【5-9】親子

 十年前の事。襲撃を受けた朝霧あさぎりの屋敷には燃やされ炭や煤だらけになっており、柱には矢や刀の傷跡が残されていた。それを元の状態に戻したのは他でもないセンテンという存在になったあの男だった。

 幸いにも朝霧当主の正室は雪知ゆきちや家臣達によって逃げられたが、当時孕っていたのもありしばらくは体調が優れなかったという。

 もしそんな状態で夫の死を伝えればどうなるか。男は一人悩んだ挙句正室や家臣達を始め、やがて領地に住む民全員に記憶を改竄させる魔術を使った。

 とはいえ流石の男の力でも、朝霧の領地に住む民までが限度。その為、小刀祢ことね家という存在は危険因子でしかなかった。男は正体を隠しつつも、敵は小刀祢だと決めて抑えつけた。勿論内外問わず反発もあったが、男は決して意見を変える事なく、一貫して小刀祢を悪にした。

 そんなある日ハレが生まれた。元気な産声をあげるハレに男は思ってしまった。「とんでもない事を頼まれてしまった」と。

 男は生まれてこの方家族というものを知らない。幼い頃に両親を亡くし、ただひたすらに生きる為に勉強して魔術師になったからだ。更に恋愛というものも知らず、主であるグラスティア王に忠誠を誓い長年仕えていた。だが戦争でその居場所を。主を失った。孤独になり、流されるままヴェルダに入ったその先で男は遂に居場所を見つけてしまったのだ。

 だが男の居場所は偽りという条件で出来たもの。だから苦しかった。いつかこの偽りが壊れてしまったら? 自分はともかく、自分を夫だとして見ている妻は? 生まれた息子は? 嬉しさと恐怖が交わった思いのまま、男は我が子ハレを抱いた。


「(ああ、重い。重過ぎる)」


 何故キュウは自分にこんな役を任せたのだろうか。そんな思いが日に日に強まっていった。朝が来て昼が過ぎ夜になっても、頭の中は罪悪感でいっぱいだった。

 そしてある時、悲劇が起こった。正室が死んだのである。どうやらハレを庇って斬られたらしい。

 それを聞いて男は目の前が真っ白になった。犯人は樹月の刺客。気を許してしまった自分をかなり責めた。

 その日の夜、誰もいなくなった部屋で男は静かに横たわる妻に頭を下げたという。


 嘘をついてごめんなさい。


 息子を独りぼっちにさせてごめんなさい。


 そして何よりも、再会を望んでいたもう一人の息子に会わせることができなくてごめんなさい。と。


 男は泣きじゃくった。グラスティアが滅んだ時も泣かなかったというのに、声を上げて泣き続けた。

 地獄だった。辛かった。今すぐに逃げ出したかった。それでもここに留まったのはハレがいたからだった。

 ハレは泣く男を見つけると、走ってきてしがみ付きこう言ったのである。「自分のせいで母が死んだ」と。

 まだ四歳で母親が恋しい時期だろうに、母親を失い身体を震わせて涙を流しながら「ごめんなさい」と謝って自分を責める幼い息子に、男はひどく頭を殴られたような衝撃を受けた。


「(このまま私が居なくなれば、ハレはどうなるのだろうか)」


 頭を撫でるのに躊躇したが、ハレが「父上」と言った事で気付かされる。そう、ハレにとって父親は自分なのだと。妻が死んでもまだ魔術は解けていないのだ。


「(私は、まだここにいないといけない。そしてまだやるべき事がある)」


 例え偽者であろうと息子ハレを守ろう。そしていつか自分が居なくなっても彼が生きていけるように、朝霧を守っていこうと。

 その一心で男は晴れて【センテン】になった。


「あれ以来必死にやってきたつもりだが、私は息子に何かしてやれただろうか。……いや、今思い返してみれば寂しい思いをさせてしまったな」

「…………」


 センテンの話を聞いていた二人は黙り込む。と、センテンは着ていた着物の襟を掴み、大きく広げて胴を曝け出した。

 突然の事にキサラギは驚くが、センテンの手に聖切ひじりぎりがあった。まさか。


「っ、バカが……‼︎」


 そう叫んでキサラギは飛びかかると聖切を取り上げようとする。ライオネルもセンテンがやろうとした事が分かり、キサラギとセンテンの元へ行こうとしたが、キサラギの声に立ち止まる。

 聖切を持ったセンテンの手首を畳に押し付けたまま、キサラギは見下ろすと「ふざけるな」と言った。その声は先程とは違って泣きそうな声だった。

 

「散々息子の話をしておいてこれかよ……! マジでふざけるなよお前……!」 

「っ、血の繋がったお前が帰ってきた以上、私は消えるべきだ‼︎ 私はとんでもない罪を犯した……! 妻を欺け、息子の父親をも偽った! それにあの娘達も……小刀祢家も……!」

「……っ」


 センテンが死ねば、十年間掛かり続けていた魔術が解かれる。だが、それで全て終わるわけではない。それどころか、今までの十年間という【記憶】がどうなるのかも分からない。

 そのまま今に繋がるのか、それとも空間となってなかった事にされるのか。


「(そうだとしても、それはそれでいい。混乱は起こるだろうが、真の朝霧当主はここにいるのだから)」


 顔を歪め、目を潤ませながら睨みつけるキサラギを見上げながら、男はキサラギを押し返すと聖切を持ち直す。しかし、その聖切は光に飛ばされて後方に落ちると、垂直に畳に突き刺さった。男がその光が飛んできた方を見ると、ライオネルが手を突き出して魔術を放った直後であった。


「それを罪だと言うのならば、尚更死んで逃げるな。生きて償え」

「っ、この私にまだ嘘をつき続けろと言うのか⁉︎」

「そうじゃない。真実を話して生き続けろ」


 通常とは違う低い声。以前、グレンの前でもやったオアシス時代の彼の様に振る舞った後、ライオネルはキサラギを見る。

 キサラギは身体を起こし男の元に這って向かうと、着物の衿を掴んで言う。


「お前がどう思おうが……例え、血が繋がってなくても、アイツの、ハレの父親はお前だ。お前がいなくなったら、それこそアイツを悲しませるんじゃないのか……?」

「……っ」

「……俺は、そんな事はしたくない」


 衿を掴む手の力を緩めながら、キサラギは苦しげに言葉を繋いだ。

 キサラギにとって父親は鬼村の頭領であった様に、ハレもまた彼にとっての父親は目の前にいる男なのだと、キサラギはハレと話さずともそれは分かっていたつもりだった。

 青い夜空の瞳から一筋の涙が溢れた後、キサラギはそれを隠す為に袖で乱暴に拭った後、小さな声で「悪かった」と謝る。

 衿から完全に手を離した事で、男は畳に手をつくと男もまた頭を横に振って言った。


「悪かったのは、私だ。……私は、これからどうすればいい?」

「さあな。……だが、なんだかんだで今まで朝霧当主をやってこれたんだ。だから一つ、頼みがある」

「頼み、だと?」

「俺が帰ってくるまで朝霧を頼む」


 キサラギの言葉に男もだが、後ろにいたライオネルも驚いていると、廊下から走ってくる足音に三人は気付き、そちらを見る。

 長い髪をなびかせながら、雪知が慌てた様子で現れると、「センテン様」と声を上げて部屋に入り込む。


「大丈夫ですか⁉︎ ご無事ですか⁉︎」

「あ、ああ……」

「はあ……それで、これは一体」


 キサラギはともかく、一度は気を許したライオネルに対し警戒しつつ雪知が訊ねると、男は気まずそうにしつつも雪知に話しかける。

「大事な話がある」と言われ、雪知は目をパチクリとさせると、男は簡素にだが雪知に全てのことを話した。時間はそう掛からなかったが、当然ながら最初は雪知でも理解は出来なかった。


「っ、ちょっと、理解が出来ません。つまり、貴方は……センテン様じゃないという事ですか」

「……ああ。本当のセンテンならば、妻……正室と共に墓に眠っている」

「……そう、ですか」


 顔を下に向いたまま、ショックのあまり呆然とする雪知。今まで朝霧家の主だと仕えていた男が偽物で、本来のセンテンはもうとっくに死んでいる。

 そんな重大な事を知らずに、自分たちは十年間も過ごしていた。その事が納得できず雪知に重く伸し掛る中、男は言う。


「お前の所為ではない。全ては私が悪い。すまなかったな」

「……いえ。そうだとしても、貴方のおかげで朝霧は守られた。朝霧家のただの一家臣の私が代わりにというのも、失礼な事で申し訳ございませんが、代表としてお礼を申し上げます」

「……責めぬのか」

「責めぬといえば嘘になります。でも、それ以上に貴方が尽くしてくれたものの方が多いんですよ」


 雪知はしわくちゃな男の手を握る。そしてはっきりと言った。


「真実が明かされれば、民達の混乱は必須。……ですが、私は決してそれが間違った事だとは思いません」

「……、っ、そうか」


 男の目から涙が流れる。雪知は顔を上げた後、キサラギを向く。


「お前は、どうするんだ」


 雪知に問われ、キサラギは言った。


「帰ってくる。今は無理だが、上でやるべき事をやったら戻ってくるつもりだ。だからその時まで、頼む」

「……そうか」


 雪知は間を空けて頷く。すると、キサラギは遠くに刺さった聖切の元に歩いていく。

 抜いて柄を握りなおせば、いつもの慣れた感覚に小さく笑みを浮かべてしまう。そして背中まで伸びた髪を左手で乱雑に纏めると、そのまま聖切で肩の上まで切ってしまった。

 はらはらと舞う赤茶色の髪に雪知は言葉を失うが、キサラギは気にせずに言った。


「朝霧チハルは死んだ。だからキサラギになって黄泉から戻ってくると民に伝えろ」


 左手の髪の束を雪知に渡した後、キサラギはライオネルを見て「行くぞ」と顎で指した。それに対し、ライオネルはクスッと笑って「はいはい」と言った。

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