剣の魔
しげぞう
第1話
1、
歴戦の
とばっちりなのは、折悪しく同伴していた放浪の戦士タルスである。いかに友誼を結ぶ間柄とはいえ、色香にあてられた後始末にまで殉じる謂れはない。しかし、今となっては一蓮托生。同心協力しなければ窮地を乗り切るのは難しい。彼らの
*
「おい……本当に……此方で間違いないのか?」
「だろう……と……思う……」
二人とも、情けないほど息が上がっているのだった。藪を漕ぎ、道なき道を進むこと丸一日、地面は爪先上がりに傾斜し、木々は疎らになっていった。代わって、歩きにくい岩場が目立ち始め、辺りは山岳の様相を呈していた。二人とも裸足で、下帯一枚に革のマントを被っただけの甚だ情けない半裸姿であった。レセトのヒョロリと縦に長い躰と四肢も、タルスのずんぐりむっくりな躰についた短い手足も、葉や枝や鋭い小石がまんべんなく苛み、生傷だらけだった。陽は急速に翳り、乾季とはいえ、高地の気温は駆け足に下りつつあった。
二人が捉えられていた
行商人を装い、巧みに
山賊討伐にあたって傭兵団は、見事、頭目の首級を挙げたが、弟の副頭目と一味の数人を逃してしまった。その際、連れ去られた情婦ーーレセト曰く〈意外と
見上げたことに、と云おうか、呆れたことに、と云おうか、この誘い罠の首魁が、
とまれ、武器はおろか身ぐるみはがされ、獄に繋がれ、後は苛烈な責め苦を待つばかりとなった二人は、タルスが身につけたヴェンダーヤの苦行僧の秘術で辛うじて鉄鎖を破ったことで、何とか脱出を果たした。そして取る物も取り敢えず、着の身着のまま、逐電したのだった。
追手の気配を感じながら、硬い木の実を生のまま齧り、沢の水を啜って、不眠不休の強行軍を我が身に強いてきたが、そろそろ体力の限界が近づいていた。早く見つかりにくい場所を探して、躰を休めねばならなかった。
二人が困難な山道を選んだわけは、追手が容易に先回りできる人里方面を避けたのと、山賊を含む国人たちの怖れる禁忌の場所が、この山域にあるからだった。無頼の徒ほど迷信深いのは、レセトたちとて同じ穴の
そろそろ斜面を登りきろうとする辺りに、突如それは現れた。尾根に近い険しい場所に、見上げるほどの
いや、よく見ればそれは、ただの天然自然の
「……これが?」
レセトが薄気味悪そうに云った。その吐く息が白く見えるほど、気温が下がっていた。低く垂れ籠めた黒雲から、微細な雨粒が落ち始めていた。
「おそらく……な」
こうしてタルスたちは、在の者らが〈社〉と呼ぶ怪異の懐に、自ら飛び込んでしまったのだった。
2、
隧道の中の空気は死体のように冷えていたが、ムッとするほど黴臭くもあった。タルスとレセト両名が身を屈めて入ると、薄れゆく日の名残りが、かろうじて奥まで射していた。つまり隧道自体は、それほど深くはない。すぐに行き止まり、その先は、天井の高い空間になっているようだった。
この何の変哲もない巖の切れ目の何処が、
それでも一応、用心しいしい、歩を進めた。奥の空間は、狩猟小屋ほどの広さの
ひとつだけ、中身の残っている壁龕があった。
「お、こいつはお
見つけたレセトが、歓声を上げた。
それは、凹みの真ん中に、切っ先を上にして、台座付きで恭しく据えられた、
タルスとレセトは、戦士としてその得物の特徴をすぐさま見て取っていた。
抜き身のそれは、剣としては、小ぶりな部類に入る方であろう。近接戦闘において真価を発揮するような、刃渡りも
さらに特異なのは、その切っ先であった。剣先が、真ん中で左右二つに割れており、外側に反っているのだった。それは毒蛇の舌先を思わせ、タルスは我知らず背中がゾクゾクとしたが、半裸のせいだと己れに言い聞かせた。
とはいえ、剣は剣であった。迷信深くはあっても、目の前の利便を放棄するような二人ではなかった。タルスとレセトは、すぐに焚きつけの準備に入った。気温はいまだ下がり続けていて、二人の体力を奪っていた。
隧道の外に取って返して、かじかんだ手で、枯れた針葉樹の葉や、なるたけ乾燥した小枝、太い枝を拾い集めた。
それらを隧道に持ち込むと、レセトは件の剣を、壁龕から外した。そして、やはり外で拾った石を、刃と打ち合わせた。根気よく何度も試みると、ようやっと、飛んだ火花が枯れ葉に移った。二人は慎重に炎を育てた。
ようよう、焚き火が興り、二人は満足の歓声をあげた。
*
「クソッ! 火酒が欲しいぜ。せめて葡萄酒でも!」
火の番をしながら、タルスは毒づいた。
炎は安定してきたが、辛うじて暖をとれる程度のものだった。しかも生木が混じるため、煙や煤が多く目や鼻が痛い。とはいえ贅沢は云っていられない。隧道の外では、
「何か、面白いことでも書いてあるのか?」
件の剣をしげしげと眺めながら、レセトは、否定の唸りをあげた。
「まったく読めん。お主はどうだ?」
タルスは、受け取る気もおきず、レセトのかざした
「異種族の文字じゃないのか?」
「ふん。だったら、尚の事、分からん」
タルスは
しかし呑気な漢だ、と薪をくべながら、ついつい恨みがましい心持ちが沸き上がった。この享楽主義者の副隊長どのは、どんな危地でも何とかの面に水で、平気な顔をしているが、振り回される方は堪ったものではない。無事に帰りついたら一杯奢って貰わねば割に合わん、とボヤキかけたタルスは、相棒の異様な様子に固まった。
レセトが剣を握りしめ、宙を睨んで、ブツブツと何かを呟いていたのだった。力み返った躰は、
変化はそれだけではなかった。炎に照らされたレセトの影が、不可解な跳梁を見せていた。伸び縮みする影は、途中で二手に分かれ、それぞれが別々の生き物のように無手勝流に動き回っているのだった。それは、火影とは思えぬようなくっきりとした輪郭を持ち、一方は、蝙蝠のような皮膜を拡げて羽ばたき、もう一方は、ハッキリと鎌首をもたげる蛇の構えを見せた。
そしてーー呆気にとられているタルス目掛けて、レセトが襲いかかって来た!
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