七章 それぞれの道
【7-1】新たなる旅
「フェンリル、着替えた?」
「あ、ああ……」
スターチスやシルヴィア、ルディがそれぞれベッドに座って待っていると、別室で着替えていたフェンリルが恐る恐る部屋に入ってくる。
その姿はこの島では滅多に見られない、デニムパンツに、黒いシャツ。そして白のジャケットをシャツの上から羽織り、赤い石のペンダントを首に提げていた。
一方で、頭上にいつもあった真っ白な獣耳や、尻尾はなく、いかにも落ち着かないといった様子で、シャツを軽く引っ張っていた。
「どう?」
「いや……その。きついな」
「え、サイズ合わなかったかな……」
「いや、サイズというか……着慣れない素材だからか?」
デニムが硬く太腿などもキツく感じたが、着ているうちに馴染んでくるだろう。
そう思いながら、フェンリルは先程から一言も発していないシルヴィアとルディを見て、「どうした?」と訊ねると、ルディは立ち上がり詰め寄る。
「な、何だか……別人だな。というか、身長縮んだか?」
「人の姿だからじゃない? あの耳結構長いじゃん」
「ま、まあ、確かにな」
耳と尻尾以外は変わっていない筈なのに、どうしてかいつもより一回り小さく感じるフェンリルに、ルディは首を傾げる。
夜明けの領域では、とある事情により半獣人や獣人達は姿を隠して生きている。
それが法律的な理由か、宗教的な理由なのかは知らないが、トラブルにならない様にとスターチスが事前にそれ専用の魔道具を作っていた。
「これ、外せば元に戻るんだよな」
そう訊ねるフェンリルの左手首には、魔方陣が縫い付けられた青いリストバンドが着けられていた。
それに対し、スターチスは「うん」と頷くと、フェンリルはリストバンドを外す。すると、頭上に元の耳が現れ、いつものフェンリルがそこにいた。
「あ、いつものフェンリルだ」
「は、はぁ……本当に、フェンリルさんなんですね」
「そんなに別人だったか、俺」
ホッとするルディと、ようやっと口を開いたシルヴィアに、フェンリルは苦笑いを浮かべる。
「勿論、シルヴィアにも用意してるから。着替える時に着けてみて」
「あ、ありがとうございます。スターチス様」
「シルヴィアのはブレスレットなんだな」
「衣装と合わせたらね。こっちがいいかなって」
そう言いながら、スターチスはシルヴィアにブレスレットを渡す。金具に、ネモフィラを模した青い小さな飾りが施されていた。
ドキドキしながらも、紙袋を手にして「いってきます」と言ってシルヴィアは部屋を出る。
「所で、スターチス。さっき私もシルヴィアの服見たんだが、あれはお前の好みか?」
「え。突然何さ」
「いや、だって……」
意外といい趣味しているんだなー。と、ルディはスターチスから目を逸らして小さく呟く。
隣にいたフェンリルにはそれが聞こえ、「どんな感じだった?」とルディに訊く。
「それは……本人が着てからの方がいいんじゃないか?」
「そ、そうだな」
「ってか、意外って何だよ。意外って」
「てっきり適当に見繕ってくると思ったんだよ。いつもデニムのショートパンツ履いてるし、下はそれでいっかみたいな」
「あー。いや、それもいいかなって思ったんだけど……」
異性の好みなど知るはずもなく。とりあえず、
「これから寒くなるし、ちょうど雑誌で秋冬コーデの企画が組まれていたから、それ参考にした」
「へえ、こんなものがあるんだな」
スターチスが雑誌のページを開き二人に見せると、二人は珍しいものを見たかのように、近づき見つめる。
雑誌という存在は四百年前にはあったが、夜明けの領域との貿易が無くなった今、
ルディがその雑誌を受け取り、ページを捲る。そしてぽつりと呟いた。
「いいな……。でも、いざという時に動けるか。これ。あ、けどこのパンツタイプならば……」
「……ルディ。もしよかったら後で他の雑誌貸そうか?」
「えっ。いいのか」
嬉々として思わず反応すると、ルディはハッとして照れ隠しするように咳払いをする。
可愛らしい妹の一面に、フェンリルも笑みを浮かべて眺めていると、着替え終わったシルヴィアが部屋に戻ってくる。
フェンリルはシルヴィアの気配を感じ、「どうだ?」と言ったが、シルヴィアの姿を見て目を丸くした。
「ど、どうですか?」
アイボリーのフレアスカートに、白いブラウス。その上から青のカーディガンを腕に通し、スカートからのぞくブラウンのブーツ。
普段よりも大人っぽく、そして可愛らしさのあるファッションに、フェンリルは見惚れていると、ルディに「どうだ?」と訊く。
「可愛い……」
素直に思った事を呟くと、シルヴィアは照れて目を逸らす。
ほのぼのとした空気が流れる中、いつの間にか来ていた
「姿が見えないと思ったら寄り道してたね?」
「いい香りに誘われちゃったからな」
市場で買ったのか、一房のバナナを抱えながら幸せそうに一本を平らげる。南国という事もあり、フルーツが多く売られていたらしい。
もう一本を食べようと朱雀が房から千切ると、そのバナナに対してスターチスが手を差し出しながら、「夕方出発だからね」と三人に伝える。
「その後は朱雀がふぁんほかしてふれるふぉ……」
「最後何と言ってるか分からなかった」
「ってか食べながら話すな」
バナナを食べながら話すスターチスに、フェンリルとルディが呆れながら言うと、隣にいた朱雀が代わりに説明した。
「後の事は俺が何とかしてくれるって言ってるみたいだぞ」
「交渉とかは朱雀がしてくれたしね。夜明けの領域に関しては四神達に任せるしかないからさ」
「……とはいえ、渋々だったけどな。そこまで怒らせるなんて、一体何をしでかしたんだろうね。
やれやれといった様子で朱雀が言うと、フェンリルとルディの表情が暗くなる。
「魔鏡守神のせいで何かあったのか?」
「ん? ああ。ちょっとな」
フェンリルからの質問に話そうとしたが、スターチスがそれを止めるように肘で朱雀を押す。朱雀は「何だよ」と不機嫌そうに言うが、スターチスの表情を見て、口を閉じた。
先程とは違ってスターチスの厳しい表情に、フェンリルは疑問を感じだが、朱雀が咳払いして「色々あったみたいだぞ」とだけ言うと、部屋の奥にある窓側に向かう。
「スターチス。船の方も準備出来たみたいだぜ」
「そう。じゃ、そろそろ宿から出ようか」
「そうだな。シルヴィアも準備出来てるか?」
「はい!」
シルヴィアが頷くのを見て、フェンリルもベッドの側にまとめていた荷物を担ぐ。
港の近くという事もあり、宿から出るとすぐに潮風を感じた。
すると、外を歩いていた海エルフの男達が騒いでいた。
「おい。見た事のない船があるぞ」
「あんなデケェ船見た事ねえぞ⁉︎」
遠くからでも聞こえる話し声に、フェンリルはスターチスを見る。
スターチスは空笑いしながら、「あれは目立つよなぁ」と言って、先に歩いて行く。
フェンリルとシルヴィアはこれから乗る船をまだ見ていなかったが、ふと港の方を見ると、巨大な何かが見えた。
「……何だあれ」
「何って船だよ」
「いやいやいや……⁉︎ でかすぎるだろ⁉︎ 」
周囲の建物よりも遥かに大きいそれは、一般の船舶が入る場所には収まりきらず、それでもなお異様な存在感を見せていた。
驚くフェンリル達もだが、エメラルに住む人々も見た事がないようで港には沢山の人々が集まっていた。
「こりゃ。見事だな」
「あれ。エメラル王じゃん」
「あいつも驚いてるな」
人々に紛れて船を見上げるジークヴァルトに、スターチスが気が付くと、頭の後ろで手を組みながら朱雀は笑った。
ジークヴァルトもこちらに気が付き、合流するとフェンリルとシルヴィアを見て「ほう」と感心する。
「これが、夜明けの領域での服装かぁ。変わってるな」
「とはいえ、あくまでも想像だけどね」
興味深く見つめるジークヴァルトに、スターチスが苦笑交じりに言う。
日が低くなり始め、揺れる海面が真っ白にギラギラ輝く中、大きな船から小舟が勢いよく港へと近づいてくる。その小船には金髪の男が一人乗っていた。
「久々だね朱雀様。とは言っても数日ぶりかな?」
滑る様に埠頭の側に止まると、その金髪の男は朱雀を見て言った。朱雀も「よう!」と元気よく挨拶して、小船に乗り込むとフェンリルとシルヴィアを手招きした。
「漕がずに来たよな……。一体どうやって動いてるんだ……これ……」
「早速カルチャーショック受けてるね。モーターボートってこの領域にはないの?」
見た事のない造りをしている船を見回しながら乗るフェンリルに、男が朱雀に訊ねる。
朱雀は「残念ながらないよ」と返すと、男は「へえ」と言った。
「ということはフェリーもないのか。通りで人が沢山いるなと思った」
「フェリー? あれをフェリーって呼ぶのか」
「そうそう。あっちじゃ昔から普通に各地の領域と行き来してるよ」
「そうなんだな」
知らない技術に早くも触れた後、スターチスがフェンリル達に声を掛ける。
「それじゃ。俺はここまでだから、後はしっかりやるんだよ!」
「おう! ルディ! 後の事は頼むな!」
「ああ、お前達も元気でな。絶対帰ってこい!」
シルヴィアの腕を引いて抱き上げ、そっと船の上に下ろすと、フェンリルは笑って手を振って返した。
それを見てルディは笑みを浮かべた後、男を見て首を傾げる。
「(あれ。アイツどこかで……)」
見覚えのある違和感を感じつつも、シルヴィアに名前を呼ばれるとルディはそこで考えるのを止めて、手を振り返す。
周りの人々も手を振り、「頑張れよー」や「いってらっしゃい!」とそれぞれ見送りの言葉を発した。
「じゃあ行くね」
「ああ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
「ふふ。了解」
男は笑みを浮かべエンジンをかける。モーターボートと呼ばれるその小船は音を立てて動き出し、そのままフェリーに向けて進んでいく。
思ったよりも速く進む船に、フェンリルはシルヴィアを腕で支えながらも、徐々に遠くなっていくエメラルの港を見つめると、シルヴィアがフェンリルに話しかけてくる。
「何だかドキドキしますね……。どんな領域なのかって」
「そうだな……」
正面を向けば、フェリーの影がフェンリル達に被さる。
きっと、この先見た事のない世界が広がっているかと思うと、楽しみでもあり不安でもあったが、真っ直ぐと行く道を見つめると、気持ちを引き締めるように小さく深く息を吐いた。
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