第四十二話:母を訪ねて⑭/空と水の境界で



「………………っ? 此処ここは……? あたし……どうなったんだっけ……??」


 気が付いた時──スティアは見知らぬ空間にいた。


「一面に広がる青空と、地平線まで広がる鏡みたいな湖、あたし何故か裸だし……なんか身体が発光してるし……。もしかして──また死んだの……?」


 薄闇に包まれた森の中で幼い少女の姿をした“魔物モンスター”と戦っていた筈のスティアが居たのは、青空と湖がどこまでも続く空間──其処そこにスティアは立っていた。


「身体の傷も無い……眼もえぐれてない……。まぁ……服も着てないし、フィーネもあの子もいないし……少なくても、此処ここ──『現実』じゃ無いよね……?」


 辺りを見回し、自分の身体をしっかりと観察し──スティアは、自分が何処どこか不思議な空間に来てしまったのだといぶかしむ。


(でも、なんだろう……不快な感じはしない。むしろ……晴れやかな、爽やかな気持ちになってくる気が……? 屋外で裸になってるからかな……いや、あたし露出狂ろしゅつきょうじゃないから裸かどうかは関係ないはず……!)


 けれど、その空間はスティアにとってはであった。爽やかに吹くそよ風、足元の湖から伝わるひんやりと心地良い水の感触、穏やかな気持ちになれる青く透き通った空と雲。


「気持ち良い……こんなに気持ち良い場所、生まれてはじめて……」


 深く深呼吸をして──肺にんだ空気を取り込んだスティアは、まるで心地の良い“夢”の中にいるような感覚に包まれていく。生まれてこの方、味わったことの無い高揚こうようかん多幸たこうかん──スティアは、この不思議な場所にまたたく間に心を惹かれていく。


此処ここが天国……だったら良いなぁ……。でも──フィーネが居ないのは寂しいかも……」


 ずっと此処ここに居たいと、スティアの心の奥底が言っている。けれど──攫われた母親たちを、事件の元凶であるあの“魔物スライム”を、共に戦っていたフィナンシェを、家族を探すと誓ったあの赤ちゃんを、全てほっぽり出して此処ここでのうのうとしている訳にはいかない。


「どうしよう……取り敢えず、此処ここ何処どこか調べなきゃ……!」


 気になっていた──現実の自分がどうなっているのか、あの戦いがどうなったのか。行かないで、此処に居よう──と、後ろ髪を引っ張るように引き留める“本心”を必死に抑えて、スティアは少しずつ足を踏み出していく。


 ちゃぷん、ちゃぷん──湖に足は沈まず、つま先と水面みなもが触れ合った時にしょうじる波紋はもんが、心地良い音色ねいろと共にスティアの周りに広がっていく。


「誰か居ないの……? フィーネ……あたし独りじゃ寂しいよ……」


 スティア=エンブレムと言う少女は“孤独”を恐れている。誰かと居たい、誰かと繋がっていたい、誰かを感じていたい、誰かに愛されたい──故に彼女は、心穏やかになれるこの場所に居ても、真に心が安らぐことは無かった。


 だからだろうか──、


「もうやめて……おねがい……もう、誰も傷付けないで……」


 ────何処どこか遠くの方から聴こえる、小さな少女の孤独にすすり泣く声が聴こえたのは。


「誰……? 誰か居るの……? 何処どこに居るの……!?」


 爽やかな風と透き通る水の爽快感によろこぶ身体と、孤独と不安に押し潰されそうになる心にさいなみながら、宛もなく歩き続けていたスティアの耳に届いた少女の声。


 不安に満ちた、悲しみに満ちた、孤独に満ちた──この清涼せいりょうかんあふれる光景には似つかわしくない、悲観ひかんに押し潰されそうな少女の声。


「何処に居るの……? ねぇ、あなたは何処にいるの……!?」


 足が無意識に速くなる、“バシャバシャ”と踏みしめた水面みなもが激しい音を立てながら飛沫しぶきを立てる、居ても立っても居られない、はやる気持ちにかされて──スティアはどこまでも続く空と水の境界きょうかいをひたすらに駆ける。


「──────居た……あの子だ……!」


 そして、見果てぬ水平線すいへいせんに向かって走り続けたスティアは──独りの少女を見つける。


 だだっぴろい青空の下、鏡のように空を写す水面みなもうずくまる水色の髪の少女。空も見ず、水面みなもにも目もくれず、膝を抱えてむせび泣く少女。


「あなたは……誰? どうして……此処ここに居るの?」


 遠くに見える少女に声を掛けながら、スティアはゆっくりと彼女の元へと歩み寄っていく。少しずつ、少しずつ──孤独に怯える少女は、孤独にむせぶ少女との距離をちぢめていく。


 うずくまる少女の声は孤独に震えている──スティアにはそれが理解できた。知っていたから、聴き覚えがあったから、孤独に震えている声を──かつての自分がそうやって、孤独に怯えて泣いていたから。


「ねぇ……あなたは──誰なの?」


 水色の髪の少女の前に立ち、スティアは恐る恐る語り掛ける。不安、恐怖、焦燥、孤独──自分の鼓動こどう緊張きんちょうで速くなるのを感じながら、自分を押し潰そうとする悲観的ネガティブな感情を必死にこらえて、スティアは少女との接触コンタクトこころみる。


「……………………お姉ちゃん」


 そのスティアの震える声にわずかに含まれた“勇気”に触発されたのか──うつむいていた少女はゆっくりと顔を上げて、スティアへと視線を向ける。


「あなた……まさか……ッ!?」


 ようやく少女の顔を確認できたスティアは、彼女の顔に動揺と衝撃を受ける。水色の長い髪、あどけなさの残る幼い少女の顔──間違いない、スティアの記憶、感覚が訴えかける。


「──────ヤーノ……!!」


 少女の姿は、少女の顔は、間違いなくスティアが対峙たいじしていたスライムの少女──ヤーノと名乗った少女と同じだった。唯一、違う点があるとすれば、それは“瞳”の色。スティアの目の前にいる少女の瞳は、魔性に連なる金色こんじきでは無く──透き通る髪の水色にも負けないぐらいに、淡くきらめく“薔薇英石ローズクォーツ”のような透き通るピンク色をしていた。


「お姉ちゃん……ごめんなさい……! わたしのせいで……ひどい思いをさせて……ごめんなさい……!!」


 そんな美しい“薔薇英石ローズクォーツ”の瞳から大粒の涙をぽろぽろと流しながら、少女はスティアに謝り続けている。最初のほんの数秒──スティアは彼女が何を言っているのか理解できなかった。


 散々に自分を痛ぶって、右眼をえぐり、挙げ句に身体をスライムに変えようとしている『敵』が何を世迷よまごとを言っているんだと。しかし──目の前で涙を流す『ヤーノ』に感じる“違和感”に、スティアの心の奥底からいてくる“怒り”は、足元から感じるひんやりとした水のように冷えてなくなっていく。


「あなた……まさか、本物の……ヤーノ……?」


 スティアの問い掛けに少女は無言で首を縦に振る。そう──彼女こそが“人間”の『ヤーノ』。母との再会を願い、スライムとざり融合した少女。


「じゃあ、此処ここは──ヤーノの精神世界ってこと……!?」


 目の前のヤーノの正体を知り、そこでようやくスティアは自分が今いる場所が何処どこかを察する。此処ここはヤーノの“心象しんしょう”──心の中を映した世界。果てなき空と水の境界の世界──母親との再会を夢見た少女の世界。

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