五章 キサラギとチハル

【5-1】朝霧の地にて

 キュウの神社から少し離れた場所に、大きな武家屋敷がある。この地を治めている朝霧あさぎりの館であった。

 

「何⁉︎ チハル様らしき男が現れただと⁉︎」

「それは誠か、雪知ゆきち⁉︎」

「はっ、あの男の側にこちらが」


 雪知と呼ばれた男が差し出した聖切に家臣達が騒めく。朝霧当主のセンテンは立ち上がり、雪知の元に歩み寄ると聖切を手にとって確かめる。

 茎を見ればそこにはしっかり聖切ひじりぎりと銘が刻まれていた。


「……本物の様だな。して、チハルは今どこに?」

「ただいま離れで手当を受けております」

「手当だと? 怪我をしているのか⁉︎」

「はい。後、発見時に側には小刀祢ことねの姫も」

「小刀祢の姫?」


 小刀祢の姫は数ヶ月前から不在だと聞いていたが、何故チハルと一緒にいたのだろうか。センテンは疑問に思いつつも、側近を連れて離れに向かう。

 離れからは女中や薬師などが忙しなく出入りしていたが、センテン達を見て頭を下げる。センテンは羽織を揺らしながら離れに入っていく。


「‼︎」


 姿を見るなり、センテンは歩み寄り「チハル」と名前を呼ぶ。

 最後に見たのはまだ少年の姿なだけに、面影のあるキサラギの顔に涙を流すと、皺だらけの手でキサラギの手を握る。

 

「まさか、こうしてまた息子の顔を見られる日が来るとは……。大きくなったな、チハル」


 手をより強く握りしめて、「チハル」と名前を呼び続ける。それに答える様に、キサラギは薄らと目を開いた。


「(誰だ?)」


 聞いた事のある声だが、名前も顔も思い出せない。代わりに脳裏に浮かぶのはマコトの顔だった。

 マコトは無事なのだろうか。皆は? あの後どうなった? 駆け巡る心配事に、キサラギは無理やり意識を覚醒させると「マコトは」と訊ねる。


「マコトは、どこに、いるんだ」

「っ、チハル……?」

「俺は、チハルじゃない、キサラギだ」


 その言葉にセンテンは唖然とする。側近達にも気まずい空気が流れると、キサラギはそんなセンテン達を他所に「マコトは⁉︎」と声を荒らげる。


「アイツに、何かしたら、許さねえからな‼︎」


 噛み付く勢いでキサラギはセンテンの手を握りしめる。明らかに昔と違う息子の言動に、センテンは何も言えず固まっていると、「失礼」と雪知が現れる。

 警戒するキサラギに対して雪知は眉を顰めると、先ずはセンテンの手を離す為に、キサラギの手を握る。


「(目の色も、髪の色も、チハル様に違いない。……だが、様子がおかしい)」


 怪我による高熱のせいだろうか。雪知は最初はそう思ったが、明らかに敵対視されている事に気付き、そっと手を離す。


「とりあえず小刀祢の姫に話を聞きましょう。何か事情を知っているかもしれません」

「……」

「センテン様、お気になさらず。多分、チハル様は高熱によって譫言を云っていらっしゃるのです」

「あ、ああ」


 渋々センテンは頷き、尾を引かれるようにその場を後にする。雪知はセンテンが行ったのを確認した後、再びキサラギを見る。


「この様子だと、俺の事も覚えていないみたいだな」


 雪知の言葉にキサラギは「ああ」と言う。

 チハル呼びされている以上、恐らくここがマコトの言っていた下層の世界である事は分かるのだが、キサラギ自身まだ完全に記憶を取り戻した訳ではなく、正直混乱していた。

 

「そうか、覚えてない、か」


 何となく分かっていたとはいえ、雪知はショックは受けてしまう。一瞬悲しげな表情を浮かべた後、ため息を吐いて「すまなかったな」と雪知は謝る。


「小刀祢の姫は……マコト様は無事だ。隣の部屋で同じく手当を受けている。安心しろ、手は出さないから」

「……そう、か」


 安堵したかの様に表情が和らぐと、キサラギはそのまま脱力して横になる。

 雪知の記憶にある彼の姿はまだ幼いままで、懐かしくも寂しく思いながら、頭を撫でる。


「本当、大きくなったな」

「……」


 キサラギは目を閉じる。普段ならば「子ども扱いはするな」と手を払いのけそうだが、不思議と嫌ではなかった。

 記憶にはないけれど、懐かしいその声にキサラギは眠りにつく。

 だがそんな二人の様子を気に入らないと言わんばかりに見つめる存在がいた。


「……あれが、父上達の言っていたチハル兄さん」


 キサラギに似た大きな藍色の瞳が離れから目を離さずに、着物の袖を握りしめる。


「早く、どうにかしないと」


 そう焦る様に言った後、小さなその姿はパタパタと屋敷の奥へと消えていった。



※※※



 ザパーンと大きな水飛沫を上げて、フェンリルは水面に顔を出して咳き込む。

 その脇には危うく溺れかけたライオネルの姿があった。

 光に包まれた後、二人は水中に放り込まれていた。突然の事に慌てて水面を探しつつ、何とか浮かび上がる事が出来たが流れが早い事に気付き、フェンリルは河川敷まで流されつつも泳いでいった。


「大丈夫か……」

「何とか」


 濡れた髪を掻き上げながらライオネルは起き上がると、聞こえてきたトビの鳴き声に空を見上げる。


「(ここは)」


 ライオネルにとっては見たことのある景色だった。

 川幅の大きな川に、それを囲む様にある町屋造りの街並み。あの時は夢みたいなものだったが、今は頬をつねっても覚める気配はない。

 一方でフェンリルは「どこだここ」と辺りを警戒しながら見回す。


「なぁ、ライオネル。ここ……ライオネル?」


 懐かしむ様に眺めるライオネルに、フェンリルは不思議そうに見つめる。

 間が空いた後、ライオネルはフェンリルの方を向くと、「ま、とりあえず行こうか」とライオネルは言う。


「(もしかしたら二人はこっちの世界に?)」


 思わぬ形でだが、キサラギと一緒にマコトもこの世界に戻れた。もしそうならばそれは良い事ではないのか? ライオネルはそう思いつつも、複雑な気持ちになっていた。

 実際には踏み入れた事のない下層の街を目指して、特に警戒もせずに歩き出すと、フェンリルも何も言わずについてくる。

 少しして、荷車を引いてやって来る男が二人を見て、「兄ちゃん達どうした?」と声を掛けてくる。


「梅雨が終わったとはいえ、濡れたままじゃ風邪ひくぞ?」

「いや……その」

「?」


 ライオネルは考えた後、街の住人らしき男に「朝霧って知ってる?」と訊ねると、男はきょとんとして「朝霧はここだぞ?」と言う。


「あんたらまさか朝霧の殿様に用があるのかい?だけど、今はやめときな。ちょっと大騒ぎしてるんだ」

「大騒ぎ?」

「ああ。なんでも、十年前に行方不明になっていたチハル様が小刀祢の姫さんと一緒に見つかったらしくてな」


 それを聞いてライオネルとフェンリルは顔を見合わせる。

 きっとキサラギとマコトの事だと、ライオネルは確信すると、ひとまずその男に礼を言う。

 男は小さく会釈した後、「にしても変わった格好してるな」と二人を見て言った。


「どちらにせよこんな濡れた格好じゃ会えないと思うぞ? 屋敷以外に行く宛はあるのかい?」

「いやない……です」

「じゃあ、ちょっくら待ってな」


 男は荷車を置いた後、来た道を戻りつつ手招きする。

 二人は迷いつつもついていき街の中へと入っていけば、先程の男が「おーい」と声を上げて呼ぶ。


「丁度良かったな。雪知様がいらっしゃったぞ」

「雪知様?」


 男の側にいる、青い着物を着た雪知と呼ばれるその男はライオネルとフェンリルを見つめた後、歩み寄る。

 

「その姿……少なくとも、聖園みその領域の民ではないな?」


 雪知の言葉にライオネルは頷く。辺りに緊迫した空気が流れ街の人々の視線が集まる中、さらに雪知はライオネルに訊ねた。


「朝霧に何の用だ?」

「……仲間に会いに」

「仲間?」

「そう。……きっとアンタも知っていると思うけど」

「‼︎」


 雪知の表情が変わり、空気はますます重苦しくなる。雪知は一人「成る程」と呟いた後、背後にいる兵士達に指示を出した。


「あの二人を捕らえろ」


 その命令に、フェンリルは視線と慌てた顔で「どうするんだよ」と訴えるが、ライオネルは静かに雪知を見つめたまま動かない。

 周りは案内してくれた男含めて「どういう事だ」と言わんばかりに騒めく中、ライオネルは兵士に拘束されつつも案内してくれた男に笑みを浮かべて頭を下げた。


「ごめんね。案内してくれたのに」

「い、いや、それよりも、あんたら……」

「あー、まあ、大丈夫でしょ」


 多分。口には出さなかったがライオネルは雪知を見てそう思っていると、左右を兵士に挟まれながらフェンリルと共に連れて行かれる。

 しばらく歩き、街の外れにある白塗りの塀に囲まれた聖園式の屋敷に入ると、一室に二人は押し込まれる。

 兵士が離れたのを確認した後、腕を後ろに縛られたままフェンリルはライオネルに這って近づく。


「どうするんだよ」

「どうするって言われてもねぇ……」


 そう言いつつライオネルは上手く上体を起こし部屋を見渡す。

 すると足音が聞こえ、二人は音のする方を向くと襖が開いた。そこには複雑そうな表情を浮かべた雪知が立っていた。

 物音を立てぬようにそっと襖を閉めた後、雪知は二人の前に座ると、恐る恐る聞いてくる。


「先程言っていた仲間というのは……キサラギとマコト様であっているか?」

「! ……うん。それで、二人は無事なの?」

「無事とは言えない。だが、辛うじて生きている」

「辛うじて、か」


 あまり喜ばしくはない状況に二人は表情を曇らせる。そんな二人に対して、雪知は表情を変えずじっと見つめると、ライオネルは首を傾げた。


「チハル様をキサラギと呼ぶという事は、貴様達は上層の者であっているか?」

「そう、だけど。その事はキサラギから聞いたの?」

「いや、マコト様からだ」

「(マコトちゃんからか)」


 話ができるという事はマコトはキサラギよりも怪我は軽いのだろうか。

 ライオネルはそう思いつつも、続く雪知の質問に答えていった。

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