第1話
「兄さん、電話ですよ?」
義妹の声に、眠気眼をこすりながら起き上がる。
「こんな時間に?」
一応、自分の時間間隔が狂っていないかと確認するため、時計に目をやってみたところ時刻は午前六時ちょうど。どうやら狂っているのは向こうの時計のようだ。
「相手は? この時間にかけてくるってことは国際電話?」
「いえ。信一さんですよ」
「信一? なんであいつが家にかけてくるんだ?」
お互い携帯電話の番号を知っているのだから携帯にかけてくればいいものを、何故家電なのか。そう思っていると呆れた声で義妹がこう言ってきた。
「携帯にかけても兄さんが出ないからでしょう? いつもロッカールームに仕舞いっ放しで、電話をかけてもろくに出てくれない。だから家にかけたんじゃないですか?」
「いや、それは研究室が携帯の持ち込みが厳禁だっただけで……」
「言い訳はいいですから。早く出たらどうですか?」
言い訳ではないんだが、と言っている間に義妹は僕に受話器を押し付けて、朝食の準備に戻ってしまった。首を捻りながらも電話に出ることにした。
「はい、夜だけど」
「光ちゃんは相変わらず元気だな」
久しぶりに聞く、親友の声に不思議な安心感を感じた。懐かしさを思いながら言葉を返す。
「元気というか、うるさいというか」
「確か今、中学生だろう?」
「そう。今年で中学卒業。早いもので受験生だよ。学校に近いのと、僕の食生活が不安だとかで僕の家に居候中。押しかけてきたってのが正しいかな」
「まるで通い妻だな」
「馬鹿なこと言うな。で、そっちはどうなんだ? 久しぶりだけど、元気にしてたか?」
思えばこうして信一と会話をするのは彼が大学を中退して以来だ。四年ぶりになるだろうか。そんなことを思いながら問いかけた僕の言葉に彼はこう答えた。
「まあ元気にやってるよ」
そう言いながらも、信一の声には快活さが感じられなかった。先ほどから聞こえてくる声には疲れが滲んでいるように感じられた。
「大丈夫か? なんだか疲れてるみたいに聞こえるけど」
「ん。そう聞こえるか。まあ、多少忙しくてな。……それより、そっちこそどうなんだ? 大学の大規模なプロジェクトに関わっているって聞いてたけど。それもあって携帯には出ないかと思って家のほうに電話したんだが……」
「ああ。確かに先日まで関わってたよ。アンドロイドの開発計画に。精神科医として人の在り方を教える人材としてね。そんなことをするための研修ではなかったはずなんだけど。……とはいえ、突然のプロジェクト中止要請が出てね。いろいろと上の方であったらしいけど、詳細は教えてもらえなかった。
だから今は父親の病院で精神科医として勤務してる。普通に医者をやってるよ」
「そうか。なら、好都合かもしれないな」
信一はどこか疲れを滲ませながらも嬉しそうな声でそう呟いて、言葉を続けた。「実は夜に手伝ってほしいことがあるんだ」
「僕に?」
今の信一は確か、父親の伝手で大学中退後、医療関係からは退いて政府関係のどこかで管理をやっていると聞いていたが、そんな中で僕に手伝えることなどあるのだろうか。そう疑問に思う僕に向けて、信一はこう言葉を紡いだ。
「カウンセリングをしてほしい少女がいるんだ」
「カウンセリング?」
それは確かに僕の本業だが、「話が見えないな」
「そうだろうな。順を追って話そう。まず、僕が今やっている仕事から。僕は今、ユーロモーションにおける現地管理局員として働いている。ユーロモーションについて説明はいるか?」
ユーロモーション……確か、テレビか新聞で見たはずだ。最近話題になっている自殺者用支援施設とか。
「まあ、概ねその理解でいい。メディアで取り扱われているのはそれくらいだろうからな。正確には施設というよりは一つの街だ。周囲を壁に囲われ、外界と遮断されている。その中で心の弱い人や、現代社会で生きるのが辛い人々の生活を支援している。というよりそこで生活をしてもらっている。他者との関わりが苦手な人々が生きている街だと思えばいい」
「そんな施設……街が作られていたのか?」
彼の説明に衝撃を受けた。かなり大きな話であり、社会の在り方にも影響を与えるような出来事である気がするが、それにしてはメディアで取り上げられてなさすぎる気がする。毎日見ている新聞やテレビ、ネットニュースでも取り上げられていたのは一度か二度で、それもひどく小さな記事だったと思う。僕自身、見たはずだが記事の内容についてはほとんど思い出せないほどだ。
そう言うと、相槌を打ちながら、信一が説明をしてくれた。
「そう思うのもわかるが、ユーロモーションは実験都市なんだ。現状、誰もが入れるというわけではなく、メディアや外部への情報はかなり規制されている。当然、本格的な運用が始まれば、大々的にメディアで扱われることになるとは思うけどな。
それと取り扱っているのは自殺という難しい問題であることもメディアで取り上げられない理由の一つだ。ユーロモーションに来る、ということは自殺やそれに類する精神障害を負っているということであり、まあ本人たちからすればあまり公表したくはない事実だろう。そういったいくつかの問題がユーロモーションがメディアで扱われていない理由だ」
そうした理由を話す信一の口調にはやはりどこか疲労の跡が見える。実験都市という側面もあり、業務量が多いのかもしれない。そんなことを思い、気分を変えようと少し軽口で答えた。
「その結果、秘密主義的な都市になっていると。……悪の秘密組織みたいだな。そうした神秘のベールを隠れ蓑に違法な人体実験を行っている、みたいな」
「頭が悪い言葉だな。そんな組織、今時B級映画でも見ないぞ。ユーロモーションはれっきとした政府公認の都市だ。人体実験なんか行っちゃいないさ」
小さく笑いながら答える信一だったが、やはりその声はどこか元気がないもののように聞こえた。そうした彼の様子に力になってやらなければと思いながら問いかけた。
「それで、そのカウンセリングをしてほしい子というのがそのユーロモーションにいるってことか?」
「ああそうだ。話が早くて助かるよ。それで、どうだろう? 引き受けてくれるか?」
彼の言葉を聞きながら、スケジュールを考えていた。どれぐらいの症状の子かわからないが、病院の業務はそれほど忙しいものではない。父親に頼めば、融通は聞くだろう。何より信一の頼みだ。家族ぐるみで関わりがあるのだから、無下にはしないだろう。
本格的な治療は向こうに行ってからとして、症状だけでも聞いておこうと思い、僕は信一に問いかけた。
「ああ、もちろん、大丈夫だよ。引き受けさせてもらう。……それで、その子にはどうしてカウンセリングが必要なんだ?」
僕の問いかけに、一瞬言葉が止まった。迷うような、悩むようなそんな空白の間を挟んだ後、信一は僕にこう告げた。
「彼女は自殺しようとしてるんだ」
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