第四十話:母を訪ねて⑫/最後に縋るは



「“聖なる光よ 邪悪を討て”──」


 スティアとフィナンシェ、ヤーノ──向かい合う三者の距離は数メートルも離れていない。手を伸ばし、武器を振るえば──簡単に、相手の命を奪える距離。


 手にしたつるぎやいばに変形させた両腕でつばいをしているスティアとヤーノの後方から、仕掛けたのはフィナンシェ。


 彼女が修得している数少ない攻撃系統の光魔法──聖なる光を、フィナンシェは杖の先に仕込んだ紅玉ルビーの様に輝く魔石に集束しゅうそくさせていく。


 そして──、


「────『聖霊光ホーリー・レイ』!!」

「────熱ッ!!」

「────がッ!!?」



 ────薄闇うすやみに包まれた森を照らすようなまばゆい光と共にはなたれた一筋ひとすじ閃光せんこうが、フィナンシェの掛け声に合わせて身をそらしたスティアの脇をかすめてヤーノの胸部きょうぶを貫く。その聖なる光に胸を穿うがたれ、身をがすような激痛がヤーノの身体を駆け巡り、彼女は小さくうめきながら後方こうほうへとよろよろとっていく。


「ちょっとフィーネ! その魔法……、気をつけてね!!」

「分かってるよー! ちゃんと気を付けてるから!」


(あー……魔王であるおれの血を引いてるから、魔性の属性があるんでちゅね……!!)


 フィナンシェに少し釘を刺しながらも、仰け反ったヤーノに対してスティアは攻勢こうせいへと打って出る。ヤーノの苦痛にゆがんだ表情かお──自分の剣が、フィナンシェの魔法が届く距離。逃すまいと、不退転ふたいてんの覚悟で荒ぶる怪物へと果敢かかんに立ち向かっていく。


(また、ヤーノの身体を……! あぁ……だめ、あの子の身体が悲鳴をあげているわ……!!)


 そんな鬼気きき迫るスティアの剣撃けんげきをいなしながら、ヤーノは自身の身体に起こる変調へんちょうへと思考をかたむける──いな


(傷を癒やし、再生するたびに──身体に激痛が走る……! 苦しんでいるんだわ……あの子が!!)


 本来なら、ゼリー状の身体であるスライムなら、屁とも思わない切断や切り傷、生命を構築する“コア”さえ無事ならば瞬く間に回復する筈のダメージ。どんなに傷付いても回復する筈のなのに、ヤーノの身体は傷を受ける度に苦痛にあえいでいた。


(これ以上、ダメージを受け続ければ……“あの子ヤーノ”の身体が壊れてしまうわ……。それだけは、絶対に阻止しないと……!!)


 今の今まで身を隠し、戦闘を極力きょくりょく避けていたが故に、この局面きょくめんで発覚してしまった弱点──人間である“本来の”ヤーノの肉体が、に、魔物モンスターであるヤーノは激しい絶望感に襲われる。


(やめて、やめて、やめてやめてやめて……!!)


 このまま戦えば──誰よりも先に、彼女の中で眠るヤーノが死んでしまうと言う事実に。


「────くッ!!」


 故に、誰よりも内に眠る愛しき同居人どうきょにんを案じているが故に──ヤーノは自らの失態を晒すしか無かった。


(なに……? あたしの攻撃を……?)


 それまで、自身の傷など一切憂慮ゆうりょなどしていないが如く、烈火れっかのような苛烈かれつきわまる姿勢で戦っていたヤーノが初めて見せた──身を守る、臆病風おくびょうかぜに吹かれたような消極的ネガティブな受け身の姿勢しせい


(あの表情かお──見たことがある……)


 スティアを見つめるヤーノの表情ひょうじょう──嫌悪けんおかん、拒絶、恐怖、苦痛の入り混じった苦悶くもんに満ちた表情。


(暴力に怯える表情かお──鏡に写った昔のあたしと同じ表情かお……!)


 ヤーノのその表情かおを見た瞬間──スティアは理解してしまった。今のヤーノは、スティアの剣閃けんせんを、フィナンシェの魔法を──恐れていると。


(やめて、やめて、やめて……! これ以上、この子の身体に傷を付けないで……!!)


 ヤーノの表情かおは明らかに『やめて』と訴えかけている。彼女の金色こんじきまなこからにじむ無言の懇願こんがんに気付けたのは──幼少の頃から他人ひとの顔色をうかがって生きてきたスティアのみ。


 故に──、


「────『聖霊光ホーリー・レイ』!!」


 ────スティアの背後で彼女の支援を行っていたフィナンシェには、ヤーノの苦痛は理解できなかった。


「あぁ──やめて……痛い、痛いよ……!!」


 再び放たれた閃光に鳩尾みぞおちを貫かれ、ヤーノは弱々しく苦痛を訴える。それでも、彼女に迫る攻撃が緩まることは無い。それが、戦いであり──ヤーノ自身が選んだ“道”なのだから。


「もう……これ以上──あの子を傷つけないでぇえええええ!!!」


 それを知っているからこそ──ヤーノには戦う以外の選択肢は無かった。戦って、目の前にいるふたりの冒険者をあやめて、母親たちと器の少女を守る。そのためだけに。


 大きく折り曲げられたヤーノの右腕が再び鋭い槍へと変化していく。反撃──ヤーノの眼には強い憎悪がにじみ出る。


(あたしの方を向いていない──狙いはフィーネ!!?)


 狙うはフィナンシェ、槍と化した右腕を突き伸ばし──彼女の心臓を穿うがつ為に、ヤーノは渾身こんしんちからとありったけの憎悪を込めて右腕を振り抜く。


 しかし──、


「そんな事──させないッ!!」

「────がぁ!!?」


 ────瞬時にヤーノの狙いを見切ったスティアによって、彼女が振り抜いた右腕はフィナンシェへと届く前に斬り落とされてしまう。


「痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い──あぁ、あぁああああああああ!!!」


 強襲の際に斬り落とされた時よりも、より激しい苦痛がヤーノの全身を、ヤーノの精神を、内に眠る少女の魂を蝕んでいく。


 最早──意識を保つのも精一杯な程にヤーノは疲弊ひへいし、弱った彼女の精神では形を保つ事が出来なくなったスライムの触手が次々と崩れて水泡すいほうしていく。


「まだだわ……まだだわ……まだ、わたしは──倒れる訳にはいかないわ!!」


 それでもなお、ヤーノは立ち上がろうと、戦おうと、守り抜こうと──傷付いた身体を震わそうとする。


 しかし──、


「どうして……どうして……どうして──なんで……なんで再生しないのッ!?」


 ────既に、ヤーノの、彼女の内に眠る少女の身体は限界を迎えていた。本来なら、瞬時に再生する筈の身体が治癒ちゆしない。斬り落とされた右腕の断面は、ただ不気味にうごめくだけ。


「スティアちゃん……コレって……!?」

「もう──限界みたいだね……! 往生おうじょうしなさい……化け物」


 斬り落とされた右腕を反対側の腕でかばい、脚を震わせながら立つヤーノの姿に──スティアとフィナンシェは、彼女の限界を悟る。もう、彼女に戦いを続行するだけの余力は無い。


「まだ……まだ……まだ……! 戦わないと……お母さんが……ヤーノが──られちゃう……!」


 うわごとのように、自らを震わせるヤーノ。しかし、それも限界に達したのか──彼女は遂に膝を折ってしまい、スティアとフィナンシェの前で力無く、背後にあった岩にもたれ掛かるように倒れてしまった。


 呆気あっけない幕切れ──幼子おさなごを“依代よりしろ”にしたが故に、器の少女の限界に足を絡め取られたスライムの少女の末路。


「やめて……来ないで……来ないで……!!」


 抵抗する力は残っていない。ただ懇願こんがんするしかない。


「…………スティアちゃん、あともう少しだよ」

「分かってる……! あいつは──まだ“魔物スライム”だ……!!」


 それでも、ふたりの少女は止まらない。武器を構え、徐々に徐々にと距離を詰めて来る。


「やめて……来ないで……! やめて……殺さないで……! やめて……奪わないで……!!」


 拒絶しても、命乞いしても、もう遅い。悪徳を、悪行を、悪道を進んだヤーノに待っているのは──裁きのみ。


 だから──完全なる手詰まり、完全なる行き止まり、完全なる絶望のふちに立たされたスライムの少女はもう──すがるしか無かった。


「助けて……!」


 奇跡に──、


「助けて……!!」


 許しに──、


「助けて……!!!」


 そして──、


「助けて…………お母さんッ!! ヤーノを──助けてぇえええええええ!!!!」


 ────愛する、愛してくれる“お母さん”に。


 彼女が最後にすがるは──母の愛。彼女が求め続けた、母の愛。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る