第10節 建物の中

「あったよ、それらしき建物が」



 待機していたヴェルナーとハイエルダールの元に、アニエスだけが戻ってきました。2人はできるだけ静かにアニエスの後ろから付いていくと、遠くでエッダがこっちこっちと手招きしています。


 それは思ったよりも近く、先ほどの岩場から少しだけ東にありました。小川のせせらぎも聞こえています。

 

 見ると、その建物は古代の遺跡などではなく単なる小屋でした。小屋の前の木々は伐採されて少し開けています。


 

「この建物、村長が教えてくれたポイントには入ってなかったな」

 ヴェルナーは声を潜めて言いましたが、エッダは仕方ないよという顔です。


「全部が全部、村長さんも知らないんじゃないかな。それにほら、あの建物ってあまり使われてる様子もないから忘れ去られた場所なのかも」


 さらに、エッダはこう続けました。

「あとあの建物って、狩人が使う簡易の作業場に見えない? ああいうの、アタシの故郷の森でも見たことあるもの」

 


 なるほど、ヴェルナーも言われてみればそんな感じを受けました。次第に使われなくなって朽ちているようですが、蛮族が間借りする分には部屋の良し悪しなど関係ありません。


 こうしてみんなが建物を見ていると、エッダは他の3人に促します。

「あと建物の正面を見て。ほら、木々が伐採されて少し広くなってるところ」


「……羊か」



 ヴェルナーは建物ばかりに目が行って気付きませんでしたが、盗まれたうちの2頭でしょう、食べられもせずに残っていました。自分の運命を知ってか知らずか、羊たちは建物の前に設けられた柵の中で静かに草を食んでいます。



「蛮族の奴ら、牧場でも始めるつもりかね」


 ヴェルナーの軽口を受けて、ハイエルダールも興味深そうに柵周辺を眺めつつ言いました。


「単にまだ取ってあるだけだろうけどネ。しかし施設を有効活用するなんてやるじゃないか。羊を囲っている部分は、おそらく人間がこの建物を作る際に木を切り出した跡地だと思うけど、狩人はそこに生きたまま捉えた獲物を囲っておいたか、猟犬どもを放し飼いにしてたんだろう。それを今は蛮族がそっくりそのまま頂いて羊を囲うなんてネ」



「これで敵の本拠地も分かったわけだけど……どうする?」

 ヴェルナーが他の3人に問いかけます。

 

 ハイエルダールは蛮族の数が気になります。

「巡回組が外に2体、建物の中にはどれ位いるかネ」


 エッダは何となく想像できているようです。

「あの建物の大きさじゃ、そんなに数はいないと思うけど、もう少し近寄ってみたいかな」


 そこでヴェルナーが提案しました。

「どっちにしろ、このままじゃ中途半端か。エッダさんとアニエスさん、危険な目に合わせてすまないけど、ここは接近を試みてもらえるかな」

 

 2人は元よりそのつもりですから黙って頷くや、二手に分かれて偵察します。



 エッダは慎重のうえにも慎重を期し、姿勢を低く保ちながら遠巻きに建物を見て回ると、裏側にも扉を発見しました。


 さらに、建物両側面の少し上方には窓がそれぞれ1つずつ。ガラスをはめ込むようなものではなく、木で作った覆いを下からつっかえ棒で跳ね上げるタイプです。片方の窓は閉まっていますが、もう片方は壊れたのか、覆いがなくなっており開いたままです。



 その頃アニエスは、エッダとは逆方向から回り込みつつ建物を窺います。そして、やはり窓のほうを注目していました。

 

 扉が閉まっている以上、この状況で中を見るには開いている窓しかありませんが、あいにく角度が悪く中は見えません。



 すると次の瞬間、アニエスは意を決したように近くの木に登り始めました。蛮族に気付かれぬよう木の幹に体を隠しつつ、音もほとんど立てずに適当な高さまで登ると、建物の中を覗き込みます。それを離れて見ているエッダのほうがヒヤヒヤものです。嫌な汗が背中を伝って落ちました。


 エッダの心配をよそに、しばらくするとアニエスはスルスルと木から降りてきました。そのしなやかな動きはまさに動物のそれです。


 エッダは生きた心地がしませんでしたが、ふぅと一息つくと、また音を極力立てないようにして戻ります。アニエスもすぐに合流しました。



 エッダがアニエスを心から絶賛します。

「凄いね、あんなことをやってのけるなんて。アタシにはできないな。それで、肝心の建物の中はどんな感じだったの?」


 アニエスは恥ずかしそうな表情です。

「昔から木登りは得意だったから。それで建物の中だけど、見えない角度もあったから確実じゃないけど、3つの影が動いてたよ。でも、蛮族の種類までは分からなかったなあ」


 それが正しければ、外の巡回組と合わせて合計5体の蛮族がいることになります。



「全部の敵の正体が見えていないのは気掛かりだね」

 とエッダは思案顔です。


「でも今なら、巡回組と建物組それぞれ各個撃破できるかも」

 アニエスはそう言って他の3人の反応を窺います。


 ハイエルダールは、出発前の話を思い出しました。

「無理はするなとギルドマスターは言っていたけどネ」


 4人は、出発前に聞いたギルドマスターの言葉を胸に刻んでいます。

 しかし、蛮族側に気付かれていない今、4人にはまたとない好機のように見えました。



「いずれにしても、決断するなら早いほうがいいネ。日暮れの時間も考慮しないと。暗闇では視力を奪われるからネ」

 

 ハイエルダールにそう言われて、他の3人は空を見上げました。まだ日没まで間があるものの、これまでの確認でそれなりに時間が経過しています。アニエスのようなリカントは、獣化すると夜目が利くようになりますが、人間もタビットも夜は視界が奪われます。グズグズしていると不利な時間帯になりそうです。



 その時、辺りに嫌な臭いが漂ってきました。見ると、巡回組が建物のほうへ近付いています。どうやら交代の時間のようです。


 ヴェルナーとハイエルダールは、低い姿勢をより低くしてやり過ごそうとしましたが、エッダだけはハッとした表情になると、他の3人が止める暇もあればこそ、巡回組に気付かれぬよう距離を保ちつつ後ろから付いていきました。アニエスも慌ててそれに続きます。



 どうやら気付かれずに付いていけたようです。

 

 巡回組が建物に辿り着くと、扉が開きます。そして2体が中に入ると同時に、今度はまた別の2体が出てきました。またもやゴブリンです。


 エッダとアニエスは、新たな巡回組が動き出す前に素早く他の2人の元へ戻ります。

 

 エッダはある程度確信できたようです。

「みんなからも見えた? 全部で5体で間違いないと思う」


 扉が開いた瞬間、エッダは窓から見えない範囲を覗き込んだのでした。アニエスのほうが目は良く、彼女も間違いないと言います。


「その上、5体のうち4体がゴブリンだってハッキリしたね。あとの1体が何かは分からないけど……仕掛けてみる?」

 そうアニエスが問い掛けると、みんなの表情からして戦うつもりになったようです。


 しかし、エッダだけはみんなに念を押しました。

「みんな、無事に帰らないと意味がないよ。本当にいいのね?」


 他の3人は顔を見合わせて少しだけ考えましたが、一様に頷きます。

 みんなの覚悟を見て取ると、エッダは大きく深呼吸をします。彼女もまた覚悟を決めました。



    ◇



 まずは外に出て行った巡回組からです。

 4人は建物から離れると、巡回組のいる岩場からも少し距離を取った場所に陣取りつつ作戦を立てます。


 

 岩場と建物は、少し走れば仲間を呼びに行ける距離です。しかし、木々によって視界が遮られ、走るにも足場が悪いため、巡回組を取り逃がしても建物組と連携を取るには多少の時間が掛かると想像されました。


 また、戦いでよほど大きな音がずっと鳴り響かない限り、建物内の蛮族も不審には思わない距離だと値踏みします。



 それらを踏まえると、建物内に気付かれぬよう速攻で巡回組2体を倒し切り、改めて万全の状態で建物組3体に挑む、これが最良の第1シナリオです。



 次に、巡回組と交戦中に何かのはずみで建物の中から3体が出てきたとしても、少し距離があるため、3体が到着するまでに巡回組を倒す、これが第2のシナリオです。


 この場合、第1シナリオと違って間髪おかず連戦となりますが、それでも建物組に対し4対3なら勝ち目があるように思えました。



 最後に、モタモタしてるうちに建物から3体が駆けつけ、5体同時に相手するような状況に陥る。これが第3の想定シナリオです。


 これは最悪で、この二正面作戦だけは是が非でも避けねばなりません。



 いずれにせよ、エッダとアニエスが巡回組2体に1対1で仕掛けます。もし仕留めきれず建物方向に逃げられそうな場合、予め後方に待機していたヴェルナーが立ちはだかり、逃亡を阻止するつもりです。防御力の高い彼が足止めさえすれば、エッダとアニエスが削り切ってくれるであろうとの見立てでした。


 防御力が低く動きも緩慢なハイエルダールは、終始木陰に隠れたまま、後方から隙を見て魔法を使うつもりです。



 この判断が吉と出るか凶と出るか。


 出会ってから今日まで連携を確認してきた彼らでしたが、やはり日が浅いことは否めません。


 また、どこかで緊張もしていました。



 いずれにせよ、全ての状況を検討できたかどうかは分かりませんが、あとは臨機応変に4人で乗り越えられるかどうかに掛かっています。

 

 それが試されるのは数分後のことです。



 

(次回「伝播」に続く)

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