【5-13】夕陽

「っ⁉︎」


 突然誰かに抱きしめられ、キサラギは硬直する。だがそれが父親である本物の朝霧あさぎりセンテンだと分かると、硬直が解れ自然と涙が溢れてきた。

 そんなキサラギを大事に抱きながら、センテンは優しく笑みを浮かべて言う。


「最期に、君に会えてよかった。ありがとう、もう一人の息子よ」


 聞いた事のないはずの声が、体温が、キサラギのセンテンとの記憶を蘇らせていく。

 

『空を見上げろ』

『名の通り、ここらの土地は朝に深い霧が発生する。ご先祖様はな、そんな時こそ空を見上げろというんだ』

『いくら真っ白でも、空には日がある。光がある』

『だから迷った時は見上げろ。そうしたら何か見えてくるはずだから』


「(ああ、あの言葉は親父センテンの言葉だったのか)」

 

 懐かしい声で言われたそれはキサラギの中にちゃんと深く刻まれていた。

 その事を感じつつ、もう少し話していたい気持ちにはなったが時間があまりないのだろう。夕陽によって後光が強くなると、キサラギは身長が少し高いセンテンの背中に腕を回して小さく「じゃあな」と言った。


「ハレの事は心配するなと、お袋に伝えてくれ」

「ありがとうキサラギ。そして、朝霧をよろしく頼むな」

「ああ」


 腕の中から徐々にセンテンが薄れていくのを感じる。

 辺りに霧が包み込むと、向日葵ひまわり畑も目の前のセンテンも何もかもが見えなくなった。

 キサラギは息を吐いて涙を止めようとすると、いつかセンテンに言われたように空を見上げる。

 辺りがより橙色に染まる中、やがて強い光と共に意識を浮上させた。



※※※



 約一週間ぶりに目を覚ますと、夏だと言うのに涼しく感じられた。

 少し頭を上げて辺りを見回せば、側ではフェンリルとハレがそれぞれ寄り添って眠っていた。


「(いつの間に仲良くなったんだ)」


 キサラギはぽかんとして二人を見つめていると、障子が開く音がしてそちらを向く。そこには髪を短くしたマコトがいた。

 髪が短い事に最初は驚き、次に薄らと残る左頬と耳の傷にキサラギは絶句し青ざめると、そして自分の傷など気にせずすぐに起き上がり駆け寄る。


「っ、マコト……」

「き、キサラギ⁉︎ そんな急に起き上がったら……!」


 心配するマコトを他所に、キサラギは強くマコトを抱きしめた。その腕は小さく震えており様子がおかしい事にマコトは気がつくと、そっとキサラギの背中に腕を回す。

 開かれたままの障子の隙間から夕陽の光が差し込み、部屋に二人の影が長く伸びる中、マコトは子どもを慰める様に「大丈夫だ」とキサラギに言い聞かせる。


「大丈夫。ちゃんと私はここにいるだろう?」

「っ……」

「皆怪我はしたが、一人も失っていない。だから、気にしないでくれ。キサラギ」

「……俺が傷付いた時はあんなに辛そうな顔しやがるくせに、何で、自分が傷付いて、そんなに平気そうな顔してるんだよ」

「何故だろうな。でも、多分。守れて嬉しかったんだ」


 守られる辛さは痛いのに、傷付いても守るのは自然と痛くはない。「不思議だな」とマコトが笑うと、キサラギはより強く抱擁する。

 密着する事でマコトは再度キサラギの傷を心配しだすが、キサラギが突然謝った事にキョトンとした。


「守られるって、痛いな。すごく、痛むんだ。やっぱり守りたかった……。ごめんな、傷作らせて。守らせてしまって」


 危うくまた失う所だったんじゃないかと、キサラギはマンサクの止めをさせなかった事を後悔しながら、そう呟く。

 だがマコトは笑みを崩さずにキサラギの背中を撫でた後、「分かってくれたか?」と言う。


「でも、これで私も分かったよ。やはり無茶をすると皆を悲しませてしまうな」

「……ああ。大事な人ならば尚更な」

「……」


 力が弛み、抱擁が解かれる。

 改めて互いに顔を見つめ合うと、キサラギは一瞬目を逸らして考えた後、「なあ」とマコトに声を掛ける。


「こんな、俺でも。朝霧家を、お前を守っていいか?」


 守ると言って早々、やられたどころかマコトにまた傷を負わせてしまったが。自信なさげにそうキサラギは言うと、マコトは強く頷いた。


「でも、キサラギ。それは本当にお前のやりたい事か? 私達を気にして、無理はしてないな?」

「ああ」

「……そうか。分かった。ありがとう、キサラギ」


 嘘偽りのないはっきりとした返事に、マコトは少し眉尻を下げながらも笑って礼を言った。

 そんな二人にいつの間に起きたのか、ハレがキサラギの後ろから「何話してるの?」と話しかけてくる。キサラギは「ちょっと大事な話をしていたんだ」と、ぎこちなくだがハレの頭を撫でた。

 頭を撫でた事にハレは目を丸くしていたが、すぐに満面の笑みを浮かべる。


「……んん、キサラギ……起きたのか?」

「ああ。すまん、心配かけたな」

「いや、気にするな。それよりも傷は大丈夫か?」

「傷……そういえば」


 気づいた途端じわじわと痛み出し血の気が引くと、マコトとフェンリルはギョッとして、咄嗟にふらついたキサラギを支える。勢いで起き上がったもののやはり本調子ではなかったようだ。明るかったハレの表情も一気に泣きそうな顔になってしまう。

 キサラギは謝りながらも、フェンリルに肩を貸してもらい布団に戻ろうとした時、バタバタと忙しく足音が外から聞こえてくる。それに対して、部屋にいる全員が一斉に外の方を向くと、ライオネルが現れる。


「フェンリル! ……って、キサラギ目、覚めたんだ⁉︎」

「ああ」

「そうか、良かった」

「まあ、その点ではちょうど良かったね」


 起きているキサラギに安心するライオネルを他所に、スターチスは別の意味でホッとした後、キサラギ達を見て言う。


「こんな状態で急かすのも何だけど……ちょっと、新たな問題が発生してね」

「問題? キュウの事か?」

「川の神に関してはとりあえず桜宮おうみやの魔術師と共に一時的に封じたから大丈夫。けど、それとは別の問題」


 日が完全に山に沈み、辺りが暗くなる。緊張した空気が流れる中、スターチスはライオネルを気にしつつも言った。


「桜宮が再び襲撃にあった」

「っ……⁉︎ まさか、またヴェルダか?」

「いや、今回はヴェルダだけじゃない。何故か橙月とうつきも同時に攻めてきたらしい」

「おいおい、どういう事だよ。なんで橙月が……」


 フェンリルが信じられないといった様子で呟くが、キサラギは前にセンテンの偽者であった男とライオネルの会話で聞いていた為、そこまで驚きもしなかった。


「(橙月か……もしや、マンサクか?)」


 倒れてからの記憶がないので、あの後どこに行ったか知らないが、もし橙月がマンサクと何か関わっていたとすれば。


「(いや、けどあの男は否定していた)」


 結局考えてもキサラギはよく分からなかった。

 スターチスは言いづらそうにしつつも、目で「どうする」と言いたげに訴えてくると、キサラギはフェンリルの肩から腕を離し、スターチスに言った。


「上層には幸い三大魔術師の一人である医術師がいる。俺はその後行くから、先にライオネルとフェンリルを向かわせてくれ」

「……了解。それで良いね? 二人とも」

「いい、けど……キサラギはそれで良いの?」

「朝霧の事か? そう、だな」


 すぐに行きたい気持ちは山々ではあったが、今のキサラギには傷以外にも問題はあった。

 この中で唯一よく分かっていないハレは不安げにキサラギを見上げる。

 

「(せっかく目を覚ましてこうして話せるようになったというのに)」


 そう悩んでいると「行ってこい」と声が聞こえてキサラギは振り向く。ライオネルの横には雪知ゆきちがいた。


「よく分からないが、緊急事態なんだろう? 正直なところ今のお前にはまだ無理はして欲しくないが、朝霧の命の恩人の国が危ない以上、放っておけるお前じゃあるまい」

「雪知……」

「お前がいない間は朝霧の事は俺たちと、そしてセンリュウ様が何とかするから心配はしなくていいぞ」

「…………センリュウ?」


 見知らぬ名前が出てきた事にキサラギは首を傾げる。周りは知っているようで、ハレが爪先立ちするとそれに気づいたキサラギはしゃがみ込む。


「センリュウ様は父上の新しい名前だよ」

「センテン様が亡くなられたと分かった以上、あの方がセンテン様の名を使うわけにもいかなくなったからな」

「そう、なのか」


 眠っている間に色々と変わっていたんだなと、ハレと雪知の説明にキサラギは唖然としてしまう。


「ま、その点も含めて色々問題も山々だからな。まだまだセンリュウ様には頑張ってもらわないと」

「……と、雪知が言うのでな。私はまだ現役で働かねばならん。だから、行ってくるがいい。キサラギ」


 途中から話を聞いていたセンテン改め、センリュウという名になった男はそう苦笑しながら言った。

 キサラギは「そうか」と小さく笑うと、立ち上がりセンリュウに歩み寄る。


「じゃあ、後は頼んだぞ」

「ああ。任された」

「裏切るなよ?」

「言っただろう? ヴェルダとはとうに縁を切ったと」

「そうだったな」


 そんな会話が自然と出来てしまう事にキサラギは自分でも驚いてしまうが、不思議と嫌ではなかった。

 ライオネルとフェンリルもどこかしら楽しげに話すキサラギに笑むと、スターチスに呼びかけられそちらを向く。


「キサラギ達はまだ準備が必要だろうから後で迎えにくるけど、今夜中には出発するから急いでね」

「分かった」

「じゃあ……俺達はここでお別れかな?」

「そうだな。来た時は着の身着のままだったし」


 雪知が「何だか寂しくなるな」と言うと、ライオネルはにこりとして「そこの神様に頼んでまた来るよ」と言う。出会った時とはこれまた大違いな二人だが、二人の会話にスターチスは「気が向いたらね」とぼそりと言った。

 転送の為に、ライオネルとフェンリルはそれぞれ中庭に出るとスターチスによって光に包まれる。


「上層で待ってるね、キサラギ! マコトちゃん!」

「ああ」

「お気をつけて!」

「また来てね! ライオネル! フェンリル!」

「うん、またね。ハレくん」

「元気に過ごせよー! ハレ!」


 大きく手を振るハレに、ライオネルとフェンリルは手を振り返しながら消えていく。

 少しして光が止んだ後スターチスも一旦姿を消すと、残ったキサラギとマコトにセンリュウは「少し話したい事がある」と手招きした。

 二人は瞬きしつつも、言われた通りにセンリュウについて行った。

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