【二つ目の『今日』――ある嘘つきと“永遠”の魔女】

【二つ目の『今日』――ある嘘つきと“永遠”の魔女】①

 ことりと、盤の上に立っていた白の王が倒された。倒したのは女の細い指が持つ、黒の女王であった。

 昭和五十六年。一九八一年の世界の、とある小さな喫茶店。二十人ほどが入ると席が埋まるその小さな喫茶店の中で、チェス盤を囲む二人がいた。

「はい、終わり。また私の勝ちね。ちゃんと真面目にやってるの?」

 と、黒いセーラー服を着た女……榎宮咲子は言い、くすくす笑った。右手の人差し指の先で、倒した白の王をいじって遊ぶ。

 咲子の向かいに座っているもう一人……京谷要は顔に汗を浮かばせ、倒された白の王を黙って見つめている。

「も、もう一回……同じ勝負だ。次こそは僕が……」

「いやよ。あなた弱いから飽きちゃった。あなた、勝負に負ける才能あるわよ」

 咲子は薄く微笑みながら、要に言った。

「……」

 いつか、自分よりもはるかに弱い対戦相手に向けた言葉を今度は自分に言われている。屈辱くつじょくだが、彼女との勝負が始まってからほとんど連続で負け続けた要には、返す言葉がない。黙り込んだ要は下を向き、膝の上に置いた拳をぎゅっと握る。こめかみに浮いていた汗が流れてズボンに落ち、小さなしみを作った。

「それよりほら、さっきの一戦で負けた人はどうするんだったかしら」

 と、咲子が言い終わるのと同時にして、自分の意思に反して右手が勝手に動き始めるのを、要は感じた。それが分かっても、止められない。「動いている手を止める」と脳から命令を出しても、まるで別の生き物のようになった右手は、ポケットの中のスマートフォンを勝手に取り出している。

「賭け」に誘われ、負けてしまった場合。それがどんなに理不尽でやりたくない行動だとしても本人の意思など関係なく、負けた時の行動を強制的に実行させるのだ。これもまた、能力者と呼ばれる彼らが「賭け」を恐れる理由の一つである。

 スマートフォンを手に持った状態で止まったと思ったら、次は勝手に右手の親指が動き始めた。手に持ったスマートフォンを親指が操作し、電話帳の画面を表示させる。そこまですると、先程の行動が嘘のようにぴたりと動きを止めた。あとは自分で選べということだ。

 さっきのチェスの一戦で負けた人間は「この世界にもう一人を呼ぶ」……そう決められて勝負が始まり、そして自分が負けた。

 要は表示された電話帳の画面を見つめ、ここに誰を呼ぶのか必死に考える。この選択をあやまれば、ミイラ取りがミイラになるどころではない。最悪の場合、呼んだ人間と殺し合いをさせられる可能性もある。

「……」

 要は、今度は自分の意思で親指を動かして、電話帳の画面を下にスクロールさせていく。組合の中にいる能力者の友達や、他に登録されている一般人の名前を見ていく。この、同じ時をぐるぐると繰り返している世界に誰を呼ぶのか、要は必死に考える。

「能力者」と呼ばれる人間たちは、どんなに不利な勝負であっても「賭けをしないか」と誘われれば断れない。つまり自分と同じ人間ではだめだ。それならば、メッセージを送る相手は賭けに縛られない一般人だ。それも、自分を信用していないような。自分がここに呼んでも、疑って絶対来ないような人間だ。

 要は画面をスクロールしていた指を止め、

『小夜ちゃん』

 と、登録している名前を見つめる。その名前を持つ、生真面目きまじめな女の子の顔を頭に浮かべる。真面目すぎるほど真面目で、融通ゆうずうが利かない頑固がんこな捜査官。

 彼女は言った。

『私には、あなたがどちらか分かりません』

 彼女ははっきりと、そう答えを出した。この「うそつき」が本当に嘘つきなのか正直者なのか分からない、と。

 要は、先月のことを思い返す。彼女は出会った時から自分を疑っていた。ことあるごとに疑いの眼差まなざしを向け、「あなたは嘘つきなんですか」と聞いてきた。ならば彼女は、僕のことをまだ信じていないはずだ。嘘つきだと思っているはずだ。要はそのことに賭ける。

『小夜ちゃん』の名前をタップし、耳に当てる。呼び出し音を聞きながら、出るな、出ないでくれと要は思う。

 僕のことを「分からない」と思うなら、これは無視してくれ。僕のことが信用できないと思っているなら、頼むから出ないでくれ。僕のことを本当に「嘘つきだ」と思っているなら、今まで通り「また嘘か」で終わらせてくれ。要は心底からそう思う。嘘をかさねてでも生を勝ち取ってきた『虚言者きょげんしゃ』は今初めて、自分が信用されていないことに心の底から賭けていた。

 呼び出し音がぶつりと切れ、メッセージの録音を促す機械音声が聞こえてきた。要はそのことに少しだけほっとする。だがまだ安心はできない。

 要は息を吸い、録音メッセージにこう残した。

「……ごめん、負けた。賭けをしよう。僕は……君が『来ない』ほうに賭けるから……」

 賭けをしようと言ったのは、能力者を呼んだと思わせるためだった。あの子ならきっとこれを無視してくれるはずだ。これを嘘だと思ってくれるはずだと思いながら、要は言葉を続ける。

「待ってるから。ごめんね……」

 待っていると言ったのは、何日でここから出られるか分からないからだ。このメッセージに相手が気づくまでに帰れるかもしれないし、帰れないかもしれない。彼女に嘘はつかないと約束した以上、不確定ふかくていなことは言えない。本当のことを言っても、彼女は信じてくれないだろうが。だが、今はその疑いをそのまま持っていてくれと要は思う。

 最後にえた謝罪はうそいつわりのない本心からの言葉だった。これだけのために選んでしまってすまない。メッセージを残した相手にそう思いながら、要は耳からスマートフォンを離し、録音を終了させる。

 要がそのメッセージを相手に残した日付と時刻は、六月十五日の午後七時十五分。外の世界では、七月十五日のことである。要がここへ来て、およそ一時間後の出来事だった。

「……」

 要はスマートフォンの電源を切ってポケットにしまう。きっとあの子は来ない。だって彼女は、僕のことを「嘘つき」だと思っているのだから。

 ここに誰も来ないことがバレた時は咲子さんに何か言われるかもしれないが、その時までにここから出ればいい話だ。大丈夫。一年前ここに呼び出された時も一人で脱出できた。その時と同じ方法なら、ここから出られるはずだ。その場合は、この世界で動いているもう一人の人間を殺せばいいだけ。たったそれだけのことだ。

「さて。誰が来るのかしらね」

 と、横から声がした。顔を右に向けると、黒い穴が自分を見つめていた。

「あ……」

 要は目と口をゆっくりと見開かせる。そこに、散弾銃を構える咲子が言った。

「ちなみに、あなたが誰を呼んだかはもう知ってるわ。だってこれは四十二回目だもの。じゃあね」

 咲子はあっさり、かち、と引き金を引いた。目の前の黒い穴から閃光せんこうが視界いっぱいに飛び散る。その光によって、要の意識は脳ごと吹き飛ばされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る