第11節 伝播

 戦闘直前。



 ヴェルナーはキルヒア神に祈りを捧げると、自らも含めた4人全員に神の恩寵を与えます。


 ただの気休めではありません。

 

 4人は神の祝福を得て、物理的な痛みや魔法による攻撃から少しだけ強くなりました。


 文字通り奇跡のようですが、敬虔けいけんな神官には、神々の加護を実際に引き出す力があるのです。



 それを見て、今度はハイエルダールが杖を前にかざすと小声で呪文を完成させます。

 

 これは神の恩寵おんちょうではありません。

 魔法の障壁によって、敵の攻撃に対しまた少し強くなりました。


 さらにハイエルダールは、今度はアニエスとエッダに対してのみその魔力を行使します。2人の武器を杖で指し示すと、まるで魔力が編み込まれたかのように光りだしました。味方の打撃力を上げる、そんな呪文もあるのです。



 この間、アニエスもまた独自の戦闘準備を行っています。彼女には自らの戦闘能力を強化する奥の手がありました。


 ちょっと驚くかもしれないけど、と彼女は前置きすると、見る見るうちに顔つきが獣のそれに変わり、ふさふさとした毛に覆われて、ネコのような容貌となりました。


 しかし、体つきは基本的に人間のままです。

 アニエスは元より整った顔立ちでしたが獣化してもそれが損なわれておらず、むしろ人間と獣が融合したかのような姿に他の3人は神々しさすら感じました。



「ミャア」


 今、アニエスはミャアと発音しましたが、他の3人には通じません。


 獣化すると戦闘力が上がるうえ、夜目も利くようになるのですが、普段通りの発声ができずリカント語しか話せなくなることだけが欠点でした。


 それでも4人は、予めこうした事態に備えていました。互いに身振り手振りと簡単な発声を再確認すると、最低限の連携は取れているようでした。 



 ここまで整え、いよいよエッダとアニエスは巡回組へ今まで以上に接近を試みます。ヴェルナーとハイエルダールは後方の木陰に待機です。

 

 4人は所定の位置に着くと、目で合図しました。

 


    ◇



 エッダが木陰から飛び出すと一気に距離を詰めます。

 ゴブリンは、何かが近付く気配に振り向こうとしましたが、そのいとまもあらばこそ。エッダは一直線に駆け抜けつつ、接敵直前にその細身の剣を抜刀します。狙うは鎧の隙間です。


 その様子を注視していたヴェルナーやハイエルダールでしたが、初めて見るエッダの抜刀術と軽やかなステップに驚きました。しかし。


 浅い!


 彼女は独り言ちながら、走りこんだ勢いを殺さぬよう身をよじって急旋回すると、今度はステップに1つフェイントを入れ再び剣を打ち込みます。



 その横で、もう1体のゴブリンが驚きつつも建物に向かって走りながら大声を出そうとした瞬間、回り込んでおいたアニエスが、音もなくその眼前に飛び出しました。


 そして拳闘士らしくそのゴブリンの喉から顔面めがけて掌底しょうていを叩き込みと、のけ反ってガラ空きとなった相手の胴体めがけて華麗なケリを放ちます。


 顔と腹部をやられたせいで、そのゴブリンは大声を出せなくなりました。これを狙っていたなら、アニエスはなかなかのやり手です。


 流れるような動作でもう一撃を浴びせると、そのままゴブリンは木まで吹き飛びました。



 そして。


 エッダの剣が鎧とぶつかる金属音、ゴブリンが木にぶつかった衝撃音、それぞれが相前後して辺りに響き渡りました。


 もちろん、4人もそうなることは百も承知でした。それでも距離があるため建物にはハッキリと音が届いていないはずです。



 しかしその時です。


 バサバサバサッ! キェッ! 


 どこにそんな数が隠れていたのか、辺りの木々に止まっていた鳥たちが戦いの音に驚いて一斉に飛び立ったのです。


 エッダもそれに驚いてつい上を見上げます。その間も鳥たちの羽音が、別の鳥たちにも飛び立つことを促すかのように響き渡り、そこに鳥たちの鳴き声も混じり合って、森の静寂は一挙に打ち破られました。


 探索中、どこかで鳥が鳴いたり動物の気配があったりというのは4人も気付いていました。

 しかし、戦いの音がこうした事態を引き起こすとは思ってもみなかったのです。



 そして、鳥たちの一斉行動は思わぬところに飛び火しました。


 建物の前に囲われていた羊たちが、ヴェェッ、メェェッ、と騒ぎ出したのです。


 羊は臆病な生き物です。異変を感じて騒ぎだすと、それは鳥たちの羽音よりも長く続き、遠くにいる4人にも微かにかすかに聞こえてきました。



 そしてまた、森に静寂が訪れました。


 4人からは建物の様子は見えません。しかし、作戦が完全に破綻したことは分かりました。


 その時です。先ほどまでの鳥や羊たちとは違い、聞くからに凶暴な、そして今までの動物とは比較にならぬ大きい怒声が建物の方から響き渡りました。


 ヴェルナーとハイエルダールが建物の方を見やると、何かが木々の間を抜けすごい勢いで突進してきているのが遠目にも分かりました。



 エッダもまた事態の急展開に戸惑いましたが、まずは眼前の敵です。

 慌てて視線を目の前のゴブリンに戻しますと、ゴブリンはこの乱戦状態から逃げ出そうと建物方向に走り出していました。それはつまり、ヴェルナーとハイエルダールのいる方向でもあります。


 しかし、素早さで言えばエッダの方が一枚上手。

 少しずつ建物の方に移動しながらも、軽やかなフットワークでエッダの剣が確実にゴブリンを捉えます。



 少し離れたところでは、アニエスもまた華麗な体術で右へ左へと敵の攻撃を躱しかわしていました。避ける合間にアニエスはうまく反撃していきます。


 ゴブリンがぐらつきながらも攻撃を試みますが、彼女は羽織ったコートをはためかせて目くらましに使いつつ、紙一重で避けると相手のふところに飛び込みました。その動きには無駄がなく、素早い彼女は手数も多いため、ゴブリンはもう倒れる寸前です。



 その頃、ヴェルナーは自分の不注意さに嫌気がさしていました。

 彼は、ギルドで依頼を受けた際にアイクさんが語った言葉を思い出します。


(……柵が壊される音もそうでしたが、羊どもが騒いで大変な鳴き声だったそうです。)


 その発言を聞きながら自分でメモしていたというのに。



 後悔しながらもヴェルナーは、取り決め通り隠れていた木陰から飛び出すと、敵の合流を阻止すべく建物方向に先回りします。すべきことをする、その意識は残っていました。



 問題は、予定と違ってハイエルダールも釣られて走り出したことです。


 ヴェルナーはハイエルダールに、

「ここは自分に任せていったん下がって!」

 と言いましたが、ハイエルダールもまた混乱していました。



 予め取り決めた通り、防御力が低く動きが鈍いハイエルダールは前に出るべきではありませんでした。


 しかし、ハイエルダールのほうにエッダと交戦中のゴブリンが近付いています。


 また、同時に建物からも蛮族が近付きつつあることに慌てました。彼からすれば挟み撃ちにあっているわけです。


 これ自体は第3シナリオで想定していた状況でしたが、実際に直面すると慌てたのでした。



 位置的には、ヴェルナーとハイエルダールが建物に最も近く、次に少し離れてエッダ、更に離れてアニエスです。


 ヴェルナーの声も聞こえず、ハイエルダールは建物からの新手を待ち受け、おもむろに呪文を唱え始めました。魔法は事態を解決するには強力そうに見えますが、呪文を唱えている間はそれに集中しなければならないため身動きができず、その場に留まる必要があります。 


 ハイエルダールは杖を真正面に突き出します。彼にも攻撃用の呪文はあるのです。

 そして、新手がハッキリと見える距離になると必死の思いで呪文を唱え叫びます。


「スパーク!」



 しかし……何も発動しませんでした。 

 予想外の事態に慌てすぎたのです。

 

 エッダは、その状況を横目で見て焦りました。眼前のゴブリンに必死で剣を繰り出し、一刻でも早くハイエルダールのカバーに回ろうとします。



 その間に、ヴェルナーもまた覚悟を決めていました。そっとハイエルダールの肩に手を置きます。


 連携がうまく行かずヴェルナーはまたも気落ちしましたが、もう後悔することはやめました。ここまで来たらハイエルダールの盾となるつもりです。



 ハイエルダールは改めて杖を前に突き出すと、再び呪文を唱えます。


「スパーク!」


 接敵のまさに直前、鼻先の至近距離で魔法の発動に成功し、小さな稲妻がゴブリン2体へ飛んでいきます。

 まともに食らった2体から苦痛の呻きが漏れました。


 が、ゴブリンはまだ生きています。



 一度に複数の対象を巻き込むことができて便利な呪文ですが、少し威力が弱く、また対象範囲に味方がいた場合は巻き込む可能性があり、使いどころが難しい呪文でもありました。


 今のように、目の前に味方がいない状況では確かに有効な一手なのですが、その意識がハイエルダールをしてその場に留まらせたとも言えます。



 ゴブリンどもはまともに呪文を喰らいながらも切り掛かってきました。

 ヴェルナーはハイエルダールの前に立ちはだかると、その一撃を代わりに受けます。


 彼にとって幸運だったのは、呪文による攻撃を受けたことでゴブリンの動きが鈍り、その打撃力が損なわれていたことです。


 ヴェルナーは1体目の攻撃を鎧で受けきると、別の一体による攻撃も軽傷で済ませました。

 

 その時です。


「伏せて!」



 凛とした声が2人の背後から響いてきました。



(次回「決着のとき」に続く)

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