申請できるじゃん。よかったね、カナタ」


何を呑気なことを言っているんだ、この水原ミーアという女子は。今同好会の部室が不法に占拠されようとしているのに。俺は3人を引き連れて足早に秘密のスタジオへ向かう。


「学内のこの辺りは講義でも使われないしなんか別世界のような雰囲気だよね。校舎も古ぼけているし。秘密基地って感じがして盛り上がるね?」


イーサンも最年長のくせに一番子供じみたことを言ってやがる。今その秘密基地が乗っ取られようとしているんだよ。

蔦に覆われたスタジオのある校舎に入りピクニック気分の3人をよそに戦闘モードに入る。廊下の突き当たりの分厚い扉。取手に手をかける。鍵はかかってない。中にいるな。

俺は特殊部隊がテロリスト制圧のためアジトに押し入るがごとき勢いで扉を開ける。びっくりした様子もなく、ミキサー卓の前の椅子に座っていたトビアスがこちらに向き直り話しかけてくる。


「悪いね、先に使わせてもらっているよ。ちょっとマスタリングしたい作品があって試しにここの機材を使ってみたくて。そちらはサークルのメンバーの皆さんかい?」


「ああそうだ。ここにいるのは我がミレニアム音楽同好会の同志達だ。そしてここは我が同好会が塚原教授から特別に使うことを許された神聖な部室だ。我が同好会に入会の意思のない部外者は即刻退去願おう」


俺は仁王立ちになり腕を組み威嚇的な態度でもって応戦した。


「随分だな?。別にこのスタジオ自体はお前の所有物ってわけじゃないだろ?録音やマスタリングで使わせてもらうくらいいいだろ?別にお前の同好会の邪魔をしようってわけじゃないんだから」


「そういう訳にはいかない。塚原教授が用意してくれた合鍵は一つだ。その鍵の管理はどっちがする?教授から拝命された我々同好会こそ、この録音スタジオ兼部室の正当後継者だ。鍵の管理及びスタジオの管理は我々がする。どうしてもこのスタジオを使いたい時は都度俺に許可を請え」

俺の横暴な態度を嗜まんと、背後で聞いていたミーアが前に出てきて仲裁を始める。


「ちょっとカナタ、そういう言い方はよくないよ。お互いの言い分もあるんだから譲歩できるところは譲歩してお互いに気持ちよく共有すればいいんじゃない。ていうか君も音楽やっているんでしょ?一人で?それなら一緒に同好会に参加すればいいんじゃない。私は歓迎するよ」


「こいつを勧誘しても無駄だぞ、ミーア。”内輪のサークルごっこに興味はない”と会った初日にバッサリ断られているんだからな」


ふと見るとトビアスの様子がおかしいことに気づく。何かに驚いているような表情。


「あの、もしかして光嶺高校出身?」

ミーアに向かって唐突に質問するトビアス。


「え、私?そうだよ光嶺高校出身。え、もしかして君も?」


「あ、ああ」


「えー、すごい、奇遇だねー!」


「ミーア面識ないみたいだけど同じ高校なら顔くらい見たことあるんじゃない?」

後ろで聞いていたイーサンがとぼけた声で割って入ってきた。


「いや、俺高校卒業してすぐ一年間海外留学しているから水原さんの1学年上です。それにうちの高校マンモス校だから」


「あれ、私の苗字知っているんですか?やっぱりどこかで会ってます?」

1学年上と聞いて少し敬語を混ぜつつ窺うミーア。


「いや、あの、去年の学祭で映画観て、、」


「え、やだぁ、あれ観てくれたんですか!?」


「おい、何の事だ。話が見えんぞ。ちゃんと説明しろ」

俺は置いてけぼりにされたような気がして割って入った。


「私、高校の時映像研究会っていう部活に入っていたんだけど、去年の学祭の時その映像研で自主制作の映画を作ったんだ。その時の主演女優こそぉ、なんと私ですっ!」

一人でテンションあげちゃって見ているこっちが恥ずかしいぞ。


少し紅潮した顔で話を継ぐトビアス。こいつこんな表情もするんだな。


「去年の9月に日本に一時帰国してて。ちょうど母校の学祭があるから行ってみたら水原さん達の映画がやっていて。すごく興味深い作品で、、特に主演している水原さんの演技が印象的だったからパンフレットに載ってたSNSのアカウントフォローしていて」


昔でいうところのストーカーじゃないか。格好つけやがって。話の腰を折られたが大事なところだからきっちりカタをつけよう。


「盛り上がってるところ悪いが話を戻させてもらうぞ。繰り返すがここは俺たちミレニアム音楽同好会の部室になるんだ。部外者は出て行ってもらおうか」


話している俺の前に割って入ってミーアが再度トビアスを勧誘し始める。


「ちょっとカナタは黙っててくれない。トビアスさん、しつこいかもだけどうちの同好会に入りませんか?ちょうどまだ立ち上がったばっかでうちに入ってもあまりメリットはないかもしれないけど、私的には音学経験者の方に入ってもらえたらすごく助かるし、それに同じ高校出身の人がいると嬉しいなぁ」


ミーアに口説かれトビアスの顔の表情が緩むのが分かる。

なんか面白くないので先日トビアスに言われた言葉を蒸し返してみる。


「でもあれだろ、トビアスさんは学外でもっと才能のあるやつと一緒に音楽をやりたいんだろ?」


「それなんだけど、この動画の演奏、羽山たちなの?」

手元の端末を操作してスタジオ壁面にある映像スクリーンに動画を飛ばす。

そこには先月のキャンパスアリーナでの俺とイーサンのゲリラライブの映像が映し出される。


「誰かが撮っていたんだな。俺とここにいるイーサンの学内ファーストライブだよ」

様子を静観していたテオがここで話に入ってきた。


「その動画、なんか結構拡散されているみたいだよ。再生回数も1万回超えてるし、学外にも広まっているみたい」


「え!そうなの!」

俺は意外な事実に素っ頓狂な声をあげてしまった。


「屋外で生楽器の演奏、しかも無許可っていうのが結構受けているらしくて。コメントは賛否で溢れかえっているけど演奏や音楽的な面では評価してくれている人が結構多い」


テオが我が事のように喋ってくれているのがちょっと嬉しい。


「この動画の曲、羽山たちのオリジナル?」


「ああ、作曲は俺。ドラムのフレーズの細かいところはイーサンにアレンジしてもらっている」


「面白いね。音楽の構成要素の最小単位で最大限の効果を実現している。メロディーがもつ強い動機をドラムだけで緩急つけていている。単純にシンプルで美しいと思ったよ。羽山たちは十分才能あると思う。よかったら一緒にバンドやらないか?そのために同好会に入れっていうんなら喜んで入るよ」


なんという手のひら返しでしょう。良くも悪くもこいつは嘘がつけないやつなんだな。それだけに今の俺たちの音楽に対する講評は本心だと分かるからまぁ嬉しいし信頼はおける。


「やったぁ?!仲間が5人になったよぉ!私あんまり楽器できないからトビアスさん色々教えてね!」


半ば無理やり握手しにいって喜びを顕にするミーア。こいつのシンプルさは見ていて気持ちがいい。


「さん付けはいらない、トビアスでいいよ。音楽仲間とはフラットな関係でいたいから」


「まぁそういうことなら、これからよろしく」

俺は少しはにかみつつ注釈をつける。

「ただイーサンは30越えてるかもしれないから敬語を使ってやってくれ」


「彼方くん、そういうのまじやめようぜ」

イーサンのアイスクリームをこぼした幼稚園児を憐れむような視線が痛い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る