第28話 約束
ラグナが再び目覚めたのは、粗末なベッドの上でだった。
ここがどこなのか疑問が湧いたが、部屋の外からイリアの声がしたので、とりあえずは安心した。
体調を確認しながら、ゆっくりと立ち上がった。まだ痛むところがあるが、体力はすっかり回復している。
扉を開けると、そこはリビングだった。色気のない殺風景な部屋だが、整理整頓は行き届いていた。とっくに冷めきったコーヒーが残っているカップが、目についた。
聞こえてきた声は、寝室の裏側の外からだった。
表に出てると、細い路地裏だった。建物を回り込んで表通りに出ると、自分が寝ていたのは、貸馬車屋だとわかった。
ラグナが店先を覗くと、イリアが自分と同い年くらいの青年と一緒に、馬の世話をしていたのが見えた。奥には渋顔の老人もいた。
イリアは笑っていた。その表情は豊かで、少女らしい温かくなる笑顔だ。
「イリア……」
ラグナが控えめに声を掛けると、笑っていたイリアは、さらに破顔した。
「ラグナッ!」
餌の入ったバケツを置いて、駆け寄ってきた。
「もう大丈夫なの?」
「ああ……おまえの魔法のおかげかな」
「二日も起きないんだもん。心配したよ」
「二日……」
そう言われても、ラグナには実感がなかった。あの戦いの感触は、掌に生々しく残っている。
「起きたのか」
無骨な声がした。奥に座っていた老人だ。ラグナは、この店の主だろうと当たりをつけた。
「俺はこの店を切り盛りしているラッシュ・フロガってもんだ」
「ラグナ・フェアラットだ。世話になったようだ」
「意識はしっかりしてるようだな」
「おかげさんで……」
「なら、ちょっと来い。話がある」
ラッシュは、顎でリビングへ誘った。わざわざ建物を回り込まなくても、リビングに通じる扉があったようだ。
ラグナは、奥へ消えたラッシュの後に付いていった。
「ラグナ……」
「大人の話だ。心配するな」
イリアが心配そうにするので、スマゥトは彼女の頭にぽんと手を置いた。
リビングに置かれたテーブルを挟んで、ラッシュとラグナは向かい合った。ラッシュは眉間にしわを寄せている。ひどく不機嫌そうだ。
「まず、こいつを返す。大事なもんなんだろ?」
ラッシュが差し出したのは、ラグナのリィヒト・ハルフィングと、クロエのラウゼンヴィッターだった。リィヒト・ハルフィングが、きちんと鞘に収められている。イリアが収めたのだろうから、この剣から滲み出ている、禍々しい魔力を見られたことになる。
ラグナは、複雑な気持ちで剣を受け取った。
「杖を抱えてたから、もしやとは思っていたが、あんなお嬢ちゃんが魔法を使えるなんて驚きだ。あのお嬢ちゃんがいなかったら、おまえ死んでたかもしれねえぞ」
「……そうだな」
「おまえ、わかってんのかっ!」
ラッシュが、いきなり怒鳴った。
「あんないい娘を、危険にさらしやがって。それに、エストーザにあった死体の山はなんなんだ?」
しばらく、無言の時が流れる。互いに目を逸らさないでいたが、殺伐とした雰囲気の睨み合いではなかった。
「教会に男が倒れてたろ? あいつの亡骸はどうした?」
「おまえが寝ている間に、簡素にだが埋葬してきたよ。もちろん、他の村人もな」
「そうか……」
「あの男が、やったのか?」
ラッシュの眼光が鋭くなる。それでも、ラグナは目を逸らさなかった。
「……いや、やったのはデーモンだよ。あいつは、必死に村を守ろうとしたんだ」
「……そうか。他の者は、恐怖に歪んだまま死んでいたが、あの男だけは、妙に安らかな死に顔だったな……。おまえは、エストーザがデーモンに襲われているのを知って、救援に駆けつけたというわけか?」
イリアは、詳細については語らなかったとわかった。自分の救出を最優先にしたのだろう。でなければ、ラッシュが改めて訊いたりしない。
ラグナは睨む老人の目をまっすぐ見返した。ラッシュが怒っているは、イリアを心配してのことだ。そのことはストレートに伝わってきた。それに、人生を重ねて培った目のよさは、即興のごまかしなど通用しない。
ラグナはラッシュを信用し、これまでの経緯を話した。ただ、クロエがヴォルフ・ガングに憑依されていた部分だけは、少し脚色するのを忘れなかった。彼は最後の最後まで邪悪な魔と戦ったのだ。死んだ後まで、大量殺人の汚名に晒されるのは不憫過ぎた。
「七聖剣の英雄? おまえが?」
話を聞き終わったラッシュは、さすがに驚きを隠せなかった。想像を遥かに越えた内容を、すぐには受け止めきれない。
「ヴォルフ・ガングを倒したのは事実だが、俺は英雄じゃない。いや、倒したというのも、正確じゃないな」
「それで……ヴォルフ・ガングの残骸を処理するために旅してるってのか?」
「ああ。続けなきゃならん」
ラッシュは腕を組んで押し黙った。ラグナが嘘を言ってないことはわかった。彼の言葉には、真実を語る者のみが発する重みがあった。
彼は、ラグナがただのならず者なら、まともに生きるよう諭そうと思っていた。しかし、そんな話を聞かされたら、止めることなどできはしない。
しばし考えた後、口を開いた。
「それで、あの娘も……イリアも連れていくつもりか?」
「そのことなんだが、ちょいと相談がある」
ラッシュが、それを問うてくることは予想していた。そして、その答えも決まっていた。
「あいつを、ここに置いてくれないか?」
「なんだと?」
「あいつの旅の目的は、家族の仇を討つことだった。もう、それは果たされた。旅を続ける理由はなくなった」
「しかし……イリアは、おまえにずいぶん懐いとるようだが……」
「危険にさらしたくないんだろ? 俺も同じだ」
「む……」
「ついでと言っちゃなんだが、もう一つ頼まれてくれないか」
「なんだ? まだあるのか」
ぶっきらぼうな口調だが、聞いてやるという態度が滲んでいる。ラグナは口許を緩ませながらラウゼンヴィッターを差し出した。
「こいつを預かってほしい」
ラッシュは、さも意外そうに差し出された剣を見つめた。
「こいつは大事なもんなんじゃないのか」
「だから、あんたに預かってほしいんだ」
ラグナは、ラッシュを信用しているのだと、言外に匂わせた。
「決着がついたら取りに戻ってくる。それまで頼みたいんだ」
再び、二人の間に無言が流れる。
「……一つ条件がある」
「いいぜ。預かり賃をよこせって以外ならな」
「必ず取りに帰ってこい。旅の途中でくたばったんじゃ、それもできんだろ」
ラッシュの言葉が染みる。やはり、この老人は信じるに足ると改めて思った。
「……ああ。約束する。ただ、いつになるかわからない旅だ。あんたこそ、俺が戻ってくるまで長生きしてくれよ」
「バカもん。わしはあと二十年は生きるつもりだ」
こうして、二人の間に約束が交わされた。証文など作られなくとも、違えることのない、誓いに劣らぬ固い約束だった。
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